接触-07

「考えましたね、かつらとは」

 ヒューリンの言葉通り、リュミの足元に栗色のかつらが落ちている。

「銀髪に……琥珀の瞳……お前が! お前が姉様の!!」

 魔法省の正職員である2人が、リュミの風貌を知らないわけはないだろう。

 特に、テルルの方は――――

 刹那、スラベルの姿が疾風かぜに変わるが、影のほうがひと足早い。

「お引きなさい」

 ヒューリンの一言に、疾風が止まる。

 スラベルのフィールドナイフは確かにテルルの喉を捉えようとしていた。

 だが、背中で喉元にナイフを突きつけられているエルマの姿を感じ、足を止めたのだ。

「さて、こうなると大人しくしてもらいたいのですが――――」

 禍々しい殺気を放つ自警団団長の姿を見て、

「そうも行かないようです」

 ヒューリンはため息を漏らす。

「お前は……お前だけは……私が殺す……殺す……殺す殺す殺す!!」

 テルルの放った氷塊が、スラベルとリュミの身体をまとめて屋外へと吹き飛ばす。

 割れた窓ガラスが地に落ちる前に、テルルもそこから屋外へと踊り出る。

「脚力強化ですか、流石ですね」

 影が軽い驚嘆を示すほど、テルルのスピードは早い。それはまさしく、彼女が得意とする身体強化魔法の効果であって、瞬間のダッシュ力は人の限界近くまで引き出される。

「さてさて、我々は資料の方をかき集めましょう。あなたはいざという時の保険です」

 ヒューリンは手元のナイフを振って、エルマを立ち上がらせた。


「か……かなりのもんっすね……」

「ええ、とても」

 庭先にふっ飛ばされた2人は、痛みを堪えながら立ち上がる。

あれ身体強化魔法、こっちも使えないっすか?」

「残念ながら……私が知っている仕組みとは違う原理のようです」

 そう言いながら、琥珀の瞳はひどく好奇心に光っている。

 殺気と復讐の権化と化したテルルは、ゆっくりとこちらに歩み寄る。

「我が魂と意志を貢ぎ、われは力をここに呼ぶ。汝、生命の源としてわれが産み、が意思が貫きの氷と化さん!!」

 テルルが持つ杖の先に、人の前腕ほどの水塊が現れ、瞬時に氷となる。

(あれが詠唱――ですか)

 琥珀の瞳が見開かれている。

「喰らえ!! 氷結の弩アイシクロス・ボウ!!」

 その怒号と共に杖先が振り下ろされ、氷塊の矢が高速で放たれる。

「ちぃ!!」

 スラベルは素早く背を向けて、リュミへと伸びる射線を遮る様に身を飛ばす。

 氷塊の矢がスラベルの背中をたたき、リュミの足元へと吹き飛ばす。

「スラベルさん!!」

 巨剣の厚みのおかげで貫かれる事はなかったが、それでも相当な運動エネルギーを浴びたことには変わらない。

「だ……いじょぶ……」

 意地を見せるようにスラベルが立ち上がり、巨剣を抜く。

「これで終わるかぁ!!」

 テルルの身体がスラベル以上の疾風となる。

 素早く位置を変えながら連発される氷は、サイズこそ指先くらいだが――

「速いっす!」

 スラベルはテルルの身体が止まる場所を察知して、その方角に回り込む。

 氷弾はリュミに真っすぐ飛んでくるので、防ぐこと自体は難しくない。

 ただ、脚力強化と氷の魔法を組み合わせたテルルの戦術は、ジリジリとスラベルの体力を削っていく。そして――――

氷結の弩アイシクロス・ボウ!!」

 放たれた氷塊の矢を受け止めたスラベルの身体が、再度吹き飛ぶ。

(腕力も強化?!)

