出立-07

 部屋に戻ったスラベルは、使い慣れた方のベッドに腰掛ける。

 リュミも続くように、先程まで体を休めていたベッドに座る。

「怪しい奴等っすね。とてもそう本物とは思えない」

 スラベルが扉を見つめているのは、階下を気にしているのだろう。

 だが、そこからの声は聞こえない。

 酒盛りの声を気にせず眠れるようにという心遣い故に、宿の扉や壁は厚くなっている。

「間違いなく、彼らは魔法省の者ではありません」

 リュミの声の温度が、先程までとは比べようもないほど冷たい。

「そっか、魔法省追われてるんすね」

 流石にすぐに気づきますねと、リュミは思う。

「黙っていたわけではないのですが……」

「しゃあないっす、昨日の今日っす」

「申し訳ありません」

 頭を下げるリュミに、スラベルは気遣い無用と頭を振る。


「けど、なんで言い切れるっすか?」

「私の見た目は、魔法省に知れ渡っているはずです」

「ん〜〜……確かにリュミちゃんの目と銀髪は目立つっすが、そう簡単に魔法省の中で有名人になっちゃいますかね?」

「なるでしょう。少なくともこの地域の魔法省職員には。何故なら」

 琥珀色の瞳が、妖しく不気味に揺らめく。

「人類の至宝アルミーナ指導官を、巨大な炎の塊で、蒸発させたのですから」


 まるで強大な悪魔が称えるようなその瞳に、スラベルは恐怖感を覚える。

 これは、絶対的な自信を見せつけた師匠のそれと似ている。

 あのとき、陵辱されていた自分を助けた師匠の目。

 戦いの腕など欠片も感じない貴族を斬り殺す時の、あの目。

 交じるはずのない怒りと嘲笑が、なぜか綯い交ぜないまぜになったあの目。

 しかしそれは――――師匠のものを数倍超える、瞳――――


 恐怖感の正体はそれだけではない。むしろ、それはスラベルに安堵感をもたらすもの。

 では、それは何かという疑問は、直ぐにわかる。

 全体的なそれまでの雰囲気と、今口元に浮かぶ僅かな微笑み。

 それは確かに、街中に普通に佇む少女のもの。

 だからこそ――――

 そこに現れたアンバランスこそが、恐怖の正体。


 だが、スラベルは恐怖とともに、どこかで安心感と納得も覚える。

 眼前の少女が言うそれが嘘ではないことは、その瞳狂気の目付きでわかる。

 しかし、彼女はその力で、自分を従わせようとしなかった。

 スラベルの直感がささやく。

 その力には代償があり、そして今にいたり、だからこそ今でも頼られている。

 大小様々な――自らが仰ぐ師をも追い詰めたものも含めた――力を目の当たりにし、それらに鍛え上げられたスラベルの直感。

 それは彼女を裏切ること無く、今まで生き残らせてきた。

 だから、彼女は瞬時にそれを受け入れた。


「信じてくれるようですね」

が嘘なら、世の中全部嘘っすよ」

「いつかお見せしましょうか?」

「あたしが死なない程度に」

「あなたには

 その笑顔は、ニコッと言う擬音そのままの、少女のものだった。


「それで、そう言い切るわけっすね」

「はい、本当に魔法省の者であれば、私の事に直ぐに気付くはずです」

「魔法省から離れていて、情報が伝わっていないってことは?」

 疑っているわけではないことが、琥珀色の瞳に届く。

 スラベルの表情は、思考の整理をうながしてくれていると、理解したのだ。

「有りえますね。であればより幸いです。が、あの貧相な紙切れだけでは、本物とは言えないでしょう」

 たしかにアレは、魔法省のしるしに間違いない。

 だが、それを描くのは難しいことではない。

 手先が器用なものであれば、あんな物は簡単に書き写せコピー出来る。

「あたしもそう思うっす。あの厚ぼったい羊皮紙に、あの印は書かないはずっす」

 だからこそ、魔法省はその印を、木くずから漉いて作った紙にしか印さない。

 平民家庭すべてに渡す適性検査のしらせですら、その手触りの良い上質な紙を使っていた。


「しかし、そうならそうで厄介っすね。そういうもんを簡単に偽造して見せびらかすってことは、無法者って事っすから」

「あの程度のやから、スラベルさんならば物の数ではない――のでは?」

「そこは問題ないっす。ただ、おつむの足りない馬鹿野郎は、何をしでかすか――」

 そう言い切る間もなく、2人の耳に物音が届く。

