第289話 スケベなおっさんは好きですか?

 この国の大臣であるロバート・ズリーニは、生まれてこのかたこれほどまでに機嫌を悪くしたことはない、と言えるくらい腸が煮えくり返っていた。

 ロバートが生まれたのは代々王家に仕える名家。生を受けた瞬間から勝ち組であることが決められたロバートに歯向かうものなど誰一人としていなかった。貴族の中でも飛びぬけた権力を持つズリーニ家に目を付けられようものなら、マケドニアでは生きていけない。周りにいる者は当然の様に自分よりも格下、自分のご機嫌を窺うだけの存在と信じて疑わなかった。


 そして、その認識は決して間違ってはいない。媚びへつらう他人を見下しながら彼は大臣の座に就いた。


 そんな彼の前に突如として現れた男。家畜かなにかと同じものを見る目で自分を見てくる傲岸不遜な忌むべき者。


 魔王軍指揮官、クロ。


 ロバートの心はあの男に対する憎しみで塗り固められていた。


「くそ……一度ならず二度、三度と私に恥をかかせおって……絶対に殺してやるっ……!!」


 痛むおでこをさすりながらロバートは奥歯をギリリと噛みしめた。ただでさえ、村を焼き放った無能子飼いの騎士達が勇者の遺物を持って帰ってこなかったことに腹を立てていたのに、あの仕打ちだ。煮えくり返るはらわたは最早溶岩と変わらぬものになっていた。そんな主人を従者のルキが怯えた目で見つめる。


「あ、あの……大丈夫ですか……?」


「大丈夫なわけないだろっ!!」


 城内の廊下に響き渡る怒声。城にいる者達全員の耳に入るくらいの大音量で怒鳴られ、ルキは恐怖のあまりその場で縮みあがった。


「ここまで私に屈辱を与えた者は奴が初めてだっ!!絶対に……絶対に後悔させてやるっ!!お前もあの愚か者を排除する手段を考えんかッ!!」


「そ、そう申されても……話を聞く限り、自分の敵う相手ではないというか……」


 ぼそぼそと囁くような声で言うルキを見てロバートのフラストレーションが更に溜まっていく。


「お前には脳みそがないのかっ!?私は排除する方法を考えろと言ったんだ!!お前の情けない弱音など聞きたいわけではないっ!!」


「は、はい……」


「いいかっ!?私はコケにされたのだぞっ!?自慢の古代兵器は破壊され、訳の分からん話し合いの場では魔法による攻撃を受けたっ!!これは国家を揺るがす大問題だと言っても過言ではないっ!!それなのにあの腰抜けはその事を言及せず、あろうことか魔族共の口車に乗せられおった!!」


 口にすればするほどロバートの怒りは増していった。その矛先はクロから王へとシフトしていく。


「何とも嘆かわしい!あの男は国王という座が可愛い余り、魔族共に恐れをなしたのだ!!王の器ではない!!さっさと私にその席を譲るべきなのだっ!!」


「で、ですが……オリバー王は民衆に慕われていますから……」


「低能な国民から支持を受けているからと言ってなんだというんだっ!?王の責務は屈強な国を作る事!!あの男に任せていたら惰弱な国に成り下がってしまうことが分からんのかっ!?」


「も、申し訳ありません……」


 ビクビクとしながらルキが身を竦めた。ロバートはこれ以上話しても無駄だ、と言わんばかりに鼻を鳴らすと、肩を怒らせながら城内をあるいていく。


 そんなロバートの前に何者かが前から駆け寄ってきた。


 訓練の途中だったのか、騎士達が練習用に使っている鎧を纏い、いつもは下ろしているその緑髪は一つに結われている。だが、それでも彼女が美少女であることは変わりなかった。


「ロバート様っ!!」


「……これはこれは勇者様ではないか。相変わらずお美しいようでなによりだ。……して、私に何か用かな?」


 真剣なまなざしを向けるフローラに、ロバートはさっきまでの怒りが嘘のような笑顔を向ける。


「あの……すごい厚かましお願いだとは思うのですが……レックスを、レックス・アルベールを許してあげてくれませんかっ!?」


「……ほう」


 驚くべき速さでロバートの顔から笑顔が消えていった。だが、フローラの頭はレックスのことで一杯であるため、それには気がつかない。


「彼は……その……故郷が滅ぼされたと聞いて気が動転してしまっただけなんですっ!!それでもロバート様に暴力を振るったことは許されることではありませんが、彼は私の大切な友人なんです!!」


