第八章
69 サクラを説得する
私は山口和香に連れられいつもの研究室に入った。
研究室中央の車椅子に岩田総一郎がいた。その隣に主任研究員の松本が控えている。
「昨夜は随分うなされていたようだな」彼は私を見詰めかぼそく呟いた。一つ咳払いして、話を続ける。
「戸田マヨよ、準備は整った。最終段階に入る。わたしの新しい人生が始まるのだ」
「知見を得たのですか」
岩田は松井主任研究員に視線を送り頷く。
松井はゆっくりと話し始めた。
「あなたが有している未知のウイルスを乳児のエキソソームに感染させ、新しいエキソソームを生み出すことに成功したのです。このエキソソームは、乳児のサーチェン遺伝子に作用し。男でも有効な特殊アセチル化酵素を産出することに成功しました」
「知見を得たのですね」
「はい」
「新しい超遺伝子を生み出すことには、ならないでしょうね」
私は昨夜のアルハモアナの言葉を噛みしめて尋ねた。
松井は眉をひそめて私を見詰めた。
「それは……。どうして、そう思うのですか」
私は口を噤んだ。
「それは、夢物語です。短時間で、そんなことが起きるはずがありません」
これ以上追及してみても無駄だ。私は頷いてみせた。
「それでは、もうわたしは用済みということですね」
そう言って、私は岩田に笑顔を向けた。
彼も笑みを浮かべた。
「そうは、いかないのだ、マヨ。そうだな松井?」
「その効果が継続されるのかどうかは、まだ解明されておりません。検証を続ける必要があります。今、あなたが言ったスーパージーンの可能性も含めて」
私は白衣の女研究員に案内され、地下の大広間に行った。
「ここで、お待ち下さい」
彼女はそう言うと、大広間を出て行った。
サクラが足枷を付けられたまま椅子に座っている。近づいていくと、上目遣いに私を見上げた。
「この前の、あなたの問いかけの答えを持ってきた。あなたが何者なのか……。その答えだ}
サクラの後ろの壁が縦に割れ、エレベータケージが現れた。ケージが開き、山口が岩田の車椅子を押して大広間に入って来る。
岩田総一郎と山口和香は私を見詰めた。
「これから、わたしは、秘薬を体に入れる。その結果所期の結果を得られれば、サクラは、お前に引き渡す」
彼を膝のマントを手で払い、鉄の斧を私に見せた。
「この、斧も、もう必要なくなる。お前に返してやろう」
「戸田さん、もう少し、ここでお待ちください。研究員たちが医療器材を持ってきますので」
山口は穏やかな口調で言った。
岩田と山口の前で、私は言葉を出してサクラと話をすることができない。
サクラはきっと超能力者だ。私の心の言葉を理解できるかもしれない。もし、そうでなかったら、彼女との接触は諦めるしかない。
私は目を閉じ、心を集中させ一心に念じた。そしてサクラの心に話かける。
わたしの、答えを聞きたいか?
サクラは目を閉じ、私に心を集中させている。
一分ほどして、彼女が頷いたことが分かった。サクラは私の心の言葉が理解できたようだ。
山口和香を知っているな?
彼女は私を見詰めたまま頷いた。
自分と似ているとは、思わないか。あなたは、山口和香のクローンだ。
誰が、そう言った?
わたしには分かるのだ。あなたの息と山口和香の息は、同じ成分を持っている。基本的なDNAは同一なのだ。あなたたちは、一卵性双生児に近い。理解できるか?
サクラは目を閉じた。微かな悲鳴を上げてうずくまる。
あなたなら分かると思うが、わたしの体は、魔性の者の影響を受けている。あなたは、直感的にそれを感じたから、わたしを殺すことに躊躇った。今は、わたしの体に魔性の者が棲みついている。わたしたちは、仲間だ。普通の人間ではないのだ。
岩田総一郎には、子がいない。生殖機能を失っている。だから、孫など存在するはずがないのだ。
サクラの心は沈黙した。
暫くすると、俯いたまま声を出して笑いだした。
だから、わたしは、何者だ、と訊いているのだ。
あなたは、岩田総一郎の失敗作なのだ。だから……、だから岩田総一郎は、あなたを処分しようとしている。それなのに、あなたに、何の感慨も持っていない。……それでも、あなたは、岩田総一郎に忠節を続けようとするのか。
サクラは私を見詰めて笑い続けた。
彼女の笑いは絶望に満ちた叫びに変わっていく。
サクラよ、私は同じ魔性の者として、あなたを救うことができる。
「嘘だっ」
サクラの叫び声が広間に響き渡った。
山口が私の所に駆け寄ってきた。
「嘘ではない。おまえは、おまえの人生を送らなければならない」
山口は私の腕を引いて、体を拘束した。
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