接触-04

 大木のような男が、街中を闊歩する。

 その大木はまだ瑞々しく、長い年月や老獪さよりも、力強さと若さを感じる若い巨木だ。

 顔の皺から40歳程度と思われるその男は、いわおのようないかつさよりも、やはり大木と表す方が適しているだろう。

 大人の男としての風格を漂わせつつも、若干柔らかいその目付きのおかげで、他者からも人当たりが良いとされている。

 そして何より……彼の腰の剣と胸に輝く王国地方軍、モルガネ治安維持部隊長を表す紋章こそが、彼の信頼を厚くしている。


 所謂警察の中位職な訳だが、本来一歩距離を置かれて然りとされるその地位の彼に対して、市民は信頼の視線を寄せている。

 こうして街を歩いているだけでも、市民は安全と安心を実感し、笑顔で軽く頭を下げる。

 その評判は上々で、軍上層部が異動を提案するたびに、商人の代表から猛烈な反対意見が飛び出てくる。


 曰く、新任の者が治安レベルを維持できるとは思えない。

 曰く、治安とは市民たちの安心と信頼のもとに成り立つもの。


 本来平民を見下すはずの貴族たちでさえ、治安維持による税収安定のために、その意見を補強してくれる。

 おかげで栄達とは無縁になってしまったわけだが、当人は気にしていない。

 むしろ今気になるのは、彼が守っている市民たちの顔色が、若干陰っていることだ。


「キルシュさん」

 爵位名の無い下級貴族とは言え、彼も王国貴族の一員である。

 本来ならば「様」が正しいところなのだが、気にするつもりはない。

 これもまた、モルガネ治安維持部隊長として民心を乱さないための手なのだ。

「どうしましたか?」

 より一層不安の影が濃い婦人に、キルシュは丁寧に応対する。

「あの……その……アルミーナ様がその、お姿を消されたという話ですが」

 要点を得ないその質問に、キルシュは何かを感じ取る。

 魔法省の自警団団長、アルミーナ・セルミーナの名は、彼に複雑な感情を想起させる。

 街の治安と平穏を守るという目的は共通でありながら、仰ぐ旗が異なる1人。

 治安維持隊の人手不足を感じていた中で、初動捜査や警ら、犯人確保を手伝ってくれながら、それでいて身柄の拘束や尋問と言った自分たちの仕事は任せてくれる。

 何よりも高潔で真面目な性格に、キルシュも一目を置いていた存在。

 それ故に、その要点の不確実さから、彼は事情を推察した。

「自分の耳には、その様な事は届いてません」

「でも昨日、魔法省の建物が壊れたという噂を聞いて……」

 なるほど……とキルシュは思い当たる。

 確かに昨日、魔法省が騒がしかったことは、彼も気付いていた。

 本来ならば街の状況や情報が自ずと集まるはずのキルシュだが、組織の壁の向こうは容易にあずかり知れない。

 むしろ、モルガネの治安維持部隊長と言う中途半端な職位故に、その伝達を遮ろうとする動きがあって然りだろう。

 だからこそ、こうして普段から市民の信頼を得ていれば、そのような情報を容易く入手できる。しかも、自分から尋ねていない所が重要で、自然と耳にしたという事実は、のちの禍根や面倒事を防いでくれる。

「そうですね、それは自分も気付いておりました」

「アルミーナ様は、それに巻き込まれたのでは?」

 数瞬で考えをまとめたキルシュは、人の良い笑顔でこう返す。

「ご心配なく。もしそうであれば、自分の耳にいち早く届いているはずです。共にこの街を守るお方ですからね」

 嘘が入らないように注意する。

「それに、人類の至宝と謳われたアルミーナ殿のことです、きっとご無事でしょう。むしろ、皆様が暗い顔をしている方が危ないのです」

 周りの、少しでも多くの人の耳に入るよう、キルシュは声量を高める。

「噂を広めたり、皆様が暗い顔をされていては、悪人どもを調子付かせます。我々を始め、皆様も自警団にはお世話になっている身。自警団の方々の負担を軽くするためにも、明るく行きましょう! 我々治安軍もついています! 大丈夫です!!」

