第61話 亀の甲より年の劫
「確かに、ルシフェル様からの書状、預かりました」
壮年のインキュバスが俺の渡した書状を両手に持ち、丁寧に頭を下げた。セリスがいたおかげでほとんど顔パスで案内された俺達は、代行を名乗る男と相対しているところだ。
やはりインキュバス、年をとってもその顔立ちは整っている。目の前に立つリーガルとかいう爺さんもその例に漏れていないんだや。だけど、どうにも調子が狂う。なんでかって言うと……。
「ところで……孫娘は指揮官様にご迷惑をかけておりませんでしょうか?」
「も、もう!お爺様!今はその話は関係ありません!」
そう。このイケメンな爺さんはチャーミルの長代行であり、血のつながったセリスの祖父なのだ。なんとまぁ、やりづらい。
「そんなことないですよ?セリスさんはよくやってくれています」
今の発言誰がしたかわかる?俺でした。完全に友達の家族に会った時の外面モードだわ。俺がニコニコしながら答えたら、セリスが気持ち悪いものを見るような目で俺を見てきたよ?くそが。
「指揮官様のお噂はかねがね……ただセリスから聞いてたものと少しばかり違うようですが?」
おい、そこの金髪。お前はここでどんな話してんだ、こら。顔を背けていないでこっちを見ろ。
「ははは……どんな話を聞いているかは知りませんが、セリスさんは僕にはもったいないくらい優秀な秘書ですね」
こうなったらとことん好青年を決めこんでやる。そうすれば悪口を言っていたセリスの株が落ちるだろ。ざまぁみろ。
「いやいや、こんなにも礼儀正しいお方が魔族の指揮官を勤めてくださるのであれば、魔族の未来も明るいですなぁ……」
「そんな……僕の力なんて高が知れています。それでも少しでも良くなるように精一杯努力させていただきます」
セリスの視線が痛い。お前は誰なんだと訴えかけてきている。無視で。
リーガルは俺の顔を見ながら満足そうに頷いた。
「指揮官様もお忙しい身、あまりこの場に留めてはいけないのは承知なのですが……少しだけお話しできませんでしょうか?」
「構いませんが……」
話?まだ話すんの?いい加減ボロが出そうなんだけど。リーガルは嬉しそうに笑うと、セリスの方に顔を向けた。
「セリスや、儂は指揮官様と話があるでの。お前は屋敷の外で待っていなさい」
「っ!?ですがっ!!」
「儂の言うことが聞けんのか?」
表情は柔和だがその目には確かに力がある。セリスは顔を歪めると、何も言わずに部屋から出ていった。その瞬間、リーガルの雰囲気がガラリと変わる。
「さて……邪魔者もいなくなったところで、そろそろ指揮官様の素顔が見てみたいもんじゃのう」
「……どういうことでしょうか?」
「とぼけなさんなって。魔法陣の腕前は立派らしいが、猫を被るのはまだまだのようじゃのう」
リーガルの爺さんが豊かに蓄えられた白い髭を触りながら楽しそうに俺を見つめた。まじかよ。完璧な演技だっただろうが。いや、まだカマをかけてきているという可能性は拭いきれない。
「はははっ……面白いことを言いますね」
「ほれっ、頬がヒクヒクと痙攣しとるぞ。慣れない顔はするもんじゃないということじゃ。お前さん程笑顔が似合わん男も珍しいわい」
笑顔が似合わなくて悪かったな。どうせ俺は年中仏頂面だっつーの。くそが。だが、この程度でボロを出す俺様じゃないぜ!
「これでも緊張しているんですよ。それで笑顔がぎこちなくなってしまっているんだと」
「緊張?お前さんが?冴えない男だとは思ったが、存外面白い事は言えるんじゃのう」
まじでむかつくんですけど?この爺さんしかり、学園にいる妖怪ジジイしかり、年寄りには厄介な奴しかいねぇのか?
俺はため息をつきながら被っていた猫をかなぐりすてる。
「それで?俺の化けの皮を剥いで何の話がしたいんだ?爺さん」
「ほっほ!こりゃまたセリスの話通り、傲岸そうな男じゃわい」
「うるせぇな。別に威張り散らしてなんかねぇよ」
「説得力皆無じゃな。そんなのでは人望もないじゃろうて」
くっ……なんでこの一族は俺の腹を立てるのがこんなにうまいんだ!あのバカにしたような笑い、セリスとそっくりじゃねぇか!とにかくこんな所にずっと居たらストレスでどうにかなっちまう!
