7 篠原家の館は、血の匂いがする




 篠原の家は国道沿いの開けた場所にあった。

 木造の二階建ての家が四棟並んでいる。家の背後には、針葉樹の森が広がっている。針葉樹の森から住宅地までは、背の高い雑草が茂っていて、キリギリスが鳴いていた。


 今村浩平とその部下たちが車両が先に到着していて、一番奥の家屋の庭先に停車していた。

 今井が歩いてきて、後部ドアを開けた。ありがとう、と言って私は車を降りる。今井の部下の竹下と川口は、ドアを前で佇んでいる。


「施錠されています。不在のようです」

 年配の川口が言った。

 草薙参事官が頷く。

「周りの聞き込みをしてくれ。昨夜おかしなことが無かったか、どうか」

 今井が三人の部下に指示する。三人は周囲の家に散っていった。


 私はいつもの習慣で外壁に沿って歩いて行く。今も、家の中に誰かいるような感じがする。それと血の匂いも。玄関の反対側に回った。およそ十メートル先に針葉樹の林縁が迫っている。

 家の南面には、二重窓の出窓が四つ並んでいた。四つの窓は水色のカーテンで閉じられている。先に到着した二人の刑事は、当然家の中を覗き込んだろう。多分何も収穫がなかったはずだ。三番目の窓のカーテンは少しだけ、隙間があった。だが、そこからは、床の茶色の床板が見えるだけだったから。


 私は床の陰影に違和感を感じた。床の視界を少し外れた所に何かがある。狩原を呼んだ。そして、窓の中を指差す。覗き込んだ彼女は、そのままの姿勢で呟いた。何があるんですか。

 黒っぽい、何かだ。わたしは彼女の耳元に囁く。

「何も見えません」

 彼女は振り返って断定した。


「狩原さん、草薙参事官に進言してください。中に死体がある、と」

「ええっ。管理官、嘘でしょう」

「私から言うと、いろいろと、差支えあるでしょう? だから、あなたから」

「ええっ……」

 その時、確信した。この部屋の窓から血の匂いが漂っていることを。


 あたしは家の周りを一巡すると、玄関に戻った。

 今井は草薙と善後策を話し合っている。竹下と川口が走ってきた。

「隣の住人が、深夜に、悲鳴と車のエンジン音を聞いております」

 竹下が息を弾ませて言った。


 私は、狩原の背中を押した。

 彼女は渋々今井の前に立った。

「今井さん、家の中に、死体らしきものがあります」

 今井は草薙と顔を見合わせた。

「私が見たときには、何もありませんでしたよ。どこに死体があるんですか」

「玄関から回って。南面の三つ目の窓です」

「私も、確認しましたが、何も見えませんでしたよ」

 竹下が付け加えた。


「うちの狩原は、感が鋭いんです。血の匂いがしたそうです」

 狩原が呻き声を漏らした。

「私も、感じました。少しですけど」

 間をおいて、わたしは口を揃える。


「どちらにせよ、中は調べる必要がある。鑑識を呼びたまえ」

 草薙が今井に命じた。

「もし、よろしければ、私」が解錠しましょうか」わたしはポーチからピッキング用の金具を出して草薙と今井に見せた。

「仕事がら、いつも持ち歩いていますので」

 狩原のため息が聞こえる。



 今井とその部下が玄関から中に入って行く。最後に草薙が入つて行った。私と狩原は外で待機した。靴カバーを持っていなかったからだ.

 十分ほどして今井が出て来た。

「死体、ありました。ご指摘ありがとうございました。鑑識を呼びました。四十分ほどかかるそうです」

 狩原の背中を軽く叩いた。彼女は苦笑いする。


「遺体は三十代の男性です。篠原さんのご主人の可能性が高いです。奥さんが子供を抱いて逃げたんですね」

 そうすると、事故のあったあの夜、私を襲った者は、ここの殺人者と同一人物だという可能性が出てくる。そうすると、拉致された乳児はここの娘陽菜だったのかもしれない。


 鑑識の現場検証を終えた後、わたしは靴カバーを借りて家の中に入った。

 遺体はリビングルームにあった。死因は撲殺である。凶器は棍棒のような物だという。わたしが違和感を感じていたのは、遺体の右足に履いていた黒い靴下だったのだ。血液量はそれほど多くはなかったが、床板に流れてこびりついている。


 二階に上がった。主寝室と書斎の二間だった。寝室から書斎に入ったとき、一枚の写真立てに釘付けになった。葉書サイズの写真には、ここに来る途中にあった、あの洋館が写っていた。そこには乳児を抱いた夫婦と、五、六歳の男児を中にして手を繋いでいる両親と思しき者が写っている。


 私は、写真立てから写真を出して裏面を見た。1991年6月21日と記されている。わたしはその写真の表と裏をスマホで撮り、写真立てに戻して正面からもう一度撮影した。

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