第317話 元勇者と魔王

 魔王城にある一室、城の中でも一番奥に作られたそこは魔王が住まう部屋であった。そんな普通なら立ち入る事さえ許されないような部屋で、俺はフェルとセシリアの三人でワインを嗜んでいた。正確にはワインを飲んでいるのは俺とフェルだけで、セシリアは一歩引いたところで静かにお茶を飲んでいるんだけど。


「……美味いな」


 フェルが優雅にグラスを傾けながら呟く。


「以前飲んでいたものと酒は変わらないというのにな。ここ最近の酒の味は格別だ」


「どうせ一人寂しく部屋で飲んでたんだろ?偶にはいいけど、酒は誰かと飲んだ方が美味しいんだよ」


「ふん……貴様が来るまでは誰かと酒を飲むなんて考えたこともなかったわ。そもそも普通の魔族はオレを酒になど誘ってこない。貴様ぐらいだ」


 まぁ、こいつは魔王様だからな。魔族の連中が気軽に「飲みましょうよ!」なんか言えるわけないわな。


「この人は図々しいというか、厚かましいところがありますから」


 セシリアが呆れたように俺の顔を見ながら言った。そんな彼女に俺はウインクを投げる。


「そういうところにセシリアは惚れたんだよな?」


「……仕方がないから付き合っているだけです」


 相変わらず素直じゃないなぁ。まっ、そういうところも可愛いんだけどな。


「結局、セシリアも含め、オレの配下は貴様に懐柔されてしまったな」


「当然だな。なんたって親玉であるお前が俺に懐いちまってんだから」


「はっ!誰が貴様なんぞに」


 軽く笑いながらフェルは持っていたグラスを傾ける。俺もそれに付き合う形でワインに口をつけた。


「そういや最近、人間領に侵攻しないんだな」


「誰のせいだと思っているんだ?貴様と関わったおかげで、幹部達も他の者達も人間と戦うことに疑問を感じてしまった。どうしてくれるんだ、まったく」


 フェルが俺にジト目を向けてくる。だが、言葉とは裏腹にその口調からは俺を責める気配を一切感じない。


「お前はどうなんだよ、フェル。退屈だったから人間に喧嘩を吹っ掛けていたんだろ?」


「……貴様が無茶苦茶な行動ばかり起こすからな。他の人間に構っている余裕などない」


「そっか。そいつは朗報だ」


オレにしてみれば迷惑この上ないんだがな」


 いいんだよ、これで。こうやって魔族と人間が睨みあっているだけなら誰も傷つくことなんてねぇんだからな。


「人間共の方も不気味なほどに動きを見せない……それには理由があるんだろ?」


 フェルが鋭い視線を向けてくる。これは隠し事ができないパターンのやつだ。


「まぁな。何度か王都に潜入して情報を漁ってみたけど、どうやらどっかの堅物が待ったをかけているらしい」


「どっかの堅物……賢者マーリンか。確か貴様の親友だったか?」


「そうだよ。でも、それも限界が来てるっぽいな。王様とか他の騎士達がしびれを切らせている。だから、そろそろあいつも———」


 不意に感じる懐かしい魔力。俺は口角を上げながら静かにグラスを机に置いた。


「……来たな」


「あぁ。噂をすればなんとやらってやつだ」


 緩慢な動きで立ち上がると、大きく伸びをする。程よくアルコールが回っているが、そんなに影響はないだろう。


「ランスロット様……」


 後ろからセシリアの不安そうな声が聞こえた。俺は振り返り、彼女に近づくとそっとお腹の上に手を置く。


「身重の体なのに悪いな、セシリア。いつものやつかけてくれ」


「…………」


 セシリアはキュッと唇を固く結び、俺の目を見つめた。俺はそれに慈しむような視線で答える。


「……私が『行かないで』と泣きわめいても、無駄なのでしょうね」


「そうだな。ごめん」


 行かないわけにはいかねぇんだ。俺の唯一無二の親友が会いに来てくれているんだからな。俺の気持ちを察してか、セシリアは大きくため息をつきながら、魔法陣を組成する。


