第290話 ヒロインのピンチに駆けつけるのはヒーロー……あれ?

 城での訓練を終えたフローラはマジックアカデミアにある自分の部屋に閉じこもっていた。最近はここで孤独に時間を過ごすことが多い。あんなに懸命に取り組んでいた勇者の訓練も、ここ最近は全く身が入っていなかった。ここ最近は学校も休みがち。心配して訪ねてきたシンシアやマリアに関しても、大した会話もせずに追い返していた。


 その理由は単純明快。魔族との戦いで相対した魔王軍指揮官が原因であることは言うまでもない。


 魔王軍指揮官の正体がクロムウェル・シューマンであることは、前々から勘づいていた。だが、そんなことは関係ない。彼が自分の兄を殺したことは事実。その彼を許すことは自分にはできない。その思いだけでここまで頑張ってきた。


 しかし、蓋を開けてみればどうだろうか?血も涙もないと思っていた男は先の戦争で誰一人として人間を傷つけなかった。それどころか身体を張って自分のことを守ったのだ。


 そんな男が自分の兄を殺したとはどうしても考えられなかった。だが、もし殺されていないとしたら、なぜ兄は自分の前に姿を現さないのか?なぜ国は兄が死んだと告げたのだろうか?


 わからない。何が真実で何を信じればいいのかもうわからない。


「……兄さん……私はどうすればいいの……?」


 助けを求めるように漏れ出した言葉。その問いに応えてくれる者は、日が落ち、暗くなったこの部屋には誰もいない。


「レックス……」


 自分の膝に顔をうずめながら思い人の名前を呟く。レックスに事実を認識させるため、ロバート大臣の前に連れて行ったのは間違いだった。まさか、あそこまで感情的になるとは思っていなかったが、自分が兄を失ったと聞いた時の心情を思い出せば、容易に想像ができたことだ。だから、レックスが捕まったのは自分の責任。なんとしてでも彼を牢から救い出さなければならない。


 フローラは緩慢な動きでベッドから立ち上がると、窓から外を眺めた。お子様という年齢ではもうない。ロバートの屋敷に一人で行けばどうなるか、それくらいはフローラもわかっている。


「私が……私が助けるからね。大丈夫、私ならできる」


 フローラは自分を鼓舞するように窓に映った自分に言った。恐怖から身体が震える。今夜だけ、そう言い聞かせても自分の心には嘘が付けない。だが、自分がやるしかないのだ。


 フローラは目を閉じ、大きく息を吐き出す。そしてゆっくりと目を開くと、余所行きの服に着替え、覚悟を決めた顔で自分の部屋を後にした。



 ロバートの屋敷は貴族が住まう第一地区でも一等地に建てられ、その豪華さは数多の豪邸の中でも一際異彩を放つものであった。社会見学に来たのであれば、感嘆の息の一つくらい出るほどの屋敷であるが、今のフローラにとっては悪の根城にしか見えない。


 ここまで来て扉の前で二の足を踏んでいたフローラであったが、意を決した様にその扉を叩く。すると、中から使用人らしき男が現れ、フローラの姿を確認すると、丁寧にお辞儀をしてきた。


「お待ちしておりました。旦那様がお待ちです」


「……はい」


 フローラの顔には一切の感情はない。そんなもの殺さなければこんな所に来ることなどできない。使用人の男はフローラを招き入れると、ロバートの部屋まで案内する、と言って屋敷内を歩き始めた。その後ろを黙ってついていく。屋敷の中も外観に負けないくらい豪華絢爛な様であったが、フローラは見向きもしなかった。頭の中にある事はレックスを助けることと、これから行われるであろう行為に対する嫌悪感だけ。


 そんな事ばかり考えていたら、いつの間にか立派な両開きの扉の前に来た。使用人の男はごゆっくり、と静かに告げ、頭を下げるとこの場から立ち去っていく。


 ついにここまで来てしまった。もう後戻りはできない。


 深呼吸をしてから震える手で扉をノックすると、中から声が聞こえた。


「どうぞ」


「……失礼します」


 抑揚のない声で言うと、フローラは扉を開け、部屋の中へと入っていく。待っていたのはバスローブを着て、ベッドのふちに座ってこちらを見ている男。


「ようこそ、我が屋敷へ。鎧姿も様になっていたが、そういった服も魅力的だな」


「……ありがとうございます」


 褒められたところで何の感情も湧かない。むしろ、舐めるように自分を見るその嫌らしい目に怖気が走るくらいであった。


「さて……レックス・アルベールを許す条件であるが……説明は必要かな?」


「いえ……大体、想像がついています……」


「そうかそうか、それは重畳」


 朗らかに笑っていたロバートであったが、その笑みが一瞬にして下卑たものへと変わる。


「なら、さっさとその服を脱いで私の側に来い」


「っ!?」


 フローラの身体がビクッと震えた。それを見て、ロバートの笑みが深まる。


 自分の中の葛藤と戦いながら、フローラは花柄をあしらった白いワンピースをゆっくりと脱いでいった。段々と露わになる穢れのない素肌。ロバートの気持ちが否が応にも昂っていく。


