接触
接触-01
魔法省ラバスト地方幼年学校の校長室。
その主は、ラバスト領内限定とは言え、魔法省のトップとしての権力を持つ事になる。
魔法省はあくまで教育機関である。
その目的は魔法を使える魔法士の育成、魔法知識の伝播、魔法全体の発展であり、国家同様の存在を目指しているわけではない。
しかし、魔法は大きな力を持つ故に、権力からの注目を集める。
そして幼年学校は、貴族たちが魔法という力の独占を目論む場となり、宮廷や行政機関とは別の、賄賂や癒着と言った表沙汰には出来ない取引がうごめく組織となった。
そういった背景の中、地方の治安維持を助けるという名目で結成されたのが、魔法省自警団である。
もっともそれは建前で、王家や帝国の既存派閥を牽制したいというのが、その資本を提供する貴族たちの本音なのだが――
昨日、ラバスト領自警団団長を拝命したテルル・セルミーナは魔法省ラバスト地方幼年学校校長室の扉の前で、大きくため息を吐いた。
(アルミーナ姉様はいつも言っていた。校長は一筋縄ではいかない。姉様がため息混じりにそう評価する人物に、私ごときが上手く対処できるのだろうか?)
校長も自分も、そしてアルミーナも元は帝国貴族である。
魔法省の職員になるためには、貴族としての籍を返還しなければならない。
セルミーナ家は今も帝国で爵位をもっており、領地を下賜されているだけの伯爵家。
一方校長は、帝国議会の常任議員を務めたこともある元侯爵で、その爵位は1階級だけの差であるが、その実権は計り知れない物がある。
共に貴族籍を捨てている以上、そういった過去に縛られる必要はないが、それでもその権威はまだ有力であり、注意を払うべきだろう。
校長と自警団団長。その関係以上の責任がついて回る以上、軽々な態度は取れない。
そして、それら以上に入室の意思を弱らせる要因がある。
(しっかりしろ、テルル! 姉様の名に泥を塗るな!!)
そう言って自ら両頬を叩き、扉をノックする。
「どうぞ」と言う甲高い声が、入室を促す。
帝国時代に身に着けたマナー通りに部屋に入ると、異形がそこに鎮座している。
何度かその姿を見たことは有るが、やはり異形だと、テルルは思う。
豪華な、しかしサイズとしては一般的な執務机の向こうに腰から上が見えているのは、彼が座る椅子の座面が極端に高いからだろう。
そこに鎮座しているラバスト地方幼年学校長、ホルデム・ガーメインの体躯は、よく言って5歳児のそれだ。
手足はまるでおもちゃのようで、一般生活に支障があるのではないかと疑ってしまう。
しかし、顔には深い皺が刻まれており、58歳という年齢を裏付けて見える。
とりわけテルルが違和感を覚えるのは、その目付きだ。
少し垂れ下がったその目は、貴族特有の「あらゆるものを見下す」ものであり、更に男性特有の性的視線を感じずにはいられない。
外見ではなく、その目付きにより、テルルは彼を好意的に思えない。
役職に縛られていなければ、対面は御免こうむりたい存在なのだ。
「お久しぶりです、セルミーナ団長」
「恐縮です。できれば前任同様、テルルとお呼びいただければ」
本心は、目前の相手からは死んでもそう呼ばれたくはない。
しかし姉がそう願った以上、少なくともこの地方の自警団長はそう呼ばれるべきだろう。
彼女の願いは、貴族の証したるミドルネームを失って尚、家名だけは捨てられない事に起因する。こうして家を出た以上、家名の威光に照らされた道など歩みたくない。
それは決まりではなく、ただの考えなのだが、テルルは姉の考えを尊重する。
テルルは姉であるアルミーナを尊敬して止まなかった。
「アルミーナ殿の事は残念でしたね」
甲高い声だけは、幼児そのもの。だが、だからこそ、その言葉が素直に受け取れない。
「いえ、私は今でも信じておりません。巨大な炎が姉を殺した、等という
「ふむ」
ガーメインの腕が、彼の顎へと伸びる。
「感心しませんね、テルル団長。わが校職員の報告を信じない、と仰いますか?」
「そうではありません。報告では【消した】、となっております。ですが、それを死……んだという風に捉えるものが多くおります」
言葉の詰まりに、テルル自身も整理がついてない事が伺える。
