出立
出立-01
「お嬢様!! リュミエーナお嬢様!!」
瓦礫の傍らで佇むリュミの元に、一人の男性が駆け寄る。
「リュミお嬢様!! よくぞご無事で!!」
老人……だろうか?
頭髪は皆無、白髪の眉毛、曲がった腰に皺深い顔。
「ともかく、ここに居ては危険です! まずは私の家にでも!」
雰囲気から怪しさは感じ取れない。
それでも、警戒を怠ってはならない。
痛いほど教えられた、それは――――教訓。
自分をお嬢様と呼ぶその老人の後ろを、リュミは気を張りながら着いていった。
粗末な一軒家、部屋は2つ。
ただし、扉を入って直ぐの調理場は不釣り合いにしっかりしたもので、とても老人の一人暮らしとは思えない。
調理設備にくらべ、粗末なテーブルの椅子を進められる。
人の気配は……感じられない。
風の魔法の応用で、屋内を探ると言った事もできる。
であれば警戒は、この老人だけで良いかも知れない。
(お知り合い……ですか?)
『はい、宿屋の料理担当、ゴッフェルさんです』
(ご存知であれば、替わったほうが良いかも知れませんね。私はこの世界のことや、この身体を取り巻くことについては、
『確かに』
(お疲れの所申し訳ありませんが、フロイライン)
『これくらい問題ありませんよ、おじさま。しかし、抜かり無く』
(ええもちろん、警戒は変わらず)
瞳の色が紺碧に戻ったことに、
便利だな、と、
こうして誰かの話に心を許しながら、その一方で
2つの自分が1つの体に同居し、そして、互いに意思疎通ができる。
二重人格……とは違うような気もする。
これからも活用していこう。
そして……改めて孫を見るような優しい目で、心からの安堵を見せるこの老人。
ゴッフェルは確かに、リュミの宿屋で料理を作り、お客様を
家の宿屋は、それなりに繁盛していたが、大きいものとは言えな……かった。
客室は6つ、加えて子供部屋と、両親の部屋と、応接室に食堂、それに調理場。
それでも、連絡会と呼ばれる協会に入っていたおかげで、宿泊客は途絶えなかった。
この世界は、旅人が多い。
その殆どが商人。彼らは商品の仕入れのため、自ら足を各地へと運ぶ。
手紙などという、何時届くか、そもそも届くのかすら怪しい手立ては取らない。
中身を開けられたら、それで終わり。
蝋封や封印は貴族のみの特権。平民がそれを使えば、直ちに罰せられる。
それは検閲のため。
平民を治める事は、情報伝達を抑えることから始まる。
しかし、商人にとって旅は、金と時間がかかるだけのものではない。
契約と仕入れのために遠くまで足を運ぶことは、確かに無駄だ。
だが、その途中で思わぬ宝を見つけることだって、珍しくはない。
それが共有されることは稀。当然だろう、誰だって儲けの種は、独占したがる。
そんな中で、宿屋だけは少し事情が異なる。
儲けの種である宿泊客は、そもそも仕入れる物ではない。
迎えるものだ。
そして宿泊客たる旅人、商人たちは、一夜の食事と寝床に、一際注意を払う。
安全か? 快適か? どうせなら美味い飯を食いたい! できれば酒だって!!
