第三章 

23 大沼主婦殺人、乳児拉致事件



 函館大沼駅で、私は狩原薫、竹下莉南と共に藤谷克己(かつみ)と待ち合わせをしていた。藤谷克己は、昨年五月深夜、自宅で暴漢に襲われ重傷を負った。妻希望(のぞみ)は頭部に打撲を受け死亡、乳児が連れ去られた。乳児の名は朱莉(あかり)、生後五か月の女児である。


 今朝早く、私たちは佐呂間の実家を出、バイクで女満別空港に向かい千歳空港行きの便に乗った。千歳空港で道警本部の職員と落ち合い、捜査資料と調書を受け取った。昼食をとったのち、午後の便で函館に向かった。函館からは特急に乗り、午後二時二十一分に大沼駅に着いたところである。


 澄み切った大空、輝く湖面、緑深い森、流れる風も爽やかである。


 黒の軽ワゴン車で、藤谷が現れた。小柄な男だった。私たちより身長はかなり低い。調書に記載されている年齢は二十八歳。実直そうな好青年だった。

 

 女三人で大沼駅で待っている、と私は電話で伝えてある。彼はすぐ私たちが警察の者であると分かったのか、車から降りるとまっすぐに歩いてきた。

「警察の方ですか」

「はい」私は警察手帳を見せた。

「私は戸田と申します。こちらは狩原、それから竹下」

 二人を紹介する。


「藤谷です」

 彼は自己紹介した。

「お仕事中に申し訳ありません。直接事情をお聞きしたくて参りました。ご自宅に案内していただけますか」

「どうぞ」

 彼は車に向かって歩く。感情を表さず、淡々と私たちに応対する。


 私たちは彼の車に乗った。

 竹下が助手席に、私は運転手後部座席、狩原は私の隣に座る。私たち三人は体が大きいので凄く窮屈だ。

「小さい車で、すみません」

 彼はそう言って笑った。

 やはり好青年である。


 軽ワゴン車は東に向かって林間の片側二車線の道路を走った。

 七分ほどで、車は止まった。木造の平屋の家が五つ並んでいる。床面積は十五坪ほどである。借家かもしれない。粗末な家々である。どうみても、金目当ての犯行とは思えない。ささやかで、質素なこの家族に、何が起きたというのだ。


 彼は家の中に案内した。小さな玄関で靴を脱ぎ、二メートルほどの板張りの廊下を通って部屋に入る。六畳ほどの食堂だった。彼は私たちに椅子に座るように促す。

 私は椅子に腰かけて、部屋の中を見回した。捜査官の習性のようなものである。

 隣の部屋に仏壇が見えた。若い女性の遺影が置かれている。


 彼は私たちの前に缶ジュースを置いた。

「有難うございます」

 私たちは口々に礼を言う。

「朱莉ちゃんは、必ずわたしたちが救い出します」

 私が言うと、彼は大きく頷いた。


「ご仏壇に線香をあげてよろしですか」

 私はそっと彼の顔色を窺った。

「どうぞ。有難うございます」

 私は奥の畳の間に入り、仏壇の前に正座した。脚全体が痛い。今まで正座をしたことがないのだ。

 彼の妻希望は細面で優しい顔をしていた。私は仏壇に置かれていたマッチで線香に火を点け、香炉に供えた。そして、もう一度希望の顔を見る。

 狩原と竹下が続く。


「藤谷さんは、ホテルにお勤めなんですね」

 テーブルに戻ると、私は調書を見ながら訪ねた。

「ホテルと言っても、小さなホテルです。従業員は二人しかいませんから」

「奥様も勤めておられたのですね」

「はい。子供が産まれて、休職していましたが」

 

「これから事件当日のことをお聞きしますが、よろしいですか」

「はい」

「昨年の五月二十日、深夜ですね」

「そうです」

「その時のことをお話しください」

 彼は缶ジュースを一口飲むと、何度か小さく頭を上下に振った。


 狩原と竹下がテーブルに戻って来るのを確認すると、彼は重い口を開いた。

「玄関ドアを叩く大きな音で、目を覚ましました。私はベッドから起き上がり、妻にここにいるように言いました。妻は怯えていました。私は、そっと部屋のドアを開け、玄関を見ました。玄関は開いており、外が見えました。玄関には誰もいません、でした。私は土間に下り、ドアを閉めようと、ドアノブに手をやったのです」


 彼はそこまで言うと、深呼吸した。

 私たちは彼を見詰めたまま、次の言葉を待った。


「突然、後ろから、大きな何かで殴られたのです。そのまま、意識が遠くなっていきました」

「何か、見ませんでしたか」

 彼は私を見つめて頷いた。

「一瞬、足が見えたんです。白いブーツが……」


 白いブーツ。私の時と同じだ。

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