44 軽井沢の別荘へ、黒田真知に会いにいく

 

 黒田家の別荘は、旧軽井沢の一角にあった。

 門扉の前にタクシーを止める。呼鈴を鳴らし、警察庁の戸田です、と伝える。

 門扉が緩やかに音を立てて開いていく。


 十数メートル先に、細長い白壁の建築物が見える。その玄関から石畳のアプローチを若い女が歩いてくる。

 私に向かって頭を下げた。

「戸田さま、奥さまが、テラスでお待ちです」


 私は彼女の後を付いて行く。

 目の前に、黒い屋根、グレイの壁面、南面に向かって緩やかなカーブを描く細長い平屋の建物だった。その建物の中央の階段を五段ほど上がると、板張りの広いテラスに出る。


「どうぞ、こちらです」

 女は私を右側のテラスに案内する、

 そこには、楕円形の木造のテーブルと椅子があり、一人の女が立っていた。

「奥さまです」

 女が私に視線を向けて言った。


「警察庁の戸田です」

 私は笑顔を作り、その女に向かって行く。女も頭を下げ、黒田の妻、真知です、と名乗った。

「実は、軽井沢に別件の用事がありまして、その帰りに寄りました。お伝えしたいことがありましたので」

「どうぞ、お座りください」


 私は女の顔を見た。たしか三十五歳。美しく若々しい。

「お体、いかがですか」

「はい、おかげさまで、だいぶ、体が楽になりました」

 小鳥のさえずりが聞こえる、森に囲まれたこの別荘は、私には楽園に思えた。


「美月のこと、進展がありましたか」

 彼女は微かに笑みを浮かべて尋ねた。

「はい。美月ちゃんは、元気で、安全の所にいることが、確認できました。具体的なことは、捜査上の問題があって、お伝え出来ないのですが」

 彼女に笑みが零れた。

「そうですか、安心いたしました」


 余計なことを言ってしまったかと後悔したが、嘘を言っているわけではない。なによりも、彼女の心を温かくしたかった。


「真知さん、ブルースをご存じですね」

「はい」

「ご主人から、お聞きしましたか? ブルースのこと」

「いえ、まだ」


「石窟の、ミイラのことは、ご存じですね」

「はい。父が発掘しましたので」

「その石窟に、狼犬のミイラが眠っていたことも、ご存じでしたか」

「はい。その頃は子供でしたが、微かに覚えています」

「その狼犬のミイラが、ブルースだったのです。本当の名前は、ムフタールといい、女ミイラの飼い犬だったらしいの」


 使用人の女が、果汁のミックスジュースをテーブルに二つ置いた。

 真知は私を真正面から見詰め、瞬き一つしなかった。女が去った後、私は告げた。

「その女ミイラの名は、アルハモアナ、紀元前十六世紀、ヒッタイトのシャーマン、呪術師。その女は、国王によって、金の首飾りを付け、鉄の斧を持たされて、生きたまま棺におさめられた。彼女は魔力も使えず、死ぬことも許されず、棺の中で何千年も堪えてきたのです」


 真知は言葉を捜していた。

「あなたの、父親が、魔女となったそのミイラを発掘したんです」

「どうして、あなたは、そのことを?」

「私の父は、あなたの父親から、調査の依頼を受けた、考古学者です」

「ああー」

 真知は嘆きの吐息を漏らした。


「その事と、美月の失踪のことは、関係しているのですか」

「まだ、分かりません」

「申し訳ありません」

 真知は涙を浮かべた。きっと、彼女は私の父親が亡くなり、母が失踪していることを知っているのだろう。


「真知さん、ブルースがここに来ています。ブルースの生霊が、私と共にここにきているのです。ブルースは、きっと喜んでいると思います」

「ブルース……、生きていたの……」

「真知さん、心を強く持ってください。アルハモアナが、あなたの心に接近してくるかもしれません。何かあつたら、必ず私に知らせてください。私は全力で、あなたの美月ちゃんを探し出します」

「あなたは、何者なの」


「わたしは……、私はただの警察官、戸田マヨです」


 スマホのメール着信音が鳴った。

 メールを開く。

「戸田マヨ、金の首飾りを持って、一人で小田切拓真の家まで持ってこい。持ってこなければ、小田切の命はないと思え」

 発信は、小田切拓真のスマホからだった。発信者の名はなかった。

「今は、長野に来ている。明日、持っていく」

 私はそう返信した。

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