第51話 吐いたものを飲み込むと吐き気が治まるって聞くけど、想像するだけで吐き気を催す

 航海日誌二日目


 船酔いした。気持ち悪い。吐きそう。


 航海日誌四日目


 船酔いした。気持ち悪い。吐きそう。


 航海日誌七日目


 船酔いした。気持ち悪い。吐きそう。



 って全然進歩してねぇじゃねぇか!!農業日記ん時はもっといろんなエピソードがあっただろうが!!どんだけ変わり映えしないんだよ!!もう一週間だぞ!?流石に慣れるだろ、俺!!


 今日は船室ではなくデッキに出ていた。あんな空気の悪いところにいたらいつまでたっても船酔いなんか治らねぇ。風に当たってる方が幾分マシだわ……うっぷ。


「相変わらずひっでぇ顔してんな!」


 ん?なんだダニエルか……。俺はダニエルを一瞥するとすぐに視線を海へと向ける。あんまり視線を一箇所に集中させると酔ってくるからな。


「ほら!これ食えよ!」


 ダニエルが笑顔で差し出してきたのはサンドウィッチ。おいおい正気か?そんなん俺が食ったら、すぐに魚の餌を口からばら撒くことになるぞ?


「どう見たって食欲ねぇだろうが……」


「指揮官さんのことだ!吐くのが嫌だから朝飯もろくに食ってねぇんだろ?」


 ダニエルの言う通りだった。最近は朝、昼と完全に抜いており、食べているのは夕飯だけ。その夕飯も船酔いの後遺症で半分も食べられない始末。


「船酔いっつーのは空腹も満腹も良くねぇんだ!どうせ食わなくても吐いてんだから、試しに食ってみろ!」


 うーん……今の俺は食おうが食わまいが関係ないよな。一応こいつはその道のプロだし、少しでも良くなる可能性があるんなら口車に乗ってみてもいいかもしれない。

 俺は仏頂面でダニエルからサンドウィッチを奪い取ると、無理矢理口の中へと押し込んだ。多分味はいいんだと思うが、そんなのを感じている余裕なんて俺にはない。


「どうだ?少しは楽になったか?」


 ……言われてみれば。食べた瞬間吐くだろうと思っていたのに、どうやらそんなことはないみたいだ。相変わらず気分は優れないが、それでもさっきよりは大分マシだ。心なしか食欲も湧いた気がする。


「……まだサンドウィッチはあるか?」


「がっはっはっ!そうかそうか!今持ってきてやる!」


 そう言ってダニエルは笑いながら船室へと戻っていった。


 その後、ダニエルが持ってきたサンドウィッチを食べた俺は、少し気分が良くなったのでオーガ達の漁に参加した。


 今日は投網漁ってのをやるらしい。網を海に投げて引きずるようにして船を走らせ、それを引っ張り上げるやり方の漁だ。


「よぉーし!!テメェら引きあげろ!!」


「「「おおお!!!」」」


 ダニエルの怒声にいきり立つオーガ達が一斉に自分の位置につく。俺も遅れないようについていき、両手で網を持った。


「行くぞー!!それっ!!」


「「「イチッ!!ニーッ!!サンッ!!シッ!!」」」


 掛け声と共に全員で引っ張り上げる。俺も負けじと引っ張ろうとするんだけど、どっちかっていうと網に引っ張られてるわ、これ。


「おい!新入り!腰入れてしっかり引っ張りやがれ!!」


「っ!?わかってんよ!!」


 近くにいたオーガが俺にダメ出しをしてくる。そこまでいうんならやってやろうじゃねぇか!まさかこんなところで使うとは思わなかったがなぁ……いでよ俺のインナーマッスル!今こそその力を解放するのだ!!



 結局邪魔だからって見学に回されました。くそが。




 ダニエルの助言に基づき朝昼しっかりと食べることで俺の船酔いはかなり改善されてきた。

 少しずつ船でやる仕事を手伝い始めてはいるが、まだまだ役に立っているというには程遠い。……確かダニエルが認めるまで船の仕事を手伝わなきゃいけないんだったよな。これ一生かかっても無理じゃね?


 まぁグダグダ言ってても仕方がねぇ!もう船酔いなんか怖くねぇんだ!奴に俺の指揮官の器とかいうやつを認めさせてやるぜ!


