19 山荘の管理人 花村正



 車のクラクションの音が聞こえた。

 私は上半身を起こした。スマホの時刻を見る。六時二十三分。

 目覚めても、昨夜の出来事を明確に覚えている。あれは夢ではないと確信している。でも私は二度目覚めたのだ。あの得体の知れない者が現れる前と後に、二度目覚めたのだ。


 ベッドから下りて窓辺に行き、カーテンの隙間を開く。前庭はすでに明るく、落葉樹の葉が輝きを増している。一台の軽トラックが前庭に入ってくる。山荘からは真知夫人が出てきて出迎える。

 白のキャップを被った男が軽トラックから降りると夫人と言葉を交わした。男は夫人の夫、管理人の花村正であろう。彼は二階の窓を見上げた。それから小さく頷いて荷台に行き、段ボール箱を抱えて持ち上げた。男と夫人は肩を並べて山荘に入っていく。


 私は身支度を整えると、ゲストルームを出、階段を下りた。

 リビングルームには、既に竹下莉南がいて、男と立ち話をしている。

「お早うございます」私は声を上げた。

「昨日からおじゃましております警察庁の戸田と申します」


「ご苦労さまです。私はこの家の管理人をしております花村と申します」彼はそう自己紹介して、首に巻いていたタオルを外した。鼻髭をはやしており、愛嬌のある顔だった。

「警察庁の方が、どうして、ここに」

「道警から捜査協力の依頼がきたのです」


 彼は小さく頷く。

 私は話を続けた。

「東部方面本部管轄地域で起きた類似事件はご存じですね」

「はい」

「もう一件、南部方面本部管轄地域でも起きています。連続乳児拉致誘拐事件です」

 狩原薫が下りてきた。

 

「お話の続きは、朝食の後で、なされたらどうです」

 夫人が声をかけた。

「そうしましょう。お腹が空きました」

 彼はそう言って、笑みを浮かべた。


 花村正はテラスに木製の丸テーブルと、木椅子四つを用意した。

 食事後、私たちは真知夫人に促されて椅子に腰を下ろした。北国の朝の風は爽やかだ。森から小鳥のさえずりが聞こえてくる。それでも、私たちは沈黙がちだった。ここに来て収穫は何一つ得ていなかったからだ。


 真知夫人がコーヒーを淹れてきて、カップをテーブルに並べた。主人はすぐきますので、と言って戻っていく。

 花村正は手帳を手にして足早に歩いてきた。ゆっくりとした動作で椅子に腰を落とすと、手帳をテーブルに置いた。手帳は革製のB5サイズだった。夫人が和菓子をテーブルに並べていく。


「昨日は、早く用事が片ずいたので、北部方面本部に寄ってみたのです。そこで思わぬ時間を取ってしまいまして、旭川で一泊しました。歳ですので、無理はしないほうがいいと思いまして」

 彼は一口コーヒーを飲むと私たちにも勧めた。


「方面本部では、何か収穫がありましたか」

「いいえ、なにもありませんでした。一年間の捜査経過については、詳しく説明してもらいましたが」

 彼は悔しさを滲ませて言う。そして間を置かず、私に訊き返した。

「東部のほうでは、捜査に進展がありましたか」

「いえ、捜査は始めたばかりでして」

 わたしもコーヒーを一口飲んだ。凄く美味しい。笑みがこぼれる。コーヒーの味には少しうるさいのだ。


「花村さん、ここ一年、この山荘、この周辺で、何か変わったことはありませんでしたか」

 彼は真正面から私を見詰めた。

「いえ、とくに、何も……」

「何か不可解なことが、ありませんでしたか」

「いえ、ありません」


「美月ちゃんは、忽然と消えてしまいました。まるで神隠しです。東部方面本部の事件では、私は犯人を見ています。脚だけですけど……。ここの事件とは違って、僅かですが痕跡を残しています」

「そちらの捜査から、ここの犯人の手懸りも掴めるかもしれませんね」

 彼は和菓子を口に運びながら言う。


「地下室の捜索は、いつ行いましたか」

 彼は手帳を手にして、ページを捲った。

「事件のあった翌日の朝です」

「何故、事件当日に行わなかったのでしょうか」

「警察から指示がなかったからです。それと、私も警察署員と外を捜索していましたから」

「地下室、見せていただけますか」

「どうぞ」

 彼は即座に立ち上がった。


 玄関ホールから地下に通ずる階段を下りる。下りきった所に小さなホールがあり、真正面にドアがあった。彼は解錠し、ドアを開け照明を点けた。私たちは地下室に入った。操作盤の付いた背丈より高い金属製の箱が二つ並んでおり、配線がいくつも見えた。壁際に天井にも届きそうな円筒状のタンクが見える。


「業務用の発電機ですか」

「はい」

「燃料は何を使っています」

「重油です。あのタンクに貯蔵しています」

「初めて見ました。安全ですか」

「私は、消防設備士の資格を持っています。年に一回、資格のある者が点検にまいります。今まで、一度も事故ったことはありません」


 私は奥に向かって歩いた。多分百平方メートルは越えているだろう。何も置かれていない、がらんとした空間だった。

 私は密かに溜息を洩らした。


「花村さん、有難うございました。後日何かありましたら、ご連絡ください。新しい情報があり次第、連絡をさしあげます」

 私は名刺を渡した。

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