「さっさと用件言えよ。俺は忙しいんだ」
「ふぉふぉふぉ……こらえ性がない男はモテんぞ?まぁ、お前さんの場合は堪え性以前の問題か?」
うっぜぇぇぇぇぇぇ!!!モテねぇのは関係ねぇだろ!!モテなくて悪かったな!!別に俺はモテなくたって一向にかまわねぇんだよ!!…………嘘です、モテたいです。
「まぁ、確かにお前さんをからかっていても面白いからいいんじゃが、可愛い孫娘を待たせているからのぉ……さっさと本題に入るとするかの」
その瞬間、リーガルのまとっていた雰囲気が変わる。先程までの飄々とした感じは一切なく、代行としての威厳を感じさせるものになった。
「セリスにこれ以上近づかんでもらおうかの?」
「……はっ?」
何を言われるか全然考えていなかったが、こんなにも予想外のことを言われるとは思わなかった。
「お前さん、セリスの過去については?」
「……知らん」
俺はむすっとしたままぼそりと答える。何かあるらしいことはギーが匂わしていたが、俺はあえて聞かなかった。
「そうか……知らんなら別にそれでもいい。ただ、あの子は人間に対してあまりいい感情を持っとらんということだけは知っておくべきじゃ」
……確か、セリスは幹部達の中でも特に人間に恨みを抱いてるってギーも言ってたな。おそらく爺さんはこの話をしているんだろ。
「あの子がお前さんの秘書なのはわかっている。だから、それ以上のことはさせんでくれ。最近のあの子はお前さんに入れ込みすぎているような気がしてならん」
爺さんの言葉は否定できない。夜遅くまで帰ってこない俺を小屋で待っていてくれたり、城の女中に任せればいいのに、俺達のご飯をこっそり用意していたり、花子の時だって関係ないのに俺に付き合ってくれたりしていた。
「人間のお前さんに仕えているだけでも辛かろうに……お前さんと長くいれば嫌な思い出が蘇り、あの子の精神がボロボロになってしまいそうなんじゃよ」
今改めてあいつの過去が知りたいと思った。いや、過去だけじゃねぇな。俺はあいつのことを何にも知らない。普段どういうことをしているのか、なんで魔王軍の幹部になったのか、家族はどんな人たちなのか。そういったことを俺はあいつに聞いたことがない。
「だからあの子のためにも、不必要に仲を深めるような真似はしないでくれ」
爺さんは老人とは思えないほど鋭い目を俺に向けてきた。その目を見れば爺さんがセリスの事をどれだけ大切に思っているかが痛いほど伝わってきやがる。対する俺はこれまで自分の秘書について、知ろうともしなかった能天気な馬鹿野郎。情けないことこの上ないっつーの。
だけど、これだけははっきりしている。
「話は以上か?」
俺が静かに問いかけると、リーガルは黙って頷いた。それを確認した俺は何も言わずに踵を返し、部屋のドアノブに手をかけながら少しだけ首を傾け、爺さんを視界の端に捉える。
「……舐めるなよ、爺さん。セリスはそんな柔な女じゃねぇ」
過去に何があったかは知らないが、セリスはそんなのに負けちまうほど弱い女じゃない。自分の身体なんか二の次で誰かを守るような強い心を持った女だ。
それだけ言うと俺は扉を開け、さっさとリーガルの部屋から退出した。
一人部屋に残されたリーガルは、髭を撫でながら小さく笑みを浮かべた。
「小童め……言いよるわい」
リーガルは静かに呟き、そのまま椅子に腰かける。
「あやつならあの子の傷も癒せるか…………まぁ、もうしばらくの間だけ期待せずに見守っておるかの」
一つ大きく伸びをすると、リーガルは職務用の机に向かって山のように溜まった仕事を片づけ始めた。
*
屋敷の前に不安そうな顔で立っているセリスに声をかける。
「よぉ、待たせたな」
「クロ様……」
セリスは何か言いたげであったが、言葉が見つからないようで、結局何も言わずに顔を伏せた。俺はそんなセリスを見てため息を吐く。
「セリスの爺さんとは大した話してねぇよ」
「ですが……」
おーおー、不安で仕方がないって面してんな。自分抜きで身内が誰かと話してればそうなるのも当然かな?だけど、俺はお前のそんな顔見たくねぇんだよ。
「ばーか。なんて顔してんだよ」
俺は努めて明るい口調で語りかける。
「魔王軍指揮官の秘書様だろ?もっとシャキッとしろ!」
そして、いつもは見せないような笑顔を向けた。…………特別出血大サービスだからな。
そんな俺を見てセリスは少し驚いたようであったが、すぐに柔らかい笑みを浮かべる。
「そうですね……私がしっかりしていないと、あなたは本当にダメになってしまいますからね」
「……うっせ。さっさと転移させろ」
少しは調子が戻ってきたみたいだな。拗ねたように顔を背ける俺を見て、セリスはくすりと笑うと、転移の魔法陣を発動させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます