42 ブルースの生霊と母遠見藍子の行方 


 ブルースは眠っていた。

 昨夜与えた子羊の肉二キロを平らげ、水もたっぷり飲んで、満足気に眠っている。


 朝食後、私はブルースに関わるすべてのことを、田崎多鶴子、狩原薫、竹下莉南に説明した。田崎と狩原はすぐ納得したが、当然のことながら竹下は理解しかねている。

 

 次に、篠原さやかの病状について説明しようとしたが、理路整然と話すにはどうすべきか迷った。篠原夫妻を襲ったのが、夫守の仕事関係だとすると、犯人はあの蝋人形の怪人とは別人ということになるだろう。いや、犯人は複数いるのかもしれない。


 私は被害者篠原守の調書に目を通す。

 彼は北見市内で喫茶店を経営している。ボックス席九つと、カウンター席五つの、ありふれた喫茶店である。喫茶店経営の取引先の人物とは、いかなる人物なのか。


「植物状態の篠原さやかが、私に伝えたことがある。犯人は夫の仕事の取引先だ、と」

 私はそう言って、三人の顔を窺った。

「彼の仕事は、喫茶店の経営だったわね。コーヒー豆の仕入れ先? まさか、客ではないわよね」

 田崎が調書を手に取りながら言った。


「もしかしたら、副業をやっていたのかも、しれないわ」

 狩原はそう言って、テーブルの四つのカップにガラスポットから珈琲を注ぐ。


「被害者篠原守の洗い直し、薫姉さんと、莉南でやってもらうわ。お二人さん、できるわね」

「簡単な仕事だわ」

 狩原がそう言うと、竹下も頷いた。


 狩原と竹下が出かけた後、田崎が真剣な眼差しで私を見詰めた。

「お母さんの有力情報がある」

 彼女はノートパソコンの画面を指さした。警察庁身許不明者情報一覧であった。


「失踪当時、マヨのお母さん、二十七歳だったわよね。そうすると、今は五十六歳。まあ、ざっくり、五十代といっていいわよね。身長、顔かたちから、マヨに似ている人物を選び出したら、二人いた。一人は記憶喪失者、千葉県柏市の病院で下働きしている。今の仮の名は、高木敏子。この人とは、連絡がついた。会ってくれるそうです」


「うんうん」

 私は大きく頷いた。

 ブルースが目覚めて私の傍に来た。私は彼の頭を撫でる。

「もう一人は?」

「もう一人は、遷延性患者、そう篠原さやかと同じ。二十九年前に自動車事故にあっている。事故現場は長野市内。今は軽井沢の遷延性病棟に入院している」

「そうすると、三十年近くも、植物状態になっていることになるわ。そんなこと、考えられないでしょう」


「そうね」彼女はそう言って、画面を指さした。

「アスタリスクのマークがついている。この患者は特別研究対象者になっている。治療費はすべて国庫から支出されている」

 私は*を食い入るように見つめた。

 そして、呟いた。

「面白い」


「明日、柏と軽井沢に行ってきます。軽井沢では、黒田真知の別荘にも、寄ってくる」

「頑張って、幸運を祈るわ」


 ビニールの袋から竹下のスーツを出す。

「ブルース、この襟の匂いを記憶して」スーツの襟をブルースの鼻に近付ける。

「この匂いの主は、私たちの敵、恐ろしい敵なんだ」


 膝を落とし、ブルースの首を抱いた。

「おまえを連れていきたいんだけど、無理だね」


 そんなことはない。


 ブルースの声が頭の中で木霊した。

 私の心臓がドキンと鳴った。ブルースは私の脳に語りかけたのだ。そして、彼は更に話を繋ぐ。

 

 アルハモアナの写真があれば、その写真と共に何処にでもいける。われの生霊が飛んでいく。


 アルハモアナの肖像画、その額縁の中に、ミイラの顔写真があった。死神が渡せと言った、あの写真だ。今は私のバックの中、文庫本に挟んである。


 私はショルダーバックから文庫本を出し、そのページの中から写真を取り出した。そして、その写真をブルースに見せた。

 ブルースの体から、幻が浮き上がり、宙の中に消えた。

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