「確かに、アルミーナ殿の扱いは行方不明、でしたね」
「ですから、殺……したという表現を、否定するものであります」
「まあそれでも、標的の近くにいた職員や学生たちの多くは死んでいます。その死に様は多様で、極度の火傷が大半ですが、標的から近くになると【炭化】という表現が当てはまるような死に方です。しかし問題は――――」
両腕をぶら~んと伸ばす姿こそ、ガーメインの普段のポーズだ。
「標的からの距離です。近くと言った表現を使っていますが、あれが近くなら、帝都までの数百キロは、ちょっと遠いくらいになるでしょうな」
現在、屋外鍛錬場は立入禁止となっている。
直径百メートル前後もの巨大な建築物の半分以上が、焼失しているためだ。
行方不明者と死亡者は、合わせて数十名。
新入生の初指導会なので参加者は少ないが、それでもそこにいた人間の大半が死んでいる。
「威力も問題でしょう。人間が炭化するなど、一瞬で高温の熱波を浴びたとしか思えません。標的から数十メートル離れた人間を炭化する熱波を放つもの、そんな物の付近にいたものが無事だとお思いですか?」
ガーメインからは問い正すと言う感情が伝わらない。無感情なただの、考えの羅列。
「私は、火に触れた水のように、蒸発したと考えていますよ」
嫌悪する男が、尊き姉の死を無感情に語る。
我慢の限界が近いことを、テルルは自覚している。
しかし、そうしてしまうことが最悪の結果を――自分の免職だけではなく、家族への悪影響も――招く事を理解しているから、なんとか踏ん張っている。
「さて、そちらの考察も重要ですが、本題はそちらではありません」
「はい……」
テルルはなんとか感情を落ち着ける。
「詳細はヒューリン秘書官から」
「は!」
執務机の向かって左に、月明かりで不気味に伸びた人影のような男が立っている。
校長首席秘書官、カナル・ヒューリンの声を、テルルは初めて耳にする。
「王国貴族、フロンテル男爵が子息、アマルガ・ロロミナント・フロンテルの身柄と、情報の保護をお願いします。彼らは衝撃を与えるだけで爆発する火薬、なるものを発明したそうです。この存在は現在の人の世に過分な力であり、魔法省によって保護されるべきものだと認識しております」
「ご子息だけでよろしいのですか?」
ヒューリンは手にした書類から目を離さず、問いに答える。
「フロンテル家当主、ノベル・プロミナンス・エル・フロンテル男爵は先頃、殺されました。街中でスリに遭い、その犯人を追走した結果、犯人の仲間から返り討ちにあったそうです。犯人たちの逮捕は済んでおります」
「かしこまりました、自警団のパッテン殿を行かせましょう」
「いえ、あなたに行ってほしいのですよ、テルル殿」
ガーメインが口を挟む。
「衝撃を与えるだけで爆発する火薬、なるものが本当であれば、共同開発者であるご子息のことを、どの様な組織が狙っているかわかりません。王国側との認識合わせは済んでおりますが、強盗や野盗と行った輩が相手になると、信頼に足る手腕を持つあなたにお願いしたいのです」
否がないことを知っての、これは強制。
別段引っかかることもないテルルは、素直に任務を受け、挨拶も早々に退出していった。
「やれやれ、嫌われてますね」
「不敬の極みと言うべきでしょう」
「魔法省にそのようなものはありませんよ、秘書官」
「申し訳ありません」
影が恭しく、頭を下げる
「としても、彼女だけで大丈夫ですかね?」
ガーメインのそれは、含みの有る問いかけ。
「そうですね、彼女の性格から情にほだされて――ということもあるかと」
ガーメインはニヤリと笑う。
「あなたのそう言う、一度は建前を言う性格、好きですよ」
「恐縮です」
「聞けば亡くなったフロンテル男爵は、あなたが強く興味を惹かれるお人柄、らしいですね?」
「そのようです」
「では、校長権限であなたにも同行を命じます」
「ありがとうございます」
影は影らしく、音もなく部屋をあとにする。
「そうですよ、欲望に忠実で、それを手に入れられる力を備えること、それが――――
栄達の鍵です」
校長室に、ガーメインの小さな笑い声が残った。
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