70 アルハモアナ、岩田総一郎の体に棲みつく
エレベータケージが開いた。
台車に積まれた医療機器がゆっくりと出てくる。最後に二人の乳児が寝かされているベビーサークルが現れた。
五人の研究員助手たちが手際よく医療器具を設置していく。豪華な革張りの寝台椅子が、私の目の前に設置された。岩田総一郎が、助手たちに抱えられて、その椅子に座らされる。
岩田の周りには、いくつものバイタルモニターが取り囲む。
椅子からケーブルが伸び、端子が岩田の体に張り付けられていく。手首、足首に血圧計が巻かれる。電源が入り、モニターが明るくなる。そして数字と波形は映し出されていく。
私は後ろに下がり、椅子に腰かけた。横にサクラがいる。彼女は私を鋭い眼差しで見詰めていた。だが、私に何も語りかけてこなかった。
「所長、一回目を始めます」
主任研究員の松井が岩田に囁いた。
岩田は蒼白な顔で頷く。
寝台椅子は徐々に水平になっていく。やがて岩田の顔が見えなくなった。
緊張した静寂が続いた。
私は目を閉じて時間を過ごした。
マヨ……。
脳裏にアルハモアナの声が響いた。
岩田の体に新しいアセチル化酵素が凄まじい勢いで分泌されている。このままでは、超遺伝子が発現するかもしれない。突然変異が起こったら、われは、岩田の体に入れなくなるかもしれない。急ぐのだ、マヨ。
サクラ……。
私はサクラに向かって念じた。
サクラ、最後のチャンスだ。あなたは、わたしを信じるか。それとも岩田の元で殉じるか。今が最後のチャンスだ。
……わたしは、どうすればいいのだ?
わたしが、行け、と言ったら、岩谷に噛みつくのだ。そうすれば、わたしの仲間がおまえを助けてくれる。
彼を取り囲んでいるバイタルモニターが突然真っ暗になった。
寝台椅子が徐々に起き上がって来る。やがて、岩田の顔が見えてきた。
口元に笑みを浮かべている。若返っている。八十代半ばの健康そうな老人に見える。
「どうだ、わたしは、どう見える?」
岩田は私に尋ねた。
私は返答をするのを忘れて彼を見つめ続けた。
「実に気分がいい。こんな爽やかな気持ちになれたのは、久しぶりだ」
岩田は立ち上がった。
そしてゆっくりと私の方に歩いてくる。
そして、私の前に立った。
「マヨ、わたしの生殖機能は、回復しているぞ。戸田マヨ、、おまえの望みは何だ。わたしに出来ることなら、なんでも叶えてやるぞ」
両手を私に差し出した。
私は念じる。
アルハモアナよ、心の準備はできているか?
できている。
彼女の声が脳裏に木霊する。
私は立ち上がり、岩田の前に立った。
彼は両腕で私を抱いた。
「わたしと、結婚してください」
彼の私を抱く力が強くなり、頷くのが分かった。
私は唇を合わせた。
口腔の皮膚を咬み、血を溜めた。そして唾液と共に彼の口の中に注いでいく。
彼の体に微かに痙攣が走った。私は彼を抱きながら前に進み、寝台椅子に座らせた。袖の布で、彼の唇を拭いさる。
「あああ……」
彼は仰け反り返った。口を開き、天を見上げる。
彼は凄まじい快感に溺れていた。
彼は虚ろな眼差しで私を見ている。彼の呟きが聞こえる。
マヨ…、マヨ……。
山口が私の体を後ろに引いた。
「おまえは、何をした?」
「何もしていない」
岩田は再び立ち上がった。そして満面の笑みを浮かべた。
背筋が伸びていく。顔から皺が消えていく。頭に黒髪が蘇っていく。
彼は天を見上げ、叫んだ。
「素晴らしい……、素晴らしい……。力がみなぎってくる」
彼は数歩歩いて周囲を見回した。
「松井、おまえに秘薬開発の名誉を与える。そして巨万の富を得るがいい。マヨ、おまえは、これから私と共に人生を送るのだ」
サクラ、行けっ。
私は念じた。
サクラが立ち上がった。足枷を引きずりながら岩田の足元まで歩き、膝まづいた。
「お爺様、わたしにも、お慈悲を」
岩田の体に手を伸ばし、彼女は立ち上がった。
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