59 棺に刻まれていた文字群
私は登記所で廃屋の土地の所有者を調べた。
十年前に、義父が買い求めていた。
私は地下室を掘り起こすことを決断した。小田切拓真に依頼し、その準備を整えた。
棺を軽トラックに載せて洋館に着いたときは、夜の帳が完全におりていた。
私と狩原薫、竹下莉南、小田切の四人で、棺を一階リビングルームの応接間寄りの場所に運びこんだ。台座の上に載せる。
私は蓋を開け、そっと覗き込んだ。ミイラに変化はなかった。竹下と小田切に見るように勧めたが、二人は拒否した。私はカメラを構えて棺をじっくりと見て言った。
何も刻まれていなかった。
「小田切さん、刻印はどこにあるの」
「棺の蓋の裏、と先生から聞きました」
私は狩原の手を借りて、棺の蓋を持ち上げ、裏返しにしてテーブルに置いた。
契形文字が二列に並び、その下に絵文字と契形文字が組み合わさって二列に並んでいる。
私は写真に撮った。
二つの文字群に、同一の契形文字があった。
私はその文字を指でなぞった。そして、小田切の顔を窺った。
「それは、おそらくアルハモアナ、と刻まれているのでしょう」
小田切の判断に納得がいった。
第一群の文字には、アルハモアナに関する記述、アルハモアナを処刑した理由、そしてその処刑内容と鉄の斧、金の首飾りについて記されているのだろう。
だが、第二群の絵文字の内容が分からない。
これでは父遠見悟志も解読できなかったであろう。
「小田切さん、解読できますか」
「先生ができなかったものを、私ができるはずがありません」
「田鶴母さん、スーパーコンピュータでも、無理?」
「あまりにも、文字数が少なすぎます……」
私は腕を組んだ。
「だめか……」
「マヨちゃんアルハモアナに訊いてみたら」
田崎がぽつんと言った。
「それは、絶対だめ。アルハモアナには知られたくないの」
「ブルースには、知られてしまったわよ。大丈夫なの」
私は床に伏せて眠っているブルースを見詰めた。
「彼とは、話し合ってみる」
「お嬢さん、解読の基本は、ひらめきと想像力です」小田切は鋭い眼光で私を見詰めた。
「第一の文字群の意味は分かっています。第二の文字群の解読は、アルハモアナの文字を鍵にして、文字群全体を創造していくしか方法がありません」
そうか、ここはアルハモアナを処刑した国王の立場に立って、物語を創造するしかないのだ。
「小田切さん、専門家に依頼して、第一群の契形文字を正確に翻訳しください。できますか」
「やってみます」
その夜、私は一階のリビングルームにマットレスを敷いて、その上に横たわった。棺の傍にいれば、ひらめきがあるかもしれない。田崎と狩原は二階の寝室で眠っている。小田切は隣の小部屋に閉じ籠った。
体の上に、羽毛布団を二枚掛ける。枕元にB四のノートとボールペンを置く。
すぐ傍には、ブルースが眠っている。
応接間方向に顔を向ける。
台座の上には、アルハモアナの棺がある。
わたしは目を閉じた。そして思いを巡らせる。
アルハモアナはヒッタイトのシャーマン。そのシャーマンが国王に対して反逆を企てた。国王はその罪を咎め、罰を科した。だが、処刑しなかった。何故?
彼女は魔力を持っている、と恐れられていたから……。
彼女は死神を遠ざける鉄の斧を持っていた。彼女は不死の能力を持っている、と恐れられていたから……。
それで、アルハモアナが体から抜け出せないように呪文をかけ、見張りをつけた
私は気配を感じて目を開けた。
ブルースが私を見下ろしている。
「ブルースよ、おまえはアルハモアナのムフタールに戻りたいのか、それとも黒田真知のブルースのままでいたいのか。どちらなのだ。お前の決断一つで、わたしの未来が決まるのだ」
ブルースは私の問いに答えなかった。
「マヨよ、おまえは既に答えを出している」
私は上半身を起こした。
「答えを出したとは、どういう事だ」
「棺に刻まれた絵文字は、アルハモアナを自らの体に閉じ込めたときの秘法が記されている」
私はブルースの赤い両眼を見詰めた。
「お前は、アルハモアナの飼い犬だろう。主人を裏切ってもいいのか」
「われの主人は、アルハモアナではない。われには、主人はいないのだ。われは、王の五人の衛兵と共に呪いをかけられ、生贄にされたのだ」
私は胡坐をかいて、ブルースを真正面から見詰めた。
「何のために?」
「アルハモアナが、体から抜け出せないようにするために。そして、アルハモアナを屍から解放しようとする者に死を与えるために」
「何故、アルハモアナを処刑しないのか、どうして火葬にしないのか」
「王は恐れていた。自分の肉体にアルハモアナが棲みつくことを。アルハモアナに死はない。殺そうとした者の肉体に転移することができるのだ」
「王の衛兵たちは、どこにいる」
「闇の魔界にいる」
「呼び出すことは、できるのか」
「段取りをとり、呪文を唱えれば」
ブルースは棺の前まで歩いた。そして蓋を開けるように言う。
「まず、呪文を唱える。魔界の衛兵を呼び出す呪文だ。まず秘法の文字に指を添え、こう言うのだ。アジラアルカエフラ、アルハモアナ。魔界から衛兵をやってくる。次にアルハモアナの命を宿した者の血を。屍の口の中に落とすのだ。そして、金の首飾りを首にかける。屍からアルハモアナの命が抜け出さないに、衛兵が五人がかりで体を押さえつける。衛兵たちが消え、アルハモアナは再び永遠に眠りにつく」
私はミイラの両眼を見詰めたまま、そっと棺の蓋を閉じた。
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