接触-06

 まだ太陽が真上に輝いている時刻。

 魔法省の裏口付近で、テルル・セルミーナは鮮やかに馬上に着く。

 白いローブに薄藍色のフード付きマント、如何にも魔法士然としたその格好は、知性を感じさせることはあっても、身体能力の高さを表す物ではない。

 むしろ一般的な視点からすれば、その格好から受ける印象は「運動は苦手」と言うもの。

 そういった事もあり、テルルの身のこなしは、それを見たものから感嘆の声を引き出さずにはいられない。

 常に全身鎧フルプレートを身に着けていたアルミーナは、18歳まで軍隊で剣の腕を磨いてから、魔法省で学び始めた。

 たった2年で頭角を現し、主席指導官と自警団団長を8年務めたアルミーナは、まさしく【武】の1文字がよく似合う。

 一方のテルルは【智】のイメージが強い。

 7歳違いの姉とともに、11歳から幼年学校で学んできた彼女は、姉の様に短期間で才覚を表すとは行かなかった。

 しかし、使いこなせる者が少ない氷の魔法を独学で磨き、更には身体強化魔法の効果を他人に与える術を見つけるなど、その能力は優秀。

 しかも姉に鍛えられてきた事もあり、彼女の身体能力は高い。

(やはりご姉妹だけのことは有る)

 声にこそ出さないが、彼女に続き鞍上あんじょうに着いたヒューリンも心中で評する。

 彼女にとって姉と比べられるのは、光栄な事だった。


 一方で、自分のわずか後方で馬を進めるヒューリンを見て、

(随分と印象が変わるな)

 と、テルルは思う。

 校長室の中で見た彼は、満月の夜に不気味な城の中で伸びる、怪しい人影。

 しかし、今こうして陽の光の下で見ると、随分と地味に見える。

 テルルからすれば、中位職の後ろで下命を待つ事務員と言った印象。

 胸ポケットからペンが覗いているが、インクも紙も無いのに意味があるのだろうか?

 それ以前に、そんな所に入れたら胸ポケットがすぐに汚れる。

 おそらく、たまたまそうしていたのを、置き忘れたというところだろう。

(気が回らない秘書官だな。あの雰囲気は校長の権威を傘に着て、か。小物だな)

 だが、校長首席秘書官という立場がどういった物か、テルルにはわからない。

「ヒューリン殿、我ら2名だけで本当に良いのですか?」

 なので、それなりに言葉を選び、疑問を呈す。

「ええ、あまり威圧的になっても先方に良くありません。それに、我々は戦うことが目的ではありませんので、輩の集団と出会でくわした際には、撤退せよとの命令です」

「そういうものですか?」

「あくまでも目的は保護です。目立つことは避けよとの命令ですので」

 ヒューリンの印象からすれば、それは彼自身の希望ではないかと思う。

 目立つことが良くないことは理解できる。彼女が長を務める自警団とは、あくまで自衛や治安維持のための組織であって、暴力装置ではない。

 それが一部の貴族たちの建前であることは理解しているのだが、姉の考えを一番に優先するテルルからすれば、武力を振るう集団になるつもりはない。

 それ故に威圧的になるのもどうかとは思うが、それでも相手は男爵家だ。

 自分と秘書官の2人だけでは、いくらなんでも失礼では?

