26 担当した臨床検査技師は失踪していた
タクシーを呼び、函館市内に向かった。行き先は、検査センターエヌ・エマ・エルである。竹下莉南は助手席に、後部座席には狩原薫が座っている。
二人とも無口だった。修道院を出てから沈黙を続けている。
私は聞いてみた。
「あの修道院で、何があったの」
「何も」即座に狩原が答えた。
「今度ばかりは、マヨ、ヘマやったわね」
「莉南も、何も見なかった?」
「はい。修道院は、空っぽでした」
なるほど、死神は人の心を操れるのだ。
私は死神との約束を守らなければなるまい。約束を守っている限り、私のすることを妨害してくることもないだろう。
死神を見た父と二人の研究員は死神たちに殺されたのか。小田切拓真も死神を見ている。それなのに、小田切は死神に狙われている気配がない。何故なのか。
小田切が恐れているのは、アルハモアナではない。きっと死神なのだ。彼は死神を見た者は、殺されると信じこんでいるのだ。
私たちは検査センターエヌ・エム・エルの社屋に入って行く。
受付で、狩原は警察手帳を出し、検査責任者の海老原正志に会いたいと伝える。受付の女性は、海老原は不在だと答えた。
「藤谷朱莉の血液検査について訊きたいので、どなたか、責任者に会いたいのですが」
私は狩原の後ろから言った。
五分ほど待たされて、私たちは応接室に案内された。
高齢のスーツ姿の女が、白衣を着た中年の男を伴って現れた。
「この施設の副所長をしております、稲川と申します」
彼女はそう言って、狩原に名刺を差し出すと、私たちにソファーに座るように促した。
狩原が座ると、その前に稲田が座った。私と竹下は、狩原の後方に立った。どう見ても、狩原のほうが私より上司に見える。
狩原が口を開く。
「大沼の、殺人事件、ご存じですね」
「あー、はい」
「その娘さん、朱莉の、血液検査分析をしたのは、こちらですね」
稲田は後ろに立っている白衣の男を振り返った。男は彼女の耳元に囁きかける。
「そのようです」
「血液に異常はありませんでしたか」
「ありませんでした。血液検査は十七項目、生化学検査は十四項目、すべて正常でした」
後ろの白衣の男がB五サイズの検査書を見ながら答えた。
「こちらでは、DNA検査もされるのですか」
狩原の後ろから私が稲川に尋ねた。
「はい。依頼があれば」
「藤谷朱莉さんについては、DNA解析はしていませんね」
「勿論です。依頼がありませんでしたから」
「そうですか……」
「なにか、親子関係で、問題があったのですか」
稲川が目を細めて訊いた。
「いえ、そういうことではなく」私は即座に否定した。そして、続けて質問する。
「朱莉ちゃんの血液は、保存していますか」
「いえ、医療廃棄物として、処分しています。残っているのは、データーだけです」
「検査を担当されたのは、どなたです」
稲川が後ろの白衣の男を見上げた。
「退職しました。昨年の五月の末ごろです」
殺人事件と乳児拉致事件が起きたのは、五月二十五日である。
「履歴書を見せてください」
「それが、紛失したのか、見当たらないのです」
見当たらない……。私は呟いた。
「電子データーもないのですか」
「はい。消去されていまして」
「名前は、何といいます」
狩原が尋ねた。
「山田七郎と、いいます」
「歳は?」
「三十二歳です」
「今はどちらに」
「分かりません。その後、音沙汰がありませんので」
うん……。私は腕を組んで溜息をついた。
「採用するときに、臨床検査技師の資格は確認しましたね」
「勿論です」
稲川が答えた。
検査技師の名簿を調べれば、どのような人物かすぐ分かるだろう。
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