第46話 複雑な乙女心

「おはようアルカ……と、セリスも来たのか…………」


「ボーおじさん! おはよう!」


「おはようございます、ボーウィッド」


 アルカを待っていたのか、入り口に立っていたボーウィッドが少し驚いた様子でセリスに目を向ける。


「ということは兄弟もいるのか……?」


「いえ、クロ様は仕事でいません。私は休みをいただいたので、アルカと一緒にお邪魔させていただきました」


「そうか……兄弟は相変わらず忙しそうだな……」


 ボーウィッドが笑いながら少し寂しそうに言った。クロが惜しまれている事がなんとなく嬉しかったセリスの口角が少し上がる。


「魔王軍の指揮官ですから……今はデリシアのミートタウンで暴れていると思います」


「そうか……兄弟は計画のために頑張っているんだな……」


「計画?」


 セリスが首を傾げると、ボーウィッドが少し顔を逸らしながら咳払いをした。その仕草にセリスは僅かな不信感を覚える。


「……兄弟には何かを変える力があるから……きっと皆から重宝されているのだな……」


「そうですね……それに関しては同意します」


 そう言って、セリスはアイアンブラッドの街に目を向けた。初めてここに来た時はゴーストタウンと思えるほど無音であったのに、今は少しだけ話し声が聞こえる。


「クロ様には不思議な魅力がありますから、みんな触発されてしまうんですね」


 嬉しそうに笑いかけると、ボーウィッドが意外そうな表情を浮かべた。


「……セリスは兄弟がいないと……素直になれるんだな……」


「なっ……!?」


 途端に顔が真っ赤になるセリス。ボーウィッドは静かに笑うと、アルカの方に顔を向けた。


「さぁ……工場に案内しようか……少し武器作りを手伝ってみるか……?」


「本当!? アルカ、武器作ってみたい!!」


 アルカがはしゃぎながら工場へと走っていく。ボーウィッドは優し気に笑いながら、その後ろについていった。彼から言われた事にまだ動揺していたセリスだったが、悪いのは全部クロだ、と決めつけ心の平静を保つと、後追うように工場の中へと入っていった。


✳︎


 結局、一日中アイアンブラッドを堪能した二人が小屋に戻って来たのは、日が落ち始めた頃だった。セリスはいつものように夕飯を取りに行く、と言ってアルカと別れ、城の厨房へと足を運ぶ。


「やーやー! セリス様! ご苦労様でーす!」


 そんなセリスに城の女中であるマキが元気よく声をかけた。セリスはマキに軽く挨拶すると、慣れた手つきで夕飯を作り始める。


「はー……相変わらず惚れ惚れするような手際ですねぇ……」


 マキがセリスの包丁さばきを見ながら感嘆の声を漏らした。セリスは少し照れたような笑みを浮かべながら野菜を切っていく。


「そんなことないですよ。マキさんもずっとここでご飯を作っていれば、すぐ上手になります」


「そんなもんですかねぇ……でも、セリス様レベルになれる自分が全然想像できない……」


 トントントン、と小気味いいリズムで野菜を刻んでいくセリスを見ながら、マキはため息を吐いた。


「それにしてもやっぱりセリス様はすごいですよね! 料理も上手ですし、優しいですし、何より容姿端麗! 最近また一段と綺麗になりましたよ!」


「ふふっ……そんなにおだてても何も出ませんよ?」


 はにかむセリスの頬に赤みがさす。そんな反応もマキにとっては反則的な美しさであった。


「やっぱり恋をすると女は綺麗になるっていいますけど、本当のことだったんですね!」


「…………はい?」


 先ほどまで春の日差しのように暖かなセリスの笑みが、氷のように冷たいものに変わった事にマキは気づいていない。


「やっぱり好きな人のためにご飯を作っているセリス様が一番輝いていますもん! いやー本当に指揮官様は幸せ者ですよね! でも、あの人って朴念仁だからなかなか──」


 スパンッ


 この場に似つかわしくない斬撃音が厨房内に響き渡る。おや?っと思ったマキがセリスの手元を覗き込み、ギョッとした表情を浮かべたまま絶句した。


「最近耳が遠くなってしまったかもしれません……マキさん、今何かおっしゃいました?」


 柔らかな笑みを向けられたマキは無言でブンブンと頭を横に振る。


「そうですか……あら? なぜかまな板が真っ二つになっていますね。もう古くなっていたんでしょうか。マキさん? 新しいまな板を持ってきていただけませんか?」


「…………はい」


 マキは静かに頷くと、恐る恐るといった様子でセリスからまな板を受け取った。その切り口を見て思わず背筋が凍り付く。


 軽々しくセリスとクロのことを話題にしてはいけない、マキは心の中で自分を戒めたのだった。



 マキから新しいまな板をもらい、無事(?)に夕食を作り終えたセリスは、いつものように小屋へとそれを運び、アルカと共に食事をとった。そのままお風呂に入れ、アルカを寝かしつけたところで、帰るべきか待つべきか迷ったセリスだったが、やはり気になるので待つことにした。

 ギーッ……。

 なるべく音をさせないように、という配慮が感じられる戸が開く音が聞こえたのは日を跨いで少し経った頃であった。セリスは玄関の方に振り返りながら声をかけた。


「お疲れ様です。今日もまた随分と遅かった……」


 セリスはクロの姿を見て思わず目を丸くする。まるで子供が泥んこ遊びをしたかのように、身体中が泥まみれなクロが気まずそうな顔で立っていた。


「ど、どうしたんですかその恰好!?」


「え? あー……ちょっと羽目を外しすぎたかな?」


 クロは照れ臭そうに自分の頬を掻いた。それだけで顔に付いた泥がボロボロと落ちていく。


「ま、まぁそれならいいです。それでミートタウンの方は上手く行ったんですか?」


「お、おう! もちろんでしょうが!」


 自信満々に答える割にはクロの目は左に右にと泳ぎまくっていた。セリスの心の中で昼間感じていた不安が膨らんでいく。


「そ、そういえば休暇はどうだった?」


 あからさまな話題の転換。もはやミートタウンで何かがあったことは明白。


「……アルカと一緒にアイアンブラッドに行ってきました。とても有意義なものでしたよ」


「そ、そっか! それならもう一日」


「明日はクロ様について行きますから」


 クロの言葉を遮るように、セリスはぴしゃりと言い放った。クロのこの態度……やはり命令を無視してでも一緒に行くべきだったのではないだろうか。いや、まだその答えを出すのは早いかもしれない。それを知るためにも、しっかりとこの目で確かめなければ。


「それではおやすみなさい」


 セリスはクロの言葉を待たずしてさっさと小屋を後にした。クロはセリスに伸ばしていた手をそっと下ろし、明日のことを考える。 


「明日、セリスがあいつらのことを見たらなんて言われるだろうな……」


 泥だらけの自分の腕を見て深々とため息を吐いた。


「……とりあえずシャワーでも浴びるか」


 悩んだところでどうせセリスは来てしまうのだ。それならばもう開き直ることぐらいしかできない。クロは黒いコートを脱ぎ捨てると、気を取り直して浴室へと入っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る