10 洋館の地下室に何がある



 翌日の午前九時七分に、山本不動産の軽ワゴン車で目的の洋館の玄関前に着いた。

 今日もキリギリスが鳴いている。

 渡された名刺には、山本不動産 山本高広と記されていた。彼の血液の状態から、五十代全般の健康な男だと分かる。彼の口振りから、一人で経営しているようだ。

 彼の体臭からは、経済的犯罪者の臭いが漂っている。叩けば埃の立つ人物だ。


 山本は玄関ドアの鍵穴に鍵を差し込みドアノブを回す。鈍い音を立ててドアが開く。玄関は暗かった。彼は玄関に入り、私に中に入るように促す。私と狩原は玄関フロワーに足を踏み入れる。

 湿った黴臭い臭気が鼻につく。

「電気の架線が切れていますので、灯りが点きません。汚れていますので、土足のまま入ってください」


 私は山本から渡された見取り図を広げる。

 総面積は二百平方メートル、約六十坪である。地下室も含めた面積だ。玄関真正面のドアを開ければ、七、八坪の応接室がある。そのドアを引く。ドアから差し込む明かりで、ソファーと丸テーブルがぼんやりと浮かび上がる。

 後ろから山本が懐中電灯の灯りを向けた。壁面に本のない書棚が見えた。


 玄関からは、右側に二メートル幅の廊下が奥まで続いている。その途中に北面の壁面に沿って二階に上がる階段があった。廊下の南面には二メートル幅の両開きの扉が付いている。

 その両開きのドアを開け放つ。大広間だった。大きな木製の長方形のテーブルが中央にある、東西の壁面は書棚が覆っている。この書棚も空だった。南面は分厚い緑色の二重カーテンで覆われている。


 私はカーテンを開けた。太陽光が防雪材の隙間から帯状に注ぎこんでくる。窓を開ける。風が流れてくる。床やテーブルの上から、埃が舞い上がった。私は腕で口を覆った。

 狩原と山本は、廊下から私を見ている。


 南面西側にドアがあった。納屋だろうか。見取り図を見る。西側には、二つの部屋が南北に並んでいる。そのドアを開ける。四畳半ほどの小部屋だった。段ボール箱が十近く詰め込まれてある。

 私は一旦廊下に出、隣の部屋のドアを開けた。ベッドが置かれてある。ゲストルームか。


「山本さん、売り主は来ないのですか」

 私は憮然とした表情を隠さず尋ねた。

「電話を待っているところです。ここで待ち合わせることにしていますので」


 私はそれ以上彼と言葉を交わさず、二階への階段を上がった。

 狩原だけが付いてきた。

「警視、この家は何なんです」彼女は不機嫌そうに尋ねた。

「私にも、分かるように説明してください。勿論友人としてですが」


「深い理由があるの。説明しても、あなたには分からない。私だけの、個人的なことなの」

 私はそう言って一つ目のドアを開けた。

 主寝室だった。中央にダブルベッドがある。


 二つ目のドアを開ける。突然体に電流が走った。私はこの部屋で眠ったことがある。そっと部屋に入る。微かな明かりを頼りに窓辺に行き、カーテンを開ける。窓の近くにチャイルドベッドがあった。私はそっとベッドを擦った。このベッドで眠ったことがある。

 魔女ミイラに抱かれる前のことだから、はっきりした記憶ではないが、この部屋は間違いなく私の部屋だったのだ。


 三つ目の最後のドアを開ける。窓辺に行き、カーテンを開ける。

 その部屋は書斎だった。西側の壁面は一面飾り棚になっている。外国の民芸品が飾られている。東側の壁面は全面書棚。本も多数並んでいるが、ほとんどが書類の束だった。


 階段を下りる。

 山本はスマホで電話していた。電話が終わるのを待って、私は声を掛ける。

「地下室に案内してください」

「それが……」彼は口籠った。

「私には、分からないのです。所有者に訊かなければ、分からないのです」

「いつ来るんです、売り主は」

「戸田さん、申し訳ありません。今売り主から電話がありまして、この家の売却はなかったことにしたいと」


「その理由は?」

「分かりません」

 私のいらいら感は頂点に達した。


「山本さん、売り主の名前、住所、電話番号を教えてください」

「それは……」彼は再び口籠った。

「それは、個人情報に関わることなので、お答えできません」

 わたしは警察手帳を出すと開いて見せた。


「あなたには、宅建取引業違反の疑いがあると、苦情が寄せられている。正規の業務をしているかどうか、調べねばなりません」

 後ろにいた狩原が私のお尻を強くつねった。部下の田崎も狩原も、特殊事件捜査課の課長から命じられていて、私を監視しているのだ。

 私はそんなことには挫けない。


「この建物の売り主に、今回の売却に関し適切な手続きをしているか、どうか、確かめる必要があります。それが確認できれば、それ以上追及するつもりはありません」

 山本は私を見つめ大きな溜息をついた。

 スマホを操作し、手帳に書き移した。そのページを破り私に手渡す。


「本当に、地下室の入り口が分からないのですか」

「どこかの部屋に地下への階段の入り口があるはずです」


 突然、私の脳裏にフラッシュバックが走る。

 乳児の私は父に抱かれて小部屋にいる。父は階段を下りていく。その先はがらんとした大部屋だった。小部屋には、大きな紙製の箱が積まれている。それは段ボール箱。


 私は大広間の西側壁面奥の小部屋に入る。

「狩原さん、手伝ってください。段ボール箱を出します」

 私は段ボール箱を持ち上げる。重い。書類が入っているのだろう。狩原と手分けして、段ボール箱を五つ大広間に運びだし時、壁際に取っ手のついた床板が見えた。半畳ほどの広さだ。私は取っ手に指を入れ、床板を持ち上げた。


 暗い空間が広がっている。急勾配の階段が見える。

 山本から懐中電灯を借りて、地下への階段を下りていく。地下室の床はコンクリートの叩きだった。空気は湿っていて冷たい。周囲の壁も床と同じコンクリ―ト造りだった。小さな紙製の箱がいくつも転がっている。


 狩原が下りてきた。

 私は壁面に懐中電灯の灯りを回していく。

 

 突然狩原が大声を上げた。

 壁に肖像画がかかっている。それは一辺が五十センチほどの額縁に収めれていた。


 私はその肖像画に灯りを当てた。

 若い女の肖像画だった。細面に眼光鋭い鷹の眼をしている。


 それは私の顔だった。


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