第七章
61 岩田総一郎からの提案(1)
白金の岩田邸に着いたときは、陽が落ちた後だった。
門扉から長いアプローチを通り、宮殿のごとき重厚な屋敷の玄関に向かう。両開きの玄関扉の前には、五人の召使い姿の女が控えていた。
少し腰の曲がった長老格の老女に、蝋燭の灯った長い廊下を案内され、薄暗い洋室に入った。中央に天蓋のある大きなベッドがあった。私はそのベッドの傍らまで行き、傍らに立たされる。
ベッドの中から、白髪の老人が私を見詰めている。
「戸田マヨか……」
その老人が掠れた声で尋ねた。
「そうです」
「歳は、いくつだ」
「二十九です」
「二十九……、若いな」
召使いの老女が、老人の上半身を起こし、背中に枕を当て体を支えた。
「よく来てくれた。感謝する。わたしが岩田総一郎だ」
私はじっと岩田を見詰め、次の言葉を待った。岩田の顔は皮膚が崩れ、歪んで見えた。両眼がギラギラと輝いている。彼は病気を患っている。それもかなり進行しているのであろう。
「おまえは、乳児のころの記憶を持っているのか」
「はい」
「わたしは、九十六歳になる。後何年、何か月、何日、生きていられるか分からない。わたしには残された時間がないのだ」
彼は言葉を詰まらせ、咳きこんだ。
私は彼を見詰めたまま沈黙を守った。
「ここに来てもらったのは、頼みがあるからだ」
「はい」
「わたしが、回復し若返るまで、おまえには、わたしの傍にいて協力してほしい」
私は首を傾げ、岩田を見詰めた。
「その理由は、お前をここに連れてきた山口に説明させる。どうだ、協力してくれるか」
「わたしに、どんなメリットがあるんですか」
私はそう言って、微笑んで見せた。
「おまえは、何がほしい。わたしに出来ることは、何でも叶えてやろう。カネか、名誉か、それとも権力か」
「例えば」私はそう言って岩田の顔を見た。彼の顔は微笑んだように見えた。
「カネならいくら出すのだ」
「一千億円、成功すれば、一兆円」
「カネも名誉も権力も欲しくないと言ったらどうする」
「うん……」
彼は目を閉じた。
「おまえの望みは何だ」
「二人の乳児はどうしている」
「元気だ。もう必要ない。返してやってもいい」
彼は咳きこん。介添えの女が、背中の枕を外し寝かせた。
「戸田、マヨ、後は山口から聞いてくれ」
「金の首飾りと鉄の斧は持っているのか」
彼は目を閉じ、沈黙した。
「戸田さん、こちらに」
女はそう言って、私を別室に案内した。ホテルのロビーのように広い部屋だった。中央にあるソファーに座るように指示される。私は腰を落とし腕を組んだ。
すぐ山口が現れた。
彼女は私の前に立った。
「私は岩田の秘書、山口和香です。あなたは、何を知りたいのですか」
「わたしは、ここで何をすればいいのですか」
「何も、することはありません、ただ、あなたの体を調べたいのです」
「体の、何を調べるのですか」
「すべてです」
「何の、目的で」
私はソファ―から立ち上がった。
「若返りの秘宝を得るためです。二年前にミトコンドリアに特殊な変異をしたサーチュイン遺伝子が見つかりました。その遺伝子が発する特殊アセチル化酵素が細胞の活性化に関係していることが判明したのです」
私はソファーに再び腰を落とした。
「ところが、その遺伝子を持つ女性は、ほんの一握り。大量の特殊アセチル化酵素を得るために、気の遠くなるほどのカネと日時を要しました。幸運にも、北海道で二名の保有者が見つかりました」
私は腕を組んだまま、山口を見詰め続ける。
女がトレーにジュースコップを載せてきて、一つを私の前のコーヒーテーブルに置き。もう一つを山口に渡した。
山口はジュースを一口飲むと、話を続けた。
「問題は二つありました。その特殊遺伝子は、生後六か月から一年の間だけ発生するのです。それから、もう一つは、最近分かったのですが、女性だけに有効なのです。ミトコンドリアに由来しているからでしょう。すでにお分かりでしょう。岩田には効果がなかったのです。あなたが、男から女に変わったメカニズムが分かれば、解決策を見いだせる、というのが研究者の一致した意見なのです」
「それならば、わたしを拘束し、調べればいいでしょう。私の同意など得ずとも」
「それができれば、苦労はしません」山口は笑みを浮かべた。
「その遺伝子は免疫機能と深く結びついていて、免疫が落ちると、その遺伝子の機能も落ちるんです。ですから検体者に無理強いはできないのです」
「岩田総一郎は、人の命を殺めてまで、どうして、そんなに若返りたいのですか」
「さあ、私には分かりません。明日、直接本人にお聞きになったらどうです」
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