 その声を耳にしていた市民たちから、感嘆の声が上がる。

 普段から自警団とは良好な関係を示し、市民の厚い信頼を勝ち得ていたキルシュだからこそ出来る演説は、瞬く間に広がった。

 狭くはないモルガネの街に陰っていた薄暗い影は、1時間もせずに消えていた。


 そうした陽の雰囲気を取り戻したモルガネの街に対して、彼のいる部屋は陰の空気で満ちている。

 それは、香辛料のような匂いの煙が部屋に充満しているからだろう。

「お頭」

 そう声を立てた男の視線の先には、薄い布が垂れている。

 その向こうに横たわっている影は、気怠そうに身を起こす。

「例の手配役からの情報です。朱雀香すざくこうを作った男が、この街に来ています」

「そうか」

 ふわぁ~~あと欠伸あくびを立てながら、お頭と呼ばれた男は自らの後頭部をボリボリとかき、身軽な動きで立ち上がる。

「スリ共に相手をさせな。上がりは依頼料だ、取らなくていいぞ」

「了解です。それでは自分は持ち場に戻ります」

 幼さを残す声に返事を残し、部下はすぐに姿を消す。

「ご苦労なこった。アイツも、あいつも……」

 情報源である後者の顔を思い浮かべて、お頭は冷笑を称える。

「ねぇえ~、ツペルクぅ~。朱雀香ってなぁに? 新しいお薬?」

 先程まで彼の横で寝そべっていた半裸の女が、身を起こす。

 ツペルクと呼ばれた彼は、均整の取れた細身の身体を彼女に向けること無く、問いに答える。

「お前は気にいるかもな。龍眠香嫌いだろ?」

「アレ、きら~い! なんかガルガルしちゃうもん! ベッドの上なら良いけど、外で暴れるのはいや~!」

「だよなw けど、朱雀香と一緒に使ってぶっ飛べば、ガルガルせずにベッドで燃え燃えだぜ?」

「すご~~~~~~い!! それ欲しい!!」

「ま、2つとも潰すけどな」

 ツペルクの顔が、真顔になる。

「えぇ~~~~!! もったいない~~~~!!」

「俺はな」

 そう言って素早く、ツペルクは彼女の横に身を倒す。

「シンプルにやってきたんだ。そう言う新しいおもちゃは、シンプルさを壊すんだよ。めんどくせぇのは嫌いだ。だから潰す。それによ」

 枕元にある円錐の香に火が灯り、香辛料の匂いが強まる。

「他にもいっぱい、薬はあんじゃねぇか」

「あぁ~~! 濡れちゃう! 燃えちゃう! 早くきてぇ~~~~!!」

 女の細腕が、ツペルクの無駄のない筋肉に絡みつく。

「な? 十分なんだよ。こんだけあれば」

 ツペルクもまた、女の背中に手を回した。


(毎度思うが、本当によく出来ているな)

 先程ツペルクに報告を上げた男は、人通りがまばらな道で、乞食のようなボロを纏い佇んでいる。

 申し訳程度に置かれたザルの中には、パンが2つ買える小銭が見える。

 彼の視線の先には、なにかの小売店の裏口。扉の横には小さな箱が据え付けられており、普通はそこに手紙などが放り込まれる。

 視線を気取られないようにその箱を視界に入れて、彼は自らのボスを褒め称える。

(決まった時間にあそこを覗く。目印を入れる手配役も、決められた時間を守る。その間は数時間離す。これで互いの顔を見ずに済む)

 それは、野盗として捕まった時に芋づる式に組織を見破られないためのルール。

 新入りが増える際にそのルールが受け継がれるわけだが、それは古参がこの街を去る時。

 古参は必ず後釜を残すのも決まり。

 なので、日頃から信用の置けそうな人物に目星をつけておく。

 酒場や飯屋、時には道端で声をかけ、手短に意思を確認したら、そのルールを語り継ぐ。

 後は寝倉に一筆残しておけば、彼のようなボスの側近が即座にそれを回収し、手配役に新入りの居場所を密かに告げる。

 こうして、手配役も人さらいを働く側も、互いの顔を知らずに動くことが出来る。

 そして、その日に集まる働く側も、同じメンツが集まることはない。

 ツペルクの発案で始まったこの仕組は効果を発揮しており、現に捕まった者から他のメンバーが検挙されたことは一度もない。

(それに……)

 彼は今、自分が監視している裏口横の箱に何かを入れた人物を、目で追っている。

(あいつが手配役なら、人選も時期もベストだ)

 彼の視線の先には、頼もしい大木のような男が歩いていた。

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