36 茂尻古墳と狼犬ブルース(1)
「それで、その襲撃犯には、その者を操る雇い主がいるというのか」
「はい。相当な資産家です。目的のためには、カネを惜しみません」
警察庁特殊事件捜査課長室で、私は事件全体を私見も交えて詳細に報告した。
「で、その人物の目的は何なんだ? なんのために、そんな事をさせるんだ」
佃課長は急所を突いてきた。
それが分かれば苦労はしない。
「その答の鍵は、拉致された乳児の血液です。検体を押さえなければ、前に進みません。現在、道警が全力を挙げて捜査をしているのは、検査技師山田七郎の確保と襲撃犯の逮捕です。二人を取り調べれば、その謎が解明します。それまで、時間をいただきたいと思います」
「私にできることは、何かあるかね」
佃課長は穏やかな口調で尋ねた。
「真犯人を確定できた時には、改めて指示を仰ぎにまいります」
九月初旬の東京は、まだ夏の盛りであった。
日比谷公園の食堂で昼食を済ませ、私は港区にある黒田雄一の社屋に向かった。彼と連絡を取った時、会社の方でなら、今日会うことが出来ると返事があったのだ。
その社屋は黒田不動産の所有ビルでった。 地上三十階建ての高層ビルである。
そのビルの十一階フロワーに、黒田不動産の事務室があった。
私は黒田不動産の応接室に案内された。豪華な装飾を施した会議室だった。この会社の繁栄ぶりを象徴する会議室である。私は手に抱えていた紺色のスーツの上着を着、柔らかい革製のソファーに腰を落とす。
すぐ金縁の眼鏡をかけたオールバックの男が入ってきた。若々しい四十八歳とは思えない。私は立ち上がった。彼は私に会釈すると、名刺ケースから名刺を出した。
「黒田美月の父親の黒田雄一です」
「警察庁特殊事件捜査課の戸田です」
私は警察手帳を開いて見せた。
黒田に促されて、私は再びソファーに腰を落とした。
「奥様は、お元気にしておられますか」
私はそう話を切り出した。
「美月がいなくなってから、体調を崩し、今は軽井沢で静養しております」
「そうでしたか……」
「捜査の進展は、いかがですか」
「容疑者を確定し、道警を上げて捜索しております。捜査上の事情がありまして詳しくは申しあげられませんが、美月ちゃんは、必ず救い出します」
秘書がコーヒーカップをテーブルに置いた。
美月は死神が保護している。物騒な話だが、私からみれば一番安全のところにいる。美月を奪回するには、どう死神と折り合いをつけるかに掛かっているのだ。
「いくつか、確認したいことがあります。よろしいですか」
「はい。私に、分かることでしたら」
「美月ちゃん誕生のとき、何か気になることはありませんでしたか」
「正常分娩ですし、母子ともに健康でしたから、とくに」
「誰か、見知らぬ人が、尋ねてきませんでしたか」
「見舞いにきてくれたのは、わが社の社員たちと、取引相手の数人だけですね。見知らぬ人は来なかったと思います」
「茂尻山荘のことですけど、管理人の花村さんは、黒田さんの執事であったと聞きましたが、間違いありませんですか」
「花村は、父の代からの、黒田家の執事を務めておりました。茂尻に山荘を建てたときに、その管理を任せてもらえないかと、彼から申し出てきたのです」
「それで、その理由をお訊きしましたか」
「はい。もう年ですので、自然の中でのんびり暮らしたい、たしか、そう言ったと思います」
「何故、あの山奥に山荘を建てたのですか」
「妻のたっての希望で。あそこは、妻の故郷で、あの土地は妻の父の所有地だったのです」
「黒田さん、あの土地に古墳があったことは、ご存じでしたか。その古墳に、アルハモアナという名のミイラが眠っていたことを」
私はそう言って黒田の顔を窺った。
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