「”架空の人物アラン・スミシー”」


 人間の街に行くときに決まってセシリアにかけてもらった魔法。これにより、他人は俺のことを『アルトリウス・ペンドラゴン』と認識することができない。


「ありがとう。愛しているよ、セシリア」


「……私はあなたを愛してしまったことを後悔しております」


 そう言うと、セシリアはプイっと顔を背けてしまった。その目から光るものが流れ落ちる。それだけで俺の胸は一杯になった。


「さて……」


 俺は空間魔法から紺色の仮面を取り出す。セシリアの幻惑魔法の効果は知っているが、万が一ってこともあるからな。それにこいつは俺がデザインした最高にイカス仮面だからあいつにも見せてやらないと。


「アルトリウス」


 部屋から出ていこうとした俺をフェルが呼び止めた。


「なんだよ。その名前で呼ぶなって言っただろ?ランスロット、もしくはアルって呼べ」


「そんな珍妙な名で呼ぶなど、まっぴらごめんだ」


 珍妙って、俺の親に謝れ。そして、ランスロットって考えたのは俺だから俺にも謝れ。


「貴様、俺との約束事を気にしているのか?」


 魔王らしい高圧的な物言い。約束事ってのはあれか?お前の配下になるって俺が言いだした時にお前が出した条件か?例え知り合いが相手でも容赦なく叩きのめせってやつ。俺はその問いかけに曖昧に笑ってみせた。


「……なぁ、フェル。賭けをしようぜ?」


「賭け?」


「あぁ。俺がいなくなったらお前が悲しむかどうか」


 俺の言葉に一瞬目を丸くしたフェルだったが、すぐにつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「くだらん。貴様が消えたところでオレの暇つぶしの玩具が一つなくなるだけだ」


「そうか。なら、賭けに負けたら……そうだな……俺の事をアルって呼ぶようにしろ」


「なに?」


「別にいいだろ?お前は悲しまないって言ってんだから」


 俺が軽い口調で言うと、フェルは難しい顔で黙りこくった。


「それと、一人称も変えた方がいいな。なんか偉そうだし。自分の事を僕って言うようにしろよな」


「はっ!オレが自分の事を『僕』などと、似合わないにもほどがあるだろ」


「いやー顔的にはばっちりだろ?どう見てもお前は僕っ子だ」


 年上キラーみたいな甘いマスクをしてんだから、そっちの方がピッタリなんだよ。


「後、態度も改めた方がいいな。退屈だからって仏頂面浮かべてんじゃなくてさ。いつもニコニコ笑いながら楽しい事だけやり続けろ。人間を襲うとかくだらねーことやってないでよ」


「…………」


「まぁ、お前のニコニコ顔なんて見たら笑っちまうだろうけどな。無愛想が服を着て歩いているようなもんだし」


「言いたいことをズケズケと……」


 フェルが頬をひくつかせながら俺を睨んできた。だが、そんなの知ったこっちゃない。


「賭けに負けなきゃいいんだよ。……それとも何か?俺に勝つ自信がないと?」


 わざと小馬鹿にしたような言い方でフェルを挑発する。僅かに顔をしかめたフェルだったが、いつものように自信に満ちた表情に変わった。


「いいだろう。そのくだらん戯れに付き合ってやる」


「そうこなくっちゃ」


 フェルの答えに満足した俺は、最後にセシリアへと笑顔を向ける。


「行ってくるよ、セシリア」


「……ずるいです。そんな顔をされたら、恨み言も言えなくなってしまいます」


 それを狙っての勇者スマイルだからな。いや、今は悪の指揮官スマイルってとこか?


「……必ず戻ってきてください」


 潤んだ瞳で俺の最愛の人が見つめてくる。セシリアには嘘をつきたくないから、その言葉には答えられねぇな。


 俺は優しく彼女に口づけをすると、城の入り口へと転移した。

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