31 臨床検査技師黒川保の逮捕

 

 北見市に入り、39号線北見国道に向かう。竹下莉南からの連絡は途絶えていた。多分、東部方面本部の捜査課の面々は先に向かっているであろう。

 

 北見国道から、まっすぐ西に進む。時計の針が十一時を示したとき、竹下からメールが入った。私は田崎にスマートホンを渡した。

「現在地、北見国道、石北峠まで十キロの地点。追跡中」

 田崎が画面の文字を読み上げる。


「黒川は旭川に向かっているのかしら」

 狩原が呟いた。


 車は留辺蘂(るべしべ)にさしかかった。

 車は北見国道を南西に向かっている。直線道路だ。

 スマートホンの着信音が鳴った。田崎が出る。

「分かった。マヨに伝える」

 彼女はそう答えると、私に言った。

「黒川は、森の中の脇道に入った、って」

「うん……。慎重に、慎重に」

「マヨが、慎重に、って」


「莉南、車で尾行したことがあるのかしら」

 狩原が呟いた。

「大丈夫だよ、莉南は、交通安全課だから」私は自分に言い聞かせるように力を込めて言う。

「それに、捜査課の今井班が、私たちより、多分、先に追いつくだろうから」


 石北峠まで三十キロまでの地点に来た時、着信音が鳴った。田崎が出る。

「黒川が、山荘に入っていった、って」

「私が、話をする」

 私は車を路肩に停めた。そしてスマートホンを受け取る。


「わたし、戸田」

「はい」

「あなたのバイク、山荘から近いの?」

「はい」

「百メートルほど、バックして」

「はい」

「あ、それから、班長には、連絡したんでしょうね」

「はい。マヨさんは、今どこですか」

「あなたの所まで、二十キロほどの地点」

「それなら、班長が先に着きます」

「分かった。慎重にね」

「はい」


「大丈夫だ。彼女、うまくやっている」

 私は田崎にスマホを渡しながら言った。


 十五分ほど走ると、竹下のバイクが路肩に見えた。

脇道から、紺色のスーツを着た竹下が姿を現した。そして両腕を上げて振った。

 車をバイクの後ろに停めた。

 私が車を降りると、竹下が声を弾ませて言った。

「今、班長が、山荘を包囲している」

 私は頷き、笑みを浮かべて彼女の肩を叩いた。


 竹下の案内で、林道を進む。

 五分ほど歩くと、脇道に警察車両が一台止まっていた。竹下は、元来た道を戻って行く。

 その先を進むと、班長の今井警部補が背を向けて立っていた。森の中に佇む二階建ての小さな山荘に、彼は木陰に隠れて視線を向けている。


 私はそっと今井に近づいた。

 私に気づくと、彼は険しい眼差しで頷いた。

「刑事課から、二人来ています。それと、私と、川口。応援の二人は、裏口のほうに回っています。わたしと、川口は玄関を見張っています」

 私は頷くと、今井と共に山荘に向かって歩いた。

 私に気づくと、川口が小さく頷く。


「警視、お二人は、東西の窓のほうをお願いします」

 今井がチャコールグレイのスーツに腕を通しながら言った。

「了解」


「今、捜査課で、逮捕状の請求を行っています。所在地が分かりましたので、家宅捜索の令状も追加して、請求しています。夕暮れまでには、届くと思います。竹下の話ですと、彼はここに来る途中で、コンビニで食料を購入したそうです。少なくとも、今夜はここで過ごすと思われます」

 今井はそう言って胸を張った。


「罪状は?」

「検査試料窃盗、守秘義務違反です」


「もし、それまでに、彼が逃亡を企てたら?」

「任意同行を求めます」

「任意同行を拒否したら?」


「うん……。説得します」

「狩原、竹下を呼んで来て」

 狩原は頷くと、北見国道に向かって走っていった。

「どうするんです」

「彼女にケガをしてもらう。公務執行妨害。現行犯逮捕」

「……いいんですか、警視?」

「わたしが、証人になる。ここで、彼を見過ごすわけにいかないでしょう」



 六時十分に陽が沈んだ。

 ややして、山荘の窓に灯が点く。

 六時三十分を少し過ぎたころ、ようやく逮捕状が届いた。


 私たちは集まった。

 総勢九人。一人の逮捕には十分な人数だ。最終打ち合わせをする。

 玄関は今井、川口、竹下の三人、裏口は捜査課の二人、西側は私と狩原、東側は逮捕状を持ってきた刑事課の二人。


 六時三十九分、今井が玄関ドアをノックした。

 私は窓のカーテンの隙間から中を覗いた。今井と黒川の押し問答が続いている。

 今井が時計を見る。川口が黒川に手錠を嵌めた。

 黒川は抵抗しなかった。


 「田鶴母さんに言って、終わったから、ここに来て、って」

 私は狩原にそう言って、山荘に入った。

 二十畳ほどの大広間だった。

 黒川はテーブルを前にして椅子に座っている。四十代の小太りの男性であった。


「家宅捜査令状が届くのを待って、捜索します」

 今井は私の耳元で囁いた。

 私は頷くと、椅子を黒川の前に持っていき、向かい合って座った。


「篠原陽菜の、血液、そんなに価値があるのか」

 黒川は私を睨みつけ、唇を噛みしめた。

「陽菜の血、誰に渡した。報酬はいくらだ」

 黒川は唇を噛みしめたまま天を仰いだ。


「何とか、いったらどうです。素直に白状したほうが、罪は軽くなりますよ。罪状は、ただの窃盗罪、臨床検査技師の守秘義務違反ですから」

 黒川は私に視線を下ろすと、血走った眼差しで呟いた。

「それを、言うと、わたしは、殺される……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る