出立-02
(臭うっすねぇ)
安宿の屋根裏、宿泊料金が最も安いその部屋に、1人の女性が横たわっている。
(自警団が手薄になってると聞いたけど、どうやら本当みたいっすなぁ)
(こういう薄明かりの夜は、稼ぎ時ですからなぁ)
風取りのために開けたれたその小さなから見えるのは、極僅かな風景。
新月の星空は街を僅かに照らし、家路へと人を急がせる。
その風景を見て、彼女はほくそ笑む。
(さてさて、財布も心許ない頃だし、いっちょ稼ぎますか!)
勢いよく身を起こすが……
「いだっ!!」
天井の低さを忘れていたせいか、強かに頭をぶつける。
「うっせぇぞ!!」
「ご!! ごめんなさい!!」
見えないはずの相手に手を合わせて謝罪するが、当然反応など返ってこない。
(はぁ……ケチらずに普通の部屋に泊まればよかった……)
廊下の天井に設けられた、申し訳程度の出入り口に向かってモソモソと身を動かす。
音を立てないようにゆっくりと扉を開けると、猫のようにしなやかに廊下に降り立つ。
(でも、我慢我慢! 貯金は夢への鍵っすからね!!)
まるでハイキングを楽しむように歩いているが、不思議と安宿のボロ床は音を立てない。
廊下の階段を下りながら、彼女は片手をゆっくりと回し、肩をほぐす。
踊り場の窓から差し込む、薄暗い星明かりが彼女の顔を照らす。
それはまだ、少女のあどけなさを残す、19歳の顔。
無邪気な笑顔で階段を下っていくと、玄関に相棒の姿を確かめる。
(今日はどれぐらい踊れるっかなぁ? お客さんいっぱいだと良いっすねぇ!)
玄関口の蝋燭に照らし出されたボサボサの髪は、8月の葉のような深い緑。
(さぁ行くっすよ!! 相棒!!)
少女は豊かな胸を揺らしながら、相棒と共に、夜の闇に消えていった――――
『早速ですか』
モルガネの街を囲う暗い林の中で、リュミは今、疾走している。
(
『ありえなくはないですが、それならばこんな所に身を隠しては居ないでしょう』
(となると――野盗?)
『その線が濃厚ですね、フロイライン』
(数はわかりますか、おじさま?)
彼女はまだ、自分で魔法を使ったことがない。
鍛錬場の一件も、そして王子や刺客相手にも、魔法は彼が使った。
感覚的にどうすればよいかは完全に把握しているが、なんとなく慣れていない。
『3人くらいですかね? 美少女の追っかけには、数が少ないようです』
(追っかけって、なんですか?)
『それはまた追々。どうしますか? 飛んで逃げますか? それとも相手にしますか?』
(
『増員されてしまいますね』
(なんとか穏便に出来ないでしょうか?)
『では、交代しましょう』
疾走するリュミの瞳が紺碧から琥珀に変わる。
息を切らし始めていた表情から感情が消える。
(なるほど、この方がハッキリと分かりますね)
『そのようですね。4人の気配が風の動きでわかりました』
(フロイラインも使えるよう、練習が必要ですね)
『生き残れたら、是非』
――――さてと、とリュミは考える。
たしかにこの方が魔法を使いやすいのだが、だからといって事態は好転しない。
大威力の魔法で吹き飛ばしてしまえば簡単だが、懸念どおり目立ってしまえば追手が増える。
そうなるとさらに大威力の魔法が必要となり、結果
逃げ延びた後の身の隠し場所が確保されていない以上、
では――――こうしてみましょうか?
リュミが突如足を止めると、釣られて追手たちも足を止める。
再度風の魔法でその位置を確かめると、最も離れた追手に向かい、右手を払う。
すると、数メートル先から何かが倒れる音が、わずかに響く。
『風のナイフ、ですか?』
(ええ、喉を狙えば声は出ません)
『参考にします』
続いてもう1人狙うが、身体の動きを読まれていたのか、それは無情にも外れる。
『いっその事、大きな刃を周りに投げつけてみては?』
(そうしたいのですが!!)
言われたとおりに大型の風の刃を召喚するが――――
当然周りの樹木を切り裂いてしまい、その倒れる音が大きく響いてしまう。
(こうなります)
『目立ちますね』
リュミは再度駆け出す。位置を変えなければ、向こうが襲って来かねない。
『言ってくれたらわかります』
(百聞は一見にしかず、ですよ)
『どういう意味ですか?』
(後ほど詳しく)
心中の会話は、それぞれの性格なのか驚くほど淡々としている。
もしそれを誰かが聞けば、緊張感がないと呆れられるだろう。
さて、そうなれば走りながら――と考え、実行に移すも、
『動く標的に当てるのは』
(むずかしいですね)
やはり、周りの木々に阻まれてしまう。
(投げる練習も必要ですね)
『運動は苦手でした』
(一緒に努力しましょう)
足取りがおぼつき、呼吸は荒れ、集中力が途切れる。
そして――――ついにその足を止めてしまう。
追手達は様子をうかがっている。
仲間の1人がやられている、うかつには近づけない。
だが、膝に手を置き、呼吸を整えている……
ならば――――今!!
追手の1人が飛びかかってきたのを見て、
(重力の!!!!)
リュミは両手で顔をかばう。
バキィンっ!!!! と言う派手な音が響く!!
間に合った!! 思わずホッとして目を開けると――――
「駄目っすよ、お嬢ちゃん。良い子はお家に帰らないと」
深緑の髪の少女が、身の丈も有る大剣をかざしていた。
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