第50話 漁師の朝は早い

 俺は今一陣の風になっていた。


 眼下に広がるのはマリンブルー。陽の光を受けキラキラと輝いている。

 視界を遮るモノは何一つない。時折聞こえる海鳥の囀りが、美しい歌声のように俺の耳を震わせる。


 俺はゆっくりと前進し、船首に足をかけ、その膝の上に腕を乗せた。


 潮の香りが鼻をくすぐる。それはどこか懐かしい匂いだった。

 生物が産まれたのは海の中。おそらく何千年何万年という昔に海に生きていた祖先の記憶が、俺の脳みそに語りかけてきているんだろうな。


 俺は母なる海を眺めながら思った。



 マジで船酔い気持ち悪い、吐きそう。



 そのまま俺は母なる海へと朝食べた物を捧げるのであった。



✳︎


 どうして俺が船なんかに乗っているかと言うと、その理由は少し前に遡る。


 俺達がギーの屋敷から転移してやってきたのはどこかの港だった。

 まーフィッシュタウンっていう名前から魚関係の所であるという予想はしていたが。


「はー……これが港ねぇ……」


 俺は物珍しげに港を見渡す。俺が住んでいたハックルベル村は山奥にあったので漁業とは縁遠かったんだよな。だから港も海もなんか新鮮だ。

 それにしても港っつーのは騒がしい所なんだな。なんかツノを生やしたバケモンが魚を叩き売りしてやがる。


「活気がいいな」


「今は朝の10時頃なんでこれでも落ち着いている方ですよ。ここの漁師は日の出とともに漁に出ますからね」


「随分早いんだな」


「彼らが帰ってくるのが7時頃、その時間が市場のピークになります。魚は新鮮さが命ですからね」


 朝市ってやつか。話には聞いたことがあるな。


「ん?お前ら誰だ?」


 俺がセリスと話していると、さっき魚を売っていた奴が怪訝な表情を浮かべながら近づいてきた。

 うわ、なんだこいつ、俺よりでけぇ!しかもかなりマッチョだ……これが海の男って奴なのか?ツノ生えてるけど。


「って、そのべっぴんさんはセリス様じゃねぇか!つーことはこっちのひょろっちいのは噂の指揮官か?」


 ひょろっちくて悪かったな。お前が無駄に筋肉多いだけだ。つーかお前誰だ。


「はじめましてセリスと申します。こちらは魔王軍指揮官のクロ様です」


 セリスが丁寧に挨拶をする。流石にブレねぇな。セリスの奴、こんな荒くれ者に対してもほとんど態度が変わらねぇよ。


「おう!ギーの旦那から話は聞いてるぞ!お前ら視察とかいうのをしにきたんだろ?」


 なんつーか態度も身体もでかいなこいつ……。こういう輩はあんまり得意じゃないんだよな。


「俺はこの辺を取り仕切ってるオーガのダニエルだ!」


 オーガ……なるほど、こいつがねぇ。人間にかなり恐れられている種族だな。確かにゴブリンやオークに比べると、威圧感が段違いだ。


「ふむ、取り仕切ってるということはお前がオーガのリーダーって認識でいいのか?」


「まぁな。そこまで大仰なもんじゃねぇが、オーガってのは我が強くてな……まとめる奴がいないと大変なんだよ」

 

 うん、まーダニエルを見てれば我が強いってのは納得だな。説得力がちげぇわ。


「なら話は早い。ダニエル、このフィッシュタウンで何か問題は───」


「おい、何勘違いしてんだ?」


 ダニエルが俺の方を呆れ顔で見る。勘違い?どういうこと?


「俺がギーの旦那に言われたのは新しい指揮官の度量を確かめること。だからお前が俺達を見定めるんじゃなくて、俺達がお前を見極めるんだよ!」


 えっ?


「今日からお前には俺の船に乗ってもらう!その働き振りを見て俺が指揮官に相応しいか判断してやる!」


 えっ?えっ?


「いいか?俺を納得させるまでは船で働いてもらうからな!お前の器を俺達によく見せてみろ!!」


 ええええええええええ!!!?


✳︎


 それでさっきの場面に戻る。俺はダニエル率いる漁師群の見習いとして船に乗り込んだ。そして、俺は思い知ることになる。自分がいかに無力な存在であるかを。


「ふぇぇ……セリスぅ……み、水ぅ……」


「はいはい、今持ってきますからね」


 俺が船室のベッドで情けない声を上げると、セリスは文句も言わずに水を取りに行った。セリスの優しさが今の俺には身に染みる。


 舐めてた。完全に舐めてた。初めての船にテンション上がりまくっていた三十分前の自分を殴り飛ばしたい。


 なんでこんなに揺れるんだよ。おかしいだろ。なんか脳みそをシェイクされているような気分に……想像したらまた気持ち悪くなってきた。


 俺はベッドの脇に置いてあるゴミ箱に顔を突っ込む。もう出るものはないっつーのに俺の胃はそれでも何かをひねり出そうとするのか。くそが。

 苦しむ俺の背中を優しくさする手の感触。やばい、今そんな優しさみせられたら、キュンってしてまう!


「早く慣れてくださいね。吐瀉物の処理は秘書の仕事には入っていませんので」


 ……やっぱり辛辣ですねセリスさん。でもなんだかんだで面倒みてくれて本当に助かるわ。

 俺はセリスから水を受け取り、ゆっくりと水分を補給する。


「お得意の魔法陣でなんとかならないんですか?」


「……こういう病気の類は無理だ。回復魔法が有効なのは外傷だけ……」


 話している途中で一段と激しい揺れ。俺はすかさずゴミ箱の方に顔を向ける。


「おいおいおい……情けねぇ姿見せてんじゃねぇぞ!」

 

 そんな俺を見たダニエルが呆れたような口調で言ってきた。つーかお前いつの間に入ってきたんだよ。さっさと出てけ。お前の顔見てると吐き気がさらに増す。


「セリス様は平気なんだな!流石だ!」


「恐らく魔族の三半規管が優れているんだと思います。人間は……その……脆弱なところがありますから」


 セリスが言いにくそうに告げる。いやそこは俺に気を遣わなくてもいいぞ?身体能力的に魔族に劣ることは明白だからな。その分俺には魔法陣がある。


「けっ!やっぱ人間ってのーは脆くていけねぇなぁ!!」


 お前は少し気を遣え。俺は魔王軍の指揮官だぞ。


「このままじゃお前の情けねぇ姿しか拝めねぇじゃねぇか!とにかくそんなんじゃ指揮官の器を見極めらんねぇから、さっさと船に慣れてくれ、指揮官さんよぉ!」


 ダニエルはそれだけ言うとさっさと船室から出て行った。船酔いに感謝するんだな。もし俺が万全だったら地平線の彼方まで吹き飛ばしていたぞこの野郎。

 俺はベッドに横になりながらそんなことを考えていた。


 そしてここから俺の地獄の日々が始まる。

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