 完全に真顔になったロバートにフローラは必死に訴えかけた。その様子を眺めながらロバートが思ったことは「面白くない」ということだけ。自分のコレクションに加えたいと思っていた女が他の男の助けを乞うているのだ。不愉快以外の感情は湧かない。


「それは聞けぬ相談だな。私に手を出すというのは国を敵に回すと同義なのだ。魔族と関係が悪化している現状、不穏分子を野放しにしておくわけにはいかない」


「そ、そんな……!!」


 フローラの顔に絶望が浮かぶ。嗜虐趣味のあるロバートにとってその表情はそそるものがあったが、それをおくびにも出すことはない。


「話がそれだけならもう行かせてもらう。私も忙しい身なのでな」


「ま、待ってくださいっ!!」


 横を通り過ぎていったロバートの背中にフローラは縋りつくような声を上げた。


「お願いしますっ!!あなたしかレックスを救うことはできないんです!!私にできることならなんでもしますから、どうかレックスを助けてください!!」


「……なんでも?」


 ロバートの足がピタリと止まる。そして、ゆっくり振り返るとフローラの目をしっかりと見つめた。


「その言葉に二言はないか?」


「え?は、はい!!」


「なるほど……」


 ロバートは思案するように顎に手を添える。内心では悪辣な笑みを浮かべているが、そんなことはフローラにはわからない。


「そこまでの覚悟を持っているのなら、私にも考えがある」


「本当ですか!?」


「あぁ。今夜、私の屋敷に一人で来い」


「……え?」


 フローラの表情が凍り付いた。


「その時にレックス・アルベールを解放する条件を伝える。……不満か?」


「……い、いえ。わかりました……」


 ロバートにギロリと睨まれ、若干たじろぎながらフローラは頷く。それを見てロバートはニッコリと笑みを浮かべた。


「流石は勇者、下賤な者でも救いの手を差し伸べるその姿に感服した。私は屋敷でゆっくりと其方を待つことにしよう」


「……失礼します」


 消え入りそうな声でそう告げると、フローラは軽く頭を下げ、走り去っていく。その後姿を見ながらロバートはニヤリと口端を上げた。


「今日は人生最悪の日かと思っていたが、最後にとんだご褒美が用意されておったな。なぁ、ルキよ?……ルキ?」


 キョロキョロとあたりを見回すが、自分の付き人の姿は見えない。せっかく機嫌が直りかけていたロバートは顔を歪めながら舌打ちをすると、大声で従者の名前を呼ぶ。


「おいっ!ルキ!!どこだっ!?」


「た、ただいまっ!!」


 廊下の奥の方から声が聞こえてきたと思ったら、こちらに走ってくる貧相な男の姿が見えた。ロバートは息を切らせながらここまでやってきたルキの頭を容赦なくはたく。


「このノロマッ!!今までどこに行っておった!?」


「す、すみませんっ!!勇者様とロバート様の会話の邪魔をしてはいけないと思い離れていました……」


「ふんっ!愚図がっ!!余計な気を回さんでいいっ!!この役立たずの無能めが!!」


 ロバートが唾をまき散らしながら怒鳴り散らすと、ルキはしょんぼりと肩を落とした。まだイライラが収まらないロバートであったが、フローラの件を思い出し、それ以上は何も言わずに歩き出した。もっと叱責があると覚悟していたルキは肩透かしを食らったような顔でロバートに声をかける。


「あ、あの……?ロバート様……?」


「勇者フローラに感謝するんだな。彼女が身を捧げ、私の怒りを鎮めたのだから」


「身を捧げ、ですか……?」


「そうだ。今夜は夜伽の女はいらぬ」


「なっ……!?」


 ルキが目を丸くしてロバートの顔を見た。付き人としてのルキの仕事に、ロバートの夜の相手をしてくれる女性を探す、というものがあった。容姿も技術もハイレベルな女性を用意しないとロバートの雷が落ちるため、付き人の仕事の中でも神経を使うものであったが、今夜はそれがいらないときた。


「と、ということは勇者様と……?」


「まだ熟しきってはいないがな、こういうのも偶にはいいだろう」


 醜悪な笑みを浮かべるロバート見て、ルキは思わず身震いをする。そんなルキの様子には気づかず、意気揚々と歩を進めるロバート。


 彼の下品な笑い声だけが城の廊下を木霊した。

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