 下着姿になったフローラは一歩、また一歩とロバートの待つベッドに近づいていった。その足取りは断頭台を前にした囚人そのもの。海底を歩いているように足取りが重い。


 ほとんど目の前まで来た時、ロバートはフローラの腕を掴み、ベッドに押し倒した。


「きゃっ!!」


「その反応も新鮮でいいな。やはり私のコレクションに相応しい」


「コ、コレクション……?」


 自分に馬乗りになっている男の言葉を理解することができない。そんなフローラを見て心底嬉しそうな笑みを浮かべるロバート。


「そうだ。お前は今夜一度だけだと思っていたようだが、私はそんな事を言っていない。私が満足いくまで付き合ってもらうぞ?」


「そ、そんなっ!そんなのいやっ!!」


「嫌なら別にそれでもかまわない。お前の友人が牢獄で死ぬことになるだけだ」


 ロバートが冷たい声そう言うと、抵抗していたフローラの身体がピタリと止まった。レックスの命運はこの男が握っている。自分に選択肢など初めからなかったのだ。


 大人しくなったフローラを見て、ロバートは満足そうな顔をする。


「いい子だ。なに、取って食おうなんてわけじゃない。それに私は約束を守る男だ。お前が私なしでは生きられない身体になったら、あのレックスとかいう男を許してやろう!がっはっはっはっは!!」


 上機嫌に笑うロバートからフローラは顔をそむけた。これが自分にできる精一杯の抗い。


 これしかレックスを救うことができない。なんの力も持たない自分にはこんな事しかできない。


 それでも彼を救うことができるのなら……私は……!!


 何かを押し殺すようにフローラは硬く目を閉じる。ロバートはそんなフローラの様子を楽しみながら、その身体を守る最後の砦として残っている布切れにゆっくりと手を伸ばした。



 ……コンコン。



 ノックと同時に開かれる扉。


 お楽しみを邪魔されたロバートが眉を顰めながら目を向けると、そこには自分の従者の男が立っていた。


「失礼いたします」


「この無能がっ!!取り込み中だ、ということが分からんのかっ!?」


 いつもの調子でルキに怒声を浴びせる。だが、ルキは無反応でこちらを見ていた。


「ロバート様。今夜の夜伽をお連れいたしました」


 ルキは一切のどもりもなく、流暢に用件を告げる。自分の従者の変わりように疑問を感じながらも、沸々と湧き上がってきた怒りをそのままルキにぶつけた。


「夜伽はいらんと言ったであろうがっ!!本当にお前は使えないゴミだなっ!!今日限りでお前はクビだっ!!」


「そうですか。こちらから退職願を出す手間が省けましたね」


「な、なんだとっ!?」


「ですが、最後の仕事なんですし、せっかくだから紹介させてください。大人の遊び場として有名なあのチャーミルで人気ナンバーワンを誇るセリーヌです」


 ルキのあまりの態度に怒り心頭になっていたロバートが、その後ろから現れた女を見て言葉を失った。ロバートが誰かと話していることにやっと気が付いたフローラが目を開け、扉の方に顔を向けると、大きくその目を見開く。


 そこに立っていたのは恐ろしく美しい金髪の女性であった。


 艶やかな唇に、圧倒的なプロポーション。左目は碧眼、右目は黒というオッドアイ。黒いボンテージを身に纏い、そこから女性の凶器ともいえる双丘が零れ落ちそうになっている。それ以上に、その女が醸し出す妖艶な雰囲気が常軌を逸していた。


