39 石窟の中で、狼犬ブルースは静かに眠る
六時過ぎに目覚めた。
昨夜は熟睡したためか、夢は見なかった。もう、ここには死神はいないのか。
身支度を整え、一階に下りていく。
花村夫人は朝食の用意をしていた。
「お早うございます」
私に気付いた夫人が笑顔になって、私に挨拶した。
「お早うございます。昨夜は有難うございました」
私はそう挨拶を返して、テラスから前庭に出ていった。
前庭は芝生が茂っていて、青々としていた。誰もこの地下に石窟があるとは想像できないであろう。私は裸足になり、朝日を浴びながら、芝生の上を歩いた。北国はもう秋の盛りである。
「戸田さん」
テラスから、私を呼ぶ声がした。黒田雄一が私を見ている。
「食事にしましょう」
私は右手を上げると、手にしていた靴を履いて、リビングルームに戻っていった。
和食の朝食が終わり、コーヒーを飲んでいる時に、黒田が私に尋ねた。
「娘の美月のことですが、何故誘拐の対象になったのか、分かりましたか」
「正直言って、まだはっきりしたことは分かりません。類似事件が後二件ありますので、共通点を探っているところです」
「北見国道で、殺人事件がありましたが、何か関係があるのでしょうか」
「お恥ずかしいことですが、まだ犯人の実像を探りきれていないのです。その目的も、犯人像も」
私は真実を語る勇気がなかった。
表情を変えずに、淡々と答えた。いずれ、事件の全貌を伝える日がくるだろう。その日までは、私も黒田も違う立場で耐え続けなければならないのだ。
午後七時三十分、作業服に着替えた黒田は、書斎の扉を開けて中に入った。
二十畳ほどの広さだった。明かり窓の傍に木造りの机と椅子、壁面は作り付けの書棚で覆われている。黒田は奥まったスペースの両開きの扉を開けた。
灯油のランタンに火を灯すと、私を振り返り頷いてから、扉の中に入っていった。私も彼の後に続いた。
三畳間ほどの細長い空間があった。黒田は壁の照明スイッチを押して明かりを灯した。その先に左側に続く地下への階段が見える。黒田はゆっくりと階段を下りていく。地下に下りると、縦横二メートルほどの通路が南に続いているのが見えた。十メートルほど先に、白い壁面が見える。
「あそこが、石窟の入口です」
黒田は前を向いたまま言うと、ゆっくりと地下通路を歩いていく。
入り口に辿り着くと、黒田は私にランタンを手渡し、両手で入り口の壁の凹みに両手の指を差し込み、手前に引いた。半開きになったところで、私も石窟に体を入れて手伝った。
黒田はランタンを手にすると、石窟全体を照らした。
広さは十二畳ほどだろうか。四角い部屋は、巨石で囲われている。
中央に台座があった。
石窟の片隅にもう一つ小さな台座があり、その上に透明な長方形の箱が置かれている。
黒田はその箱をランタンの明かりで照らした。私も傍に行き、箱の中を覗きこむ。一匹の黒褐色の犬が、全身をまっすぐに伸ばした状態で伏せていた。
「このまま、外に出せますか」
私が息を殺して尋ねる。
はい、と黒田が答えた。
「防腐処理を施しておりますので」
「シャーマンの棺は、どこにあったのでしょう」
私は尋ねた。
「多分、ここでしょう」
黒田は中央の台座を指さした。
「棺は、どこにあるのか、知っていますか」
「私には分かりません。三十年も前のことですから」
私はスマホで写真を何枚も撮った。
「外に、運び出しますが、よろしいですか」
私は、はい、と答えた。
心が躍る。
私は再びランタンを手にし、石窟全体を照らす。
黒田は透明な箱を抱えると、一歩一歩、慎重な足取りで石窟を出て行く。通路に出ると、彼は私に言った。
「石窟の入り口を塞いでください。それから、リビングに行って、花村に手伝うように伝えてくだい」
私は入り口の壁の外側に体を入れ、体全体を使って、石窟を閉じていく。完全に閉じたのを確認すると、地下通路を歩き、階段を上がり、私は書斎からリビングルームに飛び出した。
「花村さん、ブルースを運び出しますので、手伝ってください」
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