出立-08

 竜巻の様な疾風かぜが、男の体を浅く、幾重にも刻む。

 そのたびに彼は、死神の指がゆっくりと伸びてくる事に怯える。

 傷口の上に傷口が産まれ、麻痺したはずの痛覚が蘇るように刺激される。

 悲鳴を上げるほどでもない僅かな痛み。

 そんな痛みの中で、彼の恐怖が絶頂を迎える。

 俺は一体、何をされているんだろう?

 俺は一体、何に殺されるんだろう?

 おではりったい、どうかってしぬほだろう――――


 息絶えることが出来たその顔には、恐怖が浮かんでいる。

 狂死――――


 それを与えた愉悦の主は、歪んだ表情のままで男を見下ろす。

早漏はやいっすね」

 その結末に、彼女は少しだけがっかりした。


「もうやべてくでぇ!!」

 聞きたかった悲痛な悲鳴が聞こえた場所に、スラベルは駆け着ける。

 宿屋の裏側に迫る岩壁、そこには魔法省のしるしを自分たちに見せつけた男が、垂直な岩肌沿いに宙に浮いている。

 いや、よく目を凝らすと、彼の手首、足首、腰、首に、紫色にのような物が見える。

 彼の身体はその透明な重力の枷によって、岩壁に身を固定されているのだ。


「俺は! 俺はただの絵描きだ!! 似顔絵描きじゃ飯が食えないから、アイツの誘いに乗ったんだよ!! 魔法省の印を偽造すれば、大概のやつは騙せるって!!」

「本当にそれだけですか?」

 見れば、男の直ぐ前にリュミが立っている。

 その右手の指先には炎が、左手の指先には空気まで凍らせてしまいそうな冷気を放つ氷が、それぞれ浮かんでいる。

 リュミはゆっくりとその炎を、はだけられた男の胸元に押し当てると、その直ぐ近くにすぐさま氷を当てる。

「ばぁぁああああああああああ?!!!」

 疑問系の悲鳴が、あたりに響き渡る。

「高熱と激冷、その2つを僅かな距離で押し当てれば、感覚器官が混乱して、狂い出しそうな激痛が走る、と聞きましたが」

「やべぇごぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

「良い声できますね――」

 リュミの顔が歓喜に歪む。

「あ……悪魔……」

「変えましょうか? 排尿口からトゲ付きの塊を差し込む、という術を、で読んだことがあります。こちらのほうが良いですか?」

「わかった!! 言う!! 言うから止めてくれぇ!!」

 必死な叫びを遮るように、リュミがポツリと呟く。

「言わなくてもいいのに」


「魔法省のことなんて何も知らない!! 俺はただ、アイツにそそのかされたんだよ!! 行き過ぎた力を持つ奴を捕まえれば、高値で売り払えるって!!」

「嘘つき」

 リュミはまたも、炎と氷を押し当てる。

「ぼぁあああああああああ!!!!」

「魔法省のことについて、知っているじゃないですか」

 リュミは薄く微笑んでいる。目元のそれはかけ離れたものだが――――

「アンタのことは知らない!! 俺が聞いたのは赤色の髪のガキだ!! 本当びゃぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」

 男の股間から、液体が漏れ出す。

「その人はどこに?」

「話す…… 話すから止めてくれ……もう耐えられそうに……ない……」

「つまらない――――ですね」

 声から伝わる力が弱々しいその様子に嘘がないことを悟り、リュミは魔法をすべて消し、男を自由へと戻した。


「馬車の中だ……檻につないである……」

「本当ですか」

「嘘つく余裕ねぇよ……ここから北のアルボって村の途中にある屋敷で……捕まえたんだ……」

「そうですか」

 リュミが指を鳴らすと、男の体が紅蓮の炎に包まれる。

 悲鳴をあげることも出来ないまま、その身体はわずか数秒で骨まで灰燼と化した。


「すげぇっすね、リュミちゃん」

 流石に驚嘆を隠せない様子で、スラベルが声を掛ける。

「お見苦しい所をお見せしました。これが、私の力です」

 振り向いたリュミの姿に、スラベルは更に驚く。

「紺碧の――姫?」

「はい、私です。おじさまでもこれくらいはします」

(末恐ろしい……っすね……)

「もう1人も焼きましょう、それに――――ララベルさんも」

 その碧い瞳に何かを悟り、スラベルはゆっくりと首肯した。


「この力を使いすぎると、私は大きく体調を崩します。それは、すぐに現れることもあれば、今日のように時間差で来ることもあります」

 大きな炎が上がる場所から離れた所に、大きな穴が口を開いている。

 巨大なスコップで一度に掘り上げられたかのようなそれは、ララベルを眠らせるための墓穴。

 スラベルがその穴の底に、ゆっくりと遺体を横たえる。

「そして、どの程度力を使えば、どれくらい体調が崩れるのか、まだわかりません。先程くらいであれば、それほど酷くないと思うのですが」

 墓穴の中のスラベルに手を差し伸べると、彼女はリュミの手を掴む。

 穴から出たスラベルは、ゆっくりと丁寧に土を穴へと戻す。

 リュミもそれを手伝う。

 2人の頬に一筋が、流れる。


「あれ? あたし、泣いてる?」

「ごめんなさい、私が体調を崩さなければ……」

「違うっすよ、リュミちゃんのせいじゃないっす。これはあの馬鹿2人のせいです。あの2人が……ララさんを……ララ……さんを……」

 悲しい嗚咽が、闇夜に静かに響く。

 それでも2人は、手を休めなかった。

 優しい母のような、優しいその彼女の、最後の眠りのために……


「それで、あたしを雇ったんすね」

 小さな三角形を付けた杭を、穴の上に指す。

 それが、この世界の墓標。

 物騒なことは少ないが、それでも全く無いわけではない。

 それは宿主が、宿泊客の最後の眠りのために用意していたもの。

「はい、2人旅は心許こころもと無いので。だって私達は、ですから」

「そっすか」

 素っ気なくも納得したという返事を、スラベルは返す。

「お金は払います。この先もっと面倒なことが、きっと……だからスラベルさんはここまでで構いません」

「それは出来ないっすよ」

 スラベルが少年のような無邪気な笑顔を、リュミに見せる。

「だってあたしたちは、あのご飯を一緒に食べた仲じゃないっすか」

 碧い目から涙が溢れて、思わずスラベルに抱きつく。

「どうせ、行き先は同じっす。それに妹のことは、ほっとけないっすよ」

 ほのかな体温が、腕から伝わってくる。

 替わりにするのは駄目かなと、一瞬思う。

 それでも、腕の中で泣き止まぬ彼女は、か弱き少女には変わりない。

 だったら、今度はちゃんと守り抜こう――


 そう肩を寄せ合う2人の背後で、ガタリと荷馬車が大きく揺れた。

「忘れてたっ――すね」

「はい――」

 ガタガタと揺れ始めた馬車に、2人は用心深く近づいていった――

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