66 岩田遺伝子研究所
軽い食事の後、私はリムジンに乗せられ岩田邸を出発した。私の前の座席に山口和香が座っている。
警察庁の佃課長から与えられた残務整理の日数は十四日、今日は十日目だ。後四日しか残されていない。
窓は分厚い黒色布地のカーテンに閉ざされていて、外は窺い知れない。後でブールスかアルハモアナに訊けばわかるだろう。
私は目を閉じ、時間の感覚を私の体に閉じ込めた。
何度も道を曲がった。意識的に私の空間認識を歪めているのか、進んでいる道が目的地に直行しているのか分からない。
数時間は経過しただろう。
リムジンは止まり、エンジン音が消えた。
ドアが開けられる。山口が下りた。彼女は男と会話している。私の事を話している。
「戸田さん、着きました。下りて下さい」
山口が車内に顔を覗かせて言った。私は無言で頷くと、車を降りた。
地下駐車場だった。
広い。高層ビルの駐車場のような広い空間だった。乗用車が二十台以上停まっている。後は大型のバンが三台、ホローを付けたトラックが二台。
「岩田の遺伝子研究所です。地下は研究所になっています。外部には公表しておりません。この上には立体駐車場と温室があります」
山口はそう言うと、エントランスに向かって歩き出した。
両開きの自動ドアを通ってエントランスに入る。上に上がる階段が正面にあった。左側の壁面にエレベータの扉が見えた。
山口は左側のスタッフルームと記された扉を開ける。そして、私に中に入るように促す。コンクリート壁の十二畳ほどの四角部屋、窓も扉もない。山口を出迎えた初老の男が、スマホを出して操作する。左端の一角が、二メートルほど右側にスライドした。山口が入って行く。私も後に続いた。最後に初老の男が入ってきて、扉を閉じた。
突然明るくなった。
照明が点いたのだ。そこは、幅二メートルの廊下だった。まっすぐ百メートルほどの先まで続いている。廊下の壁面にドア口のようなものが見当たらない。真っ白な壁が続いているだけだ。
二十メートルほど歩いて、初老の男は立ち止まり、スマホを操作する。右側の壁面が割れ、非常灯の点いた薄暗い空間が現れた。男は真っ先に入り、山口が私を促しながら入っていく。
白色灯が灯る。百平方メートほどの四角い部屋だった。
その正面の壁が真っ二つに割れ、巨大な空間が現れた。
透明なガラスに囲われた無数の部屋が、私の目の前に現れた。
初老の男が私の目の前に立った。
「戸田さん、わたしが、この研究所の主任研究員、松井です。よろしくお願いします」
私は彼を見詰めたまま頷いた。
「これから、あなたの体を調べます。まず検査着に着替えていただきます」
白衣の若い女性二人が現れ、私を促して歩いていく。
更衣室に入り、水色のパジャマ型の検査着に着替える。次に向かったのは。身体測定室だった。身長、体重、体形の測定、脂肪量、筋肉量と、そつなく進んでいく。
血液検査では、大量の血液を採取された。あまりいい気分ではない。
全身のレントゲン検査を終えてから、私は別室に連れていかれた。
ベッドに寝かされる。磁気共鳴血管撮影装置が私を包み込む。真っ暗だ。静かに呼吸を続けて下さいという検査技師の声がする。
この検査は長かった。一時間以上かかっただろう。
私は天井から陽の光が差し込む明るい部屋に案内された。
テーブルの前の、椅子に座るように指示される。
何か飲み物を飲まれますか、と検査技師が尋ねた。コーヒー、と私は答えた。それから十分ほど一人で過ごした。その間、アルハモアナからは何の反応もなかった。彼女は何を思い、これからどうしようと考えているのだろうか。
検査技師がトレーにコーヒーカップを載せて入ってきた。その後から松井が入ってくる。
検査技師はテーブルにコーヒーカップを置くと、部屋を出ていった。松井が私の前に座る。
「戸田さん、あなたは健康です。申し分ありません」
私は頷いてコーヒーを一口飲んだ。
「人間には、男と女があります」彼は真剣な眼差しで私を見詰めた。
「完全な男と、完全な女。典型的な男、典型的な女。その間に様々な性があります。レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーなど、ご存じでしょう。男から女へ、女から男へ、連続して様々な形態があるのです。それは、決して異常なことではありません。性のスぺクトラム、連続しているのです」
彼はそこまで言うと、顔に両手を当て、私を見詰めた。
「あなたは、女ですが、完全な女ではありません。たしかにあなたの外性器は女ですが、完全ではありません」
私は頷いてコーヒーを口に含んだ。
「AIの分析で、あなたの血液にウイルス遺伝子PEG10に変異株がが見つかりました。非常に興味深いです。明日、説明できると思います。それからもう一つ、エクソソームにマイクロRNAの塩基の数に異常があるものが認められました。ウイルスとエクソソーム、非常に興味深いです」
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