「初めまして。セリーヌと申します」


 金髪の美女が静かに名乗りを上げる。ロバートは固まったまままだ動くことはできない。フローラはロバートの下から抜け出すと、唖然としながら二人を見つめていた。


「……こ、ここまでの女は見たことがないぞ!おいっ、ルキ!さっきのは水に流してやる!さぁ、セリーヌとやら私を楽しませてくれ!」


 やっと口が利けたと思ったら、興奮冷めやらぬといったご様子。フローラのことなど完全に頭から吹き飛び、その目はセリーヌに釘付けになっていた。


 セリーヌはゆっくりと前にでると、とびっきりの笑顔をロバートに向ける。


「お客様は極上の快楽をお求めのご様子。このセリーヌにお任せください」


「お、おう!早くしてくれ!!これ以上は我慢できそうに」


「“従順なる僕となれスレイバー”」


 密かに構築していた最上級魔法クアドラプルを発動。その瞬間、ロバートは焦点の合わない目で虚空を見つめ始めた。そんな彼にセリーヌは絶対零度の視線を向ける。


「今すぐにレックス・アルベールを解放しなさい。それが済み次第、速やかに養豚場にお帰りなさい。自分が豚であることをお忘れなく」


「…………はい」


 魂が抜けた声で返事をすると、ロバートはよろよろと部屋から出ていった。残ったのはほとんど裸同然の勇者とロバートの付き人。そして、世の男全てを虜にするような美貌を纏った女だけ。まさに怒涛の展開。今の今まで貞操の危機にあったフローラは頭の整理が全く追いつかないでいた。

 ロバートを見送ったセリーヌとルキがこの場を後にしようと転移魔法を組成し始めたところで、それまで呆気に取られていたフローラが我に返り、慌てて声をかける。


「ま、待ちなさいっ!!なんでこんな所に魔族が二人も……なんであなたがいるのよ!セリスっ!!」


 叫び声に近い声を上げるフローラ。セリスは組成していた転移魔法陣をかき消すと、フローラに向き直った。


「相変わらずお元気そうで何よりです。……まぁ、さっきまでは借りてきた猫の様に大人しく、されるがままにされていたようですが」


「あ、あなたには関係ないわ!!それより、なんでこんな所にいるか答えなさいっ!!」


「見てわかりませんか?あなたを助けに来たのです」


「なっ……!?」


 予想外の答えにフローラが言葉に詰まる。だが、それも一瞬の事ですぐに威勢よく噛みついてきた。


「だ、誰があなたの助けに……そもそもなんで私なんかを助けに来たのよっ!?」


「なんでもなにも、私は魔王軍指揮官の命令に従っただけです」


「シュ、シューマン君が……?」


 驚くフローラを見て、セリスはどうでもよさそうにため息を吐く。


「正確には我々の目的は別にあって、それを達成する過程であなたを助ける形になっただけなので気にする必要はありません。……任務が終わったらすぐに帰って来い、と言われているのでそろそろお暇してもよろしいでしょうか?」


「ま、待って!なんで……なんでシューマン君が……どうして……!?」


 はたから見ても混乱していることがわかるフローラを見ながら、セリスはやれやれと首を左右に振った。


「……そういえばクロ様から言伝を預かっていることを忘れていました」


「言伝?」


 動揺を隠せないままフローラが尋ねると、セリスはこくりと頷く。


「我らが魔王軍指揮官からのお言葉です……『誰かの犠牲で助かったってあのバカは喜ばない。むしろ、一生苦しむことになんだろ。それが分からないあんたじゃないはずだ』」


「っ!?」


 ビクッと反応したフローラを無視してセリスは言葉をつづけた。


「『あんな豚野郎の言いなりになる覚悟があるんなら、城からレックスを助け出す気概でも見せやがれ。自己犠牲に酔っているなら、くだらねぇな本当』」


「…………」


 ワナワナと身体を震わしながら、俯くフローラ。そんな彼女をセリスは静かに見つめていた。


「…………なによ」


 ぽつりとこぼれた言葉。勢い良く上げたその顔からは涙が溢れだしている。


「人の気も知らないでっ!!あんたが!あんたが魔族の仲間になんてなるから、こんなことになったんじゃないっ!!それまではみんなで笑って楽しく過ごしてたのに……あんたのせいよっ!!レックスが捕まったのも、兄さんがいなくなったのも……全然全部あんたが悪いのよっ!!」


 今まで心にため込んでいたモノをすべて吐き出した。ぶつけたい男がこの場にいないことはわかっている。だが、ぶちまけずにはいられなかった。


 とめどなく涙を流しながら怒りに顔を歪める少女を見ながら、セリスは再び魔法陣を組成し始める。


「……もう一つだけ、伝言がありました」


 そして、転移する瞬間、フローラに厳しい目を向けた。


「『甘えんな、バカ。勇者様だろ?』」


 それだけ告げると、二人はこの部屋から転移していく。


 一人残されたフローラ。周りには誰もいない。主を失った部屋は物音をたてるモノが何一つなかった。それだけにセリスに告げられたクロの言葉が脳に反響し続ける。


 フローラはそのまま崩れるようにへたり込むと、人目を憚ることなく、大声を上げて涙を流し続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る