 防音の行き届いた部屋でそれが伝わると言うことは、相当な大事だ。

 瞬時にスラベルの身体が音もなく部屋から消える。

 リュミの目付きも険しくなっていた――


「ったく、簡単にるんじゃねぇよ! 上の奴に気付かれたらどうする?!」

「心配ねぇ。女傭兵の1匹や2匹、簡単に始末してやるよ」

「けどなぁ!」

「問題ねぇって。それよりお楽しみ上の奴が来たぜ」

 そこに立っていたのは、無感情な眼差しのスラベル。

 そして彼女の視線の先には――胸元にロングソードを突き立てられた、ララベルの姿があった。


「こんばんわ、上玉お嬢ちゃん」

 身なりの粗末な傭兵風の男が、ララベルの身体を足蹴にして、ロングソードを引き抜く。

「冷たいなぁ。人1人死んでるんだぜ?」

 そう男の後ろに、身なりの良い男が隠れる。


「このババァ、剣を預けろとか抜かしやがった」

「宿屋ではがルールっすよ?」

「知ってるよ。けど、俺ぁそういうのが嫌いなんだよ」

 ロングソードから血を振り払うことすらせず、傭兵風の男はニタニタと笑いかける。

「なぁ、その冷静な目を見ればわかるよ、アンタがか。けど、そんな野暮な考えなんか捨てて、俺達と楽しまねぇか? 武器は預けてあるんだろ? その代りに、せっかく良い物もってるんだ、使わねぇともったいねぇ」

 男の下品な視線が、スラベルの豊かな胸から下腹部へと注がれる。

 そんなものは全く気にせず、スラベルは歩を1つ進める。


「お、俺は知らねぇからな!!」

 身なりの良い男が、傭兵の背後から外へと駆け出していく。

「裏の馬車にでも逃げ込んだか? ったく、童貞でもあるまいに」

「気にしないことっす。それよりも、お互いに楽しみましょう」

「良いね、嬢ちゃん!! そう来なくっちゃ!」


 男がそう言い終える前に、スラベルの身体が疾風かぜになる。

 普段巨剣を扱っている彼女の膂力や脚力は、尋常のそれではない。

 女性特有の丸さを称える彼女の肢体から、その事に気付くものは少ない。

 それでも、男の剣は的確に彼女のそれを受け止める。


「フィールドナイフか。やるねぇ」

 背中に隠し持っていた彼女の刃は、間一髪で届いていない。

「そっちもっす」

 語気を全く変えること無く、スラベルはそう返す。

「けどよ!!」

 男はスラベルのフィールドナイフを薙ぎ払う。


「リーチの絶対は、以上だぜ?」

 袈裟斬りに振り下ろされたロングソードを、スラベルはナイフで防ぐ。

「飛ばせなかったか! こいつはたぎるねぇ!」

 男は剣を構え直し、猛烈な攻撃を繰り出す。

 が、スラベルはその全てを、表情すら変えずに受け止める。

「ほらほらほらぁ! 防いでるだけじゃ始まらねぇぜ!!」

「じゃ、行くっす」

 冷たい語気と共に放たれたナイフの一閃が、男の腕を僅かにかする。


「かすり傷か! こいつは褒美をたんまりやらねぇとな」

 まんざらでもないという表情に、スラベルは冷たく言い返す。

「ええ、沢山もらうっす」

 スラベルの無表情が視界から消える。

 男がそれに気付いたのは、自身の足に小さな裂傷が増えてからだった。

「っ痛ぇ!!」

「だから、まだまだっす」

 スラベルの顔が見えたのは、一瞬だった。

 そして直ぐさま、また消える。


 男は、遅かった。

 1つの傷口に気付いた刹那、次の小さな裂傷が増えている。

 たった数秒の間に、男の体には無数の小傷が現れる。

 その一つ一つは、普段の彼ならば痒みにすらならないであろう。

 だが、こうして短時間に大量の傷を与えられれば、その痛みは積み重ねられ、少しずつ、だが確実に、全身を圧倒的な激痛と恐怖にむしばまれていく。


「おめぇ! わざと?!」

 膝を着くことがやっと許された男は、左半身を真っ赤に染めて彼女を見上げる。

「そっちは十分楽しんだじゃないっすか」

 男が剣戟けんげきを演じられた事を、スラベルは言っている。

 一閃でほふるなど、そう言いたいのだろう。

 そしてそれは、自分も同じ。


「だから」

 それ故に彼女は、愉悦を湛えて言い放つ。

「いたぶらなきゃ、こっちが損っす」

 ロングナイフの血を振り切って、スラベルは続ける。


「なます切りって――ご存知っすか?」

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