✳︎


 浮かない表情で船室から出てきたセリスにダニエルが声をかける。


「指揮官さんはどんな様子よ?」


「……まるでダメです。ゴミ箱が親友とばかりにくっついて顔を突っ込んだまま、身動き一つしません」


「あちゃー……最近良くなってきたと思っていたんだが……まぁ今日は流石に厳しいか」


 ダニエルは壁につかまりながら苦笑いを浮かべた。

 今日の天気は雨。しかも大時化。

 凄まじい波の荒れ模様で、どこかを掴んでいなければ立つこともままならない。


「とりあえず濡れちゃいけねぇから、セリス様は指揮官さんと一緒にいたらどうだ?」


「いいえ。私はあの人の秘書ですから。あの人が抜けた分私がその穴を埋めます」


「かー!こんな出来た美人の秘書を持って指揮官さんが羨ましいねぇ!まぁあいつの穴なんか針で刺した程度のもんだけどな!」


 ダニエルは豪快に笑いながら甲板へと出て行く。セリスもその後についていった。


 甲板は船内よりも更に酷い有様だった。銃弾のように打ち付ける雨。時折高波が船の側面にぶつかり、激しい水飛沫を上げていた。


「これは……凄いですね」


「いやー流石の俺も驚きだわ。今までで一番なんじゃねぇか?」


 長年海に出ているダニエルですら驚愕させる荒れ模様。これではクロの身体がもたないのも無理はない。


「どうしますか?」


「そうだな……網を投げても波にさらわれそうだし、釣竿振ってもどっかに吹き飛ばされそうだな。まいったな、こりゃ」


 ダニエルが困り顔で頭をかく。そもそもこんな天気で船を出すこと自体が無謀だったのでは、と思わなくはないがセリスは船長の判断を待った。


「今日は引き返すとするか!」


「そうですか!」


 ダニエルの言葉を聞いて、セリスが嬉しそうに笑みを浮かべる。セリスとしては一刻も早くクロを小屋へと連れて帰り看病をしてやりたかった。

 そんなセリスを見てダニエルがニヤリと笑いかける。


「セリス様は指揮官さんのこと大事に思ってるんだな!」


「そりゃ……一応私は秘書ですからね。上司の体調管理はしっかりとやらないといけません」


 少し頬を赤くしながら照れ隠しのように素っ気ない口調でセリスが言った。だが、ダニエルのニヤニヤは一向におさまらない。


「まぁ、気持ちはわかるがな」


「えっ?」


「あいつは人間だがなかなか骨がある。三日やそこらで弱音が出ると思ったが、そういうのは一切吐かなかったな!違うもんは吐いてたけど!」


 ダニエルが鋭い歯を見せて笑った。セリスもそれにつられるようにして微笑む。


「意外と負けず嫌いですからね、あの人は」


「そのようだな!今日の仕事振りを見て指揮官として認めようと思ったが、それは明日に持ち越しだな!」


 ダニエルは外で海の様子を探っているオーガ達に声をかけた。


「野郎ども!こんな天気じゃ魚なんてかからねぇ!今日は尻尾まくって帰るぞ!!」


「「「おお!!」」」


 オーガ達が慌ただしく甲板を駆け出し、船の進行方向を変える。船はゆっくりとその場で180度旋回し、港へと引き返し始めた。


「さぁて……今日は戻ったら明日の準備を」


「キャプテン!!」


 ダニエルが港に着いてからの事を考えていると、若いオーガが焦った声を上げる。


「どうした?」


「船の周りに怪しい影が見えます!!」


「なんだと!?」


 若いオーガの声に反応したダニエルが急いで船の袖から顔を出し、海に目をやるとその目が驚愕に見開かれた。


「野郎共!緊急事態だ!!全員オールを持って全力で漕ぎやがれ!!」


 ダニエルが大声で指示を出すと他のオーガ達は慌てて倉庫から巨大なオールを取り出し船を漕ぎ始める。ダニエル自身も自慢の筋肉を遺憾なく発揮し、オールで推進力を生み出していった。


「な、何があったのですか!?」


 ただならぬ雰囲気を感じたセリスがダニエルに話しかける。だが、ダニエルは漕ぐのに必死でセリスに状況を説明する暇などない。


「セリス様!あんたは船室に避難しておけ!あれは」



 ザパーン!!



 ダニエル言葉は途切れたが、セリスは海の方に目を向け、ダニエルの言わんとしていた事を理解する。


 それは起き上がるようにゆっくりと海中から姿を現した。

 真っ白な身体に真っ赤な目玉。口から長く伸びた犬歯はこの船を容易く噛みちぎるほどに鋭く尖っている。

 身体の大部分が海の中にあるというのに、悠々と自分達の乗っている船を見下ろしていた。


 恐らく全長は百メートルを軽く超えるであろう、蛇のような巨躯をしたそれの名前は


「リ、リヴァイアサンだぁぁぁぁ!!!!」


 海の生態系の頂点に君臨するといわれている海龍・リヴァイアサン。

 

 王たる威厳を示すが如く、堂々とした姿でセリス達の前に姿を現した。

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