3 二人の部下 警部補田崎多鶴子と巡査部長狩原薫
「気付かれましたね」
明るい日差しの逆光のなかに、女の顔が見えた。白衣を着ている。聴診器を肩にかけているので医師なのだろう。
窓の外は真っ青な空だ。白い雲が一つ浮かんでいるのが見える。
「ご気分はいかがですか」
「なんとか……」
「昨夜のことは、覚えていますか」
「……ここは」
「遠軽の病院です」
私は一度瞼を閉じた。
「ええ、覚えています。自動車事故があったのです」
「頭に擦過傷があるだけで、体のほうは問題がありませんでした。あと一時間ほどで、点滴が終わりますので、退院されても構いません」
もう一度瞼を閉じて深呼吸した。
再び目を開けると、大きな顔があった。その顔がにやりと笑った。
「ですから、わたしがお供すると言ったのですよ」
田崎多鶴子、五十七歳。警察庁警部補、特殊事件捜査課の職員、私の部下だ。
「今は何時ですか」
田崎は腕時計を見て、再びにやりと笑った。
「十一時、五分です」
警察官としての現実が目の前にある。私は昨夜からの出来事を個人的なものにしておきたかった。現地の警察が私の免許証から身許を割り出し、警察庁に連絡を入れたのだ。わたしはため息をついた。
「道警東部方面本部の参事官が、お話をしたいと言っていますが、よろしいですか」
私は頷いた。
田崎が開閉口に向かって手招きする。
肩幅の広い、長身の女が歩いてくる。狩原薫、巡査部長、私の直属の部下だ。歳は三十八歳。私の実質的なボデイガードだ。
その後ろから、初老の男が付いてくる。
「参事官、警察庁特殊事件捜査課警視の、戸田管理官です」
狩原は初老の男を私を紹介した。
「草薙です」
彼はそう名乗って、私に名刺を渡した。
名刺には、警視草薙太郎とある。
彼は私の顔をまじまじと眺めた。性別を判別しかねているようだ。私の髪はショートカット、顔の輪郭は、卵型。そして目は大きく丸く鋭い。私はよく鷹の眼をした女と言われる。
「まだ体調が戻られていないのに、申し訳ありません。簡単なことをいくつかお聞きしたいのですが、よろしいですか」
「どうぞ」
私の声で女と分かったのか、草薙は笑みを浮かべた。いつものことなので、私は何とも思わない。
草薙の後ろに若い私服の男が二人立った。
「二人は、本部と遠軽署の交通安全課の者です」
私は上半身を起こそうとした。狩原が私の背中を支えて、クッションと枕を腰に当てた。
草薙は丸椅子に腰を落とした。
「戸田警視は、どのような要件で、こちらに来られたのですか」
「父の三回忌の法要のためです。父は北見で警察官をしていました」
「北見ですか。われわれの、地元ですな」
「多分ご存じないと思います。交番勤務でしたから」
草薙は無言で頷いた。
「昨夜は、どこに向かわれていましたか」
「今日、紋別の空港から羽田に戻る予定でした。昨夜は、遠軽に宿泊することにしていました」
「昨夜は、ひどい雨でしたね。何があったのですか」
「山間の道を遠軽に向かっていました。その途中で交通事故に遭遇したのです」
「時刻は午前零時に近かったですね」
「それは、救急に連絡した時刻です。事故は午後十一時四十二分でした。時計を見ましたので、確かです」
「続けてください」
「あの道は片側一車線です。後方から来た車が、私の車を追い越して前に出ようとしました。その時、前方から来た車と正面衝突したのです。あっと言う間でした。後方から来た車は、林の中に消えました。前方から来た車は反転してわたしの車に激突してから、前方に消えていきました」
「管理官は、自分の車の運転席の傍で倒れていました。何かありましたか」
「何者かに、襲われたのです」
「襲われた……」
「あ、赤ん坊はどうなりましたか。わたしが、助け出した赤ん坊です」
「後部座敷に、いましたよ。無事でした」
「そうではなくて、わたしが抱いていた赤ん坊です」
「赤ん坊は一人だけです」
私は目を閉じて、体をクッションに委ねた。
「車に乗っていた人たちは、無事でしたか」
「林の中の車は、二人とも亡くなりました。前方転がった車は、運転席にいた女性は、重体です。三人とも、現在身許を確認中です」
「いいですか、赤ん坊は二人いたんです。一人は前方の赤い車、もう一人は林の中の車……」
「ただの交通事故では、なさそうですね。お疲れのようですので、今のところは、このへんにしましょう。午後、現場検証を行います。立ち会っていただけますか」
「勿論」
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