 そんな疑問を再度投げかけようとしたが、テルルはその考えを止める。

 こうして視線を受けながら、一向に気にする素振りを見せないヒューリンに聞いても、それが命令ですので、の一言で終わるだろう。

 居心地の悪さを感じたので、彼女は腰に下げた短い杖を見る。

 その杖先で光る宝石を見ると、心が落ち着く。

 3年前、姉からもらった魔宝玉の指輪。校長から頂いたものだと説明されたその指輪には、深い藍色の宝石が飾られている。

 残念ながらその指輪は、今でも彼女の指には大きい。

 とは言え、せっかくもらった物を使わないわけには行かないので、職員に頼んで指輪が嵌め込める短い杖を作ってもらった。

 テルルがこの杖に持つ誇りは、姉からもらったという入手経路だけが理由ではない。

 事実、この杖を使うようになってから、自分の魔力、魔法の威力は上がったと自負している。

 つまり、彼女にとってその杖は、自信の源なのだ。

 そして、こういった力の源泉や、知識を得られる魔法省に対しても、誇りを持つ。

 もっとも、校長があの人でなければ良いのだがと、思わなくもないのだが……


 そうしてたどり着いた屋敷から、呼び鈴の反応がない。

 留守ならば出直すか、と扉から一歩下がった所で、影が動く。

「無礼が過ぎるぞ、ヒューリン殿! 留守宅に勝手に入るなど!」

「構いません」

「曲がりなりにも王国男爵家だ!」

「構いません。主なき家です」

「ご子息を忘れたか?!」

「居れば僥倖、不在で結構。何れにせよ、情報も保護対象です」

 気付けばヒューリンは、すでに屋敷内へと歩を進めている。

「それに、どうやらご在宅のようです」

 無礼に加え、相変わらず視線すら合わそうとしない態度に不快感を強める。

「なぜわかる?」

「この香りは一級品、淹れてそれほど時間が経ってません」

 香りという一言に、テルルは鼻を利かせる。

 古紙独特の匂いが立ち込める中で、かすかだが確かに、淹れた紅茶の香りがする。

 それも、言われなければ気付かない程度のものだが。

「ふむ、一階奥の部屋のようですね。どうしますか? 私は命令を遂行しますが」

 ふんっ! と苦々しい表情になるが、どうせ見もしないだろう。

 在宅にもかかわらず呼び鈴に反応しないということは、向こうにもやましさが有るのかも知れない。ならば確かめるまでだ。

 そう考えをまとめ、一歩進む事で、賛同の意を示す。

 それに気付いたのか、ヒューリンは足音どころか気配までも完全に消して、すでに一番奥の扉にたどり着いてる。

(驚かされるな。よほどの手練でも、あれには気付かないだろう。自分だって見えていなければ、あそこに居ることに気付けない。それにしても無礼は無礼だ)

 憤然として、テルルはヒューリンのもとに向かう。

「ほほぅ、これはこれは」

 扉を開けたヒューリンの横顔が、珍しく興味を湛えている。

「居るのであれば礼儀を尽くせ! 知らぬわけではないだろう!」

 手のひらを上に向けたまま指だけを動かし、手招きをしていることにも腹が立つ。

 それでも、彼女も元帝国貴族、それに自警団団長だ。挨拶はきちんとすべきだろう。

「この者が失礼した。私は魔法省自警団団長のテルル・セ――――」

 そこまで発した言葉が、思わず止まる。


 部屋の中には深緑の髪が美しい女傭兵。背中のブロードソードではなく、フィールドナイフを構えているのは、この部屋の広さを考慮してのものだろう。

 表情から焦りと緊張が伺える。


 彼女の後ろで震えている赤毛の少女は誰だろうか? 格好からするに傭兵の様だが、それにしてはあまりにも幼すぎる。9歳か10歳と言った頃だろうか?

 白いボディスーツに赤の上下とは、随分と派手だ。


 もう1人の少女も傭兵姿。栗色の髪に黄色い瞳が可愛いが、目付きはやけに鋭い。

 紫色のボディスーツが、やけに似合う。

 彼女も赤毛の子同様、武器を携えてはいないようだ。


「なんだ、物取りかなんかか?」

 雰囲気のトゲを収め、テルルは警戒を解かずに問いただす。

「い……いえ、あたしたちはちょっと、この家を借りて休憩しているだけっす」

「無人の家でか? 怪しまれてもしょうがないぞ?」

「弟子たちが、疲れた……と言い出したもので……」

「お前の弟子か? 随分と幼い弟子だな」

「まだ武器も持てない、半人前の半人前っすよ……あはは……」

「そうか、本当に物取りではないのだな?」

「滅相もない!! ただ……ちょうどいいお屋敷だったので、ついつい……」

「この屋敷に居るのは、お前たちだけか?」

「はい!! その通りっす!!」

「ふむ」

 テルルは改めて3人を見やる。

 たしかに物取りではないようだが、この屋敷に居るのは怪しい。

 緑髪の傭兵の言葉に、嘘はないようだが……

「あの、自警団の方のようですが、お2人は何しにここへ?」

「剣を収めよ」

 勢いに気圧けおされたのか、深緑の傭兵がフィールドナイフをしまう。

「この家はさる男爵家のものだ。我々はそのご子息、アマルガ殿を保護しに来たのだが……どうやら不在のようだな」

「いえ、テルル殿」

 そうつぶやいたヒューリンの胸元から、何かが素早く飛ぶ。

「確かには居ないようですが、はそこにいます」

 放たれたペンは少女の頭を掠め、栗色の髪を――まとめて――落とした。

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