その情報源を、商人は求めてやまない。
だから、連絡会ができた。
自分が信頼する宿屋から、
「次の街ではこちらはいかがでしょう?」
「私共の名にかけてお奨めしますよ!」
そんな紹介を受ける。
そうして客は流れてくる。この繋がりは大きなものだ。
もちろん、簡単にその輪に入れるものではない。
リュミの父、ロウリュは元々帝国の人間。
和平の元に交易が始まった王国に、栄達の機会を求め旅立つ。
それは珍しい事ではない。
その旅で出会ったのが、リュミの母親、レメリナ・コルグス。
古くからの宿屋を営むコルグス家だったが、ロウリュが訪れた時、その宿は寂れていた。
家族を亡くし、一度決まれば減額される事のない重税のせいで、料理人のゴッフェル以外、人を雇う余裕はない。
そして客足は遠のいていく……
レメリナに一目惚れしたロウリュは、その宿を立て直すために住み込みで働き始める。
食事は僅かで良い、ベッドは藁で良い、給金はいらない。
そんな条件の元で、ロウリュは一心不乱に、真摯に働く。
街での呼び込みも厭わず、部屋の掃除に洗濯に接客。
馬車馬のように働いたおかげで、客足は増えた。
その姿を見て、レメリナは妻になった。
古くから続く名を残すため、ロウリュはコルグス家に入った。
やがて、幾ばくかの蓄えが出来た。
部屋を拡張するには
それでもロウリュとレメリナは、客室の快適さに投資した。
それが話題となり、客足は更に増える。
その真面目な働きぶりと高い評判があってこそ、彼らは連絡会に入ることが出来た。
もちろん、ゴッフェルによる素朴で、しかし味わい深いトマトチキンスープも、その要因として大きいことを忘れてはならない。
「いつもお客様のことに気を配る、本当に良い人たちでした」
そう言えば……と、少しほろ苦い思い出が浮かぶ。
あまりにも忙しすぎて、自分の相手はほとんど、してくれなかった。
それでも、誰かの笑顔のために働く父母を、娘は尊敬していた。
食事はいつも、お客様の前に、みんな揃って。
それだけが客に対する、唯一つのわがまま。
お父さんとお母さんと、そして祖父のように自分を可愛がる、ゴッフェル。
その時間は、心温まる時間。
大好物のゴッフェルのトマトスープの秘訣を、リュミはついに聞けなかった。
大きくなったら、その時に。
意地悪だなぁとへそを曲げたが、直ぐに彼が大好きになった。
大きくなるまで、ずっと一緒に居てくれる。
そんな大事な家族なのだと、そう思えたから――――
「ともかく、お嬢様だけでもご無事で何よりです。旦那様と奥様には、悔やみきれませんが……」
「誰があの様な……事を?」
「確かなことはわかりません。私も……お休みを頂いていましたから……」
リュミが気を失い運び込まれたことで、両親は宿を休むことに決めた。
さすがに愛娘を放って置くことは、出来なかったのだ。
「ですが、街の者は噂しています。あの格好は――火付けの現場から走り去った者の格好は、とても高価なもの。つまり……」
「貴族――――たち」
有り得そうな話だと、心の中の二人は思う。
幾ばくかの復讐心と、それに嗜虐心。それを満たすための、凶行。
怒りが……沸々とわいて出てくる……
「それで、お嬢様はどうされますか? この様な所で良ければ、いくらでも」
「この様な所って、よく遊びに来ていましたよ、私は」
家業の忙しさで、友達に会う暇は互いにない。
それでもちょっとした暇があれば、相手をしてくれるこの家に来ていた。
料理のことや、家業のお手伝いのコツを、学びに来ていたのだ。
ゴッフェルは何でも教えてくれた。ただ一つを除いて……
「でも、長く居るわけには行きません。私は……追われる身ですから」
弱々しい言葉の中に、老人は何かを悟る。
「そうですか……では、こちらを」
差し出された袋の中身を見て、リュミは驚く。
商人の娘であるリュミには、その中身に詰まったお金が、そしてその金額が、どれほどのものかすぐに分かる。
何もしなくても1人であれば、2・3年は普通に過ごせるであろう、それだけの額。
「お父様とお母様が、もしもの時のために蓄えていたものを、お預かりしておりました。もちろん、手など付けておりません」
あの優しい笑顔を思い出せば、そんな事は言わなくてもわかる。
それなりに不自由は無かったとは言え、決して余裕のある暮らしではなかった。
親として当然の事。そう切って捨てるには、あまりにも重い親心。
心の奥で、もうひとりの自分も、何かを感じ取っている……
「ありがとうございます」
素直にそれを受け取る。
「それで、お嬢様はどうなされますか?」
「直ぐにこの街を出ます。見つかれば、ゴッフェルさんもタダではすみません」
「この
何があったか――――話す訳にはいかない。
そうすれば、この心優しき人は、きっとついてくるだろう。
だが、その危険な旅に、彼を連れて行くわけにはいかない。
「いえ、
「私も一緒に」
「お気持ちは……ありがたいです」
少女の言葉に、ゴッフェルはなにかの決意を感じる。
「あの宿で働いていた以上、ゴッフェルさんにもなにかあると思います。ですので、昔お話していた故郷に、戻っていただけませんか?」
そういいながら、父母が残してくれた財産から、半額を渡す。
「お嬢様?! こんなに!!」
「遺った家族の1人くらい、この国に残っていてほしいのです」
落涙しながら、老人はその手を握る。
「ご無事で……どうかご無事で……」
頷いて、リュミは旅支度を始める。
「一つだけ、これだけは覚えてほしいのです」
その小さな背中に向けて、ゴッフェルはそう声を掛ける。
「珈琲です。あれは珈琲です」
それがなにか――――
直ぐにわかったリュミは、心優しき祖父の家を後にする。
「おじいちゃんも、どうかご無事で……」
ゴッフェルの言葉。
それはあの、トマトスープの隠し味に違いないと、そう想いながら――――
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