 空中でそう思っても、もう遅い。

 巨剣と共に地面に叩きつけられたスラベルの意識が、一瞬遠のく。

「リュミちゃん!!」

 距離が開いたことに焦るが、ダメージのせいで身体が上手く動かない。

 その様を見て、テルルは動きを止める。

 冷気が漂う中で復讐と殺気を放ち続ける彼女は、氷鬼ひょうきと呼ぶべき冷たい表情を崩さない。

「今度は止まらん!!」

 テルルはまたも疾風となり、今度は身を止めずに氷弾を連射する。

「避けてぇ!!」

 スラベルが叫ぶ。

 だが、その叫びも虚しく、スラベルの目には全周囲から放たれた氷弾が、リュミの体を蜂の巣の様に貫く光景が――――


 届かなかった。


「なに?」

 氷鬼の動きが止まると同時に、空からひょうが降ってくる。

 いや、それは雹ではなく、テルルが連発した氷弾――――


「なるほど」

 2人の視線の先で、リュミは空を見上げている。

 夕日が赤く染まり始め、未だ降り止まない氷弾に赤い色を与える。

「魔法士の戦いとは、こう言う物なのですねぇ」

 不思議なことに氷弾の雨は、リュミを中心に、その周りに降り注いでいる。

 彼女の顔に落ちる氷弾は、1つもない。

「どういうことだっ?!」

「何事も自分で確かめる、そう学ばなかったですか?」

「舐めるなぁ!!」

 氷結のいしゆみが放たれる。しかしその氷塊の矢は、リュミの遥か前で坂を登るように射線を変え、ついには空に向けられると、勢いをなくし地に落ちる。

「馬鹿な?!!」

「垂直の壁で防ぐ、と言う手もあったのですが、ちょっとした遊び心が出まして」

 よく見るとリュミの体の周りに、紫色に透き通る坂のようなものが見える。

 彼女の全周を包むそれは、紫色のガラスで出来た小山のようにも見える。

「重力のスロープ登り坂、と言うやつです」

 琥珀色の瞳に、テルルが捉えられる。

「いわば余興――――ですよ」

「ふっざけるばっ?!」

 テルルのタックルが、見えない壁に阻まれる。

「私も色々確かめました。身体能力の向上限度に氷の魔法の使い方、更には詠唱に魔法の杖。誠に魔法士らしい戦いです」

 強かに顔をぶつけたせいか、血が流れる鼻を抑えて呻くテルルのもとに、琥珀の瞳がゆっくりと近づく。

「しかし、聞いてみないとわからない事も世の中にはあります。なので私はお尋ねします。あなたはこれだけの魔法を使って――」

 仰向けのテルルの眼前に、しゃがみ込んだ琥珀色の瞳が広がる。

「体調は崩れませんか?」

「そんなもん!! 知るかぁ!!」

 テルルは手のひらに大きな氷柱を顕現し、その先端をリュミの蟀谷こめかみへと叩き込む。

 だがそれは、彼女の耳元に現れた炎の壁に吸い込まれるように、消えてしまう。

「なるほど、この程度では、ということですか」

 リュミは立ち上がり、倒れたテルルに背を向けて、そこを離れる。

「では、私も真似してみましょう」

 突如、テルルの身体が空中へと突き上げられる。

 その下に現れた重力の柱が、テルルの身体を舞い上げたのだろう。

「流れ持つ水の力よ! われを知れ! そのわれが命ず! 氷結せよ! 刃を砥げ! 我の意思の下、万物を切り裂き! 我敵わがてきに悠久の眠りを!!」

 テルルに背を向けたまま、リュミの右手が頭上に円を描く。

豪氷の円刃マクス・アイシクル・チャクラム!!」

 振り向きざまに、リュミは青く光る円月輪をテルルへと放つ。

 それは氷鬼テルルの胴体を上下に切り裂くと同時に、瞬く間に凍てつかせる。

 無惨にもは凍りついたまま落下し、粉々に砕け散った。


「ちょっと――――かっこつけ過ぎですかね?」

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