68 アルハモアナの提案



 夕食後、私はベッドルームに閉じ籠った。


 私は腕のデジタル時計を奪われた。正確な時間、その経過が分からない。そう、私は囚われの身なのだ。

 何時間も、私はアルハモアナに問い続けている。これからなすべきことは何か、と。


 私は眠りに落ちた。

 マヨよ、戸田マヨよ……。

 アルハモアナの声が聞こえる。


 おまえの体の秘密が解明された。新しいエキソソームが創られつつある。そのエキソソームが乳児のサーチェイン遺伝子に作用し、今までとは全くことなる新たな特殊アセチル化酵素を生み出すことになる。そして、遺伝子は反転し、超遺伝子が発生する。このまま放置すれば、新しい人類が誕生してしまう。


 新しい人類? 


 現生人類の先をいく人類だ。現生人類の先を行く新しい人類だ。


 それは、人類といえるのか。


 その超遺伝子を持つ生物は、三百年以上の寿命を有し、その超遺伝子は次の世代に引きついていく。おまえは、その生物のイヴになるのだ。


 私は胸が熱くなった。苦しい。

 私は悲鳴を上げた。

 暗闇の中に、私はベッドの中にいた。これは、悪夢だ。絶対悪夢だ。

 

 照明が点く。

 寝汗をびっしょりかいている。

 山口和香が入ってきた。

 私は上半身を起こした。


「今、何時?」

「午前三時三十五分」


 私は床に足を下ろした。

「お願いがあるんだけど」

 山口が私の顔を覗き込んだ。

「この部屋を覆っている電磁波を止めてくれないか。このままでは、わたしは健康は保てない。わたしの免疫が落ちてしまう」

 彼女は私の顔を見つめ続けたが、小さく頷くと出ていった。


 三十分ほどして、照明が消された。そして、電磁波がなくなったことに気づく。

 私はベッドに横たわり、毛布を顔まで被せた。


 アルハモアナよ、アルハモアナ……。

 私は念じる。


 マヨ、ようやく気付いたか、電磁波のことを……。電磁波がおまえとの意思の疎通を妨げていたことを。


 新人類のことは、本当か?


 私は夢の中のアルハモアナの言葉を確認した。

 

 本当だ。おまえが、この部屋に戻る前に、ここの研究員たちは、既にその妙薬に辿り着いていたのだ。夜明け前までに、彼らは立証段階に入る。そして知見を得られるだろう。

 

 岩田総一郎は若返るのか?

 

 いや、突然変異を起こし、新しい人類に変わるのだ。


 それは駄目だ。絶対阻止しなければならない。


 アルハモアナは沈黙した。

 私は彼女の返事を待った。何故か返事がこない。


 アルハモアナ、どうしたらいい?


 マヨ、おまえは、自分を捨てることができるか。


 捨てる? 死ぬということか。


 そうだ。


 わたしが死んだら、あなたはどうなるのだ。


 おそらく、死神によって、黄泉の国へ連れていかれるだろう。


 私は大きな溜息をついた。


 あなたは、何を考えている。あなたのどんな企てで、わたしは自分を捨てることになるのだ。


 おまえが、わたしを岩田総一郎の体に送り込ませるのだ。しかし、その企てを事前に察知できる者がいる。あの怪人、サクラという名のクローンだ。おまえがわたしを岩田の体の中に送りこめたとしても、すぐサクラに殺されるだろう。サクラは既に、岩田の元に来ている。


 岩田は、サクラをわたしに引き渡すと言っている。


 それは、おまえを説得するための方便かもしれない。鵜呑みにしてはならい。


 私は大きく深呼吸をした。


 アルハモアナよ、あなたは岩田を操り、この研究所を破壊させるつもりなのか……。


 どうだ、やってみるか?


 うん……。その前に、サクラと話してみる。


 うまくやれば、おもえを開放してやってもいい。おまえの代わりにサクラに棲みつく。選択肢は多いほうがいい。それに、おまえに棲みついても自由に動けないのはつまらない。あの子は、精神的にも、肉体的にも、実に魅力的だ。マヨよ、おまえたち親子に会うまで、われはミイラの体の中で死ぬことだけを望み続けてきた。だが、おまえたちに会って、考えが変わった。この世に生きることも悪くない、と。


 アルハモアナよ、サクラは殺人を犯した犯罪者だ。自由にはできない。わたしは警察官として、彼女を逮捕しなければならない。それでも、あなたはサクラに棲みつくというのか」


 アルハモアナは微かに笑った。


 日本の刑法を調べた。日本の法律でサクラを裁けるのか。彼女には責任能力がない。専門家が診ればすぐわかる。


 わたしは、サクラを逮捕しなければならない。


 好きにするさ。もしサクラの体に入り込むことができたなら、われはサクラと共に、自由になる。マヨよ、心配するな。われはサクラをまともな人間にしてみせる。おまえのような、人間にな。


 それから、アルハモアナと話すことは無かった。彼女の気持ちは痛いほど分かる。彼女はすでに私の体の一部になっている。一心同体なのだ。

 私は目を閉じたまま時間の経過するの待った。


 照明が点き、ドアが開いた。

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