終章 暁の夢

1

 月面都市での新たな発見は、軍やユニオンを震撼させた。



 特別チームがユニオンから派遣され、アルティオは大々的に調査されることになった。


 しかし月のマザーコンピュータは事件以降動くことはなく、内部データもほとんどが破損していたため、当初は感応性の強い人間にのみ発症する集団ヒステリーのようなものだとされていた。


 しかしルオウが持ち帰ったデータチップがその説を否定した。


 その記録はこれまで謎とされていた月の歴史の詳細を伝えており、史実として適正であると認定されたのだ。


「だが結局一般への情報公開は数十年先らしい。小出しにしながら公開するそうだ。さすがに情報封鎖した上での大量虐殺はコロニー子孫の立場としてはまずいらしい」



「そう……」



 朔夜とシンは事の発端として、軍とユニオンから代わるがわる取り調べを受けることになった。


 研修中に逃亡した朔夜もだが、アルティオでの不審な行動が目立ったシンは特に念入りに調査された。


 朔夜はシンが火星人マーズレイスであることがばれやしないかとひやひやしたが、上からの圧力がかかったのか、二人とも一ヵ月も経たないうちに監視対象に格下げされた。



 ◇



「そういえば訊き忘れていたんだが、どうしてパスワードがルナの本名だってわかったんだ? 普通ああいうパスワードって恐ろしく長かったりするだろ」



 寝台の上に寝転んで、テレビを見ながら手書き反省文を書いていたシンが、思い出したように云って顔を上げた。



 シンは最近、自分の部屋が数メートル先にあるというのにそこに帰りもせずに人のコンパートメントに居座っている。

 ベッドを我が物顔で占拠し、自分の部屋のようにくつろぐルームメイトを睨(ね)めつけるように見ながら、朔夜は口を開いた。



「パスワード自体は重要じゃないから。情報を渡すのが目的だったんだから、月の住人しか動かせないような端末だったらまずいだろ。マザーコンピュータ『ユエ』がどっかで精査して接続者として認めた相手なら、何云っても起動出来るよう設定したんじゃないの。今『ユエ』が動かないのは、あんたが入れたパスワードが正規のものじゃないからだと思うし」



「じゃあ朔夜は本当のパスワード知ってるのか?」



「多分。夢でアイラがルナに云ってたから。ルナはそのとき一番好きなものの名前を入れるって。それだと思う」



「今の説明だと腑に落ちないんだが、いつ精査されたんだ?」



「さっきの説明はただの想像だよ。だっておれがアクセスした方法は普通の交信方法じゃないし。テレパシストじゃないと接続者として認められないんだったら、目的の情報、いつまで経っても渡せないじゃん。だからよくわかんない」



 肩をすくめて見せると、シンは眉根を寄せた。



「でも『ユエ』への公式接続権って多分朔夜が持ってるんだよな」



「多分ルナレアの代理だと思うけどね。あんたの云うところのガイナス空間だっけ? よくわからないあの光るエリアから、月にあった十二神の塔の人工知能か何かと接触した感じのイメージを見た。『ユエ』はもともとあの光るエリアの信号を翻訳するための解析装置として作られて、そのあと管理端末になったっぽい。おれの知ってるゆえは、マザーコンピュータとしての『ユエ』の中に保存されてたルナレアのメモリーと混ざったものなんじゃないかって思う。だからかどうかは知らないけど、ルナレアの代理接続権を持ってる状態なんじゃないか。おれは一部だけどルナの記憶を知ってるし。あんたは……よくわかんない。おれの更なる代理扱いなのかも。よく起動したなっておれも思うし」



「代理の代理だとさすがにセキュリティ甘すぎだろ。その説明だと多分お前が正規の接続者なんだろ。『ユエ』が元解析装置なら、光るエリアの主はそれよりも上位の存在である可能性がある。証拠がないから断定は出来ないが、事象のみで考えると、月の住人の記憶にアクセス出来るということだけでも正式接続者と同義だと思うぞ。現に政府はいまだにルナレアの記憶データを見つけ出せずにいる」



「……あんたのも想像だから真実はわかんないけどね」



 朔夜はあくびをすると、机の上に置かれた紙に書きかけの文章の続きをつづった。ワンセンテンス書いただけなのに指が痛くなり、手首が痺れる。


 片手で手首を押さえ、振っていると、シンが思い出したように声をあげた。



「――そういえば、この間父上から打診された話、先延ばしにしていたようだが結論は出たのか?」



 打診された話。


 それを聞いて、朔夜の心臓が大きく波打った。


 動揺を悟られないよう乱暴に文を書くと、朔夜はまた腕を振った。


 利き手はもう役に立たないのではないかというほど痛くて、今日はもう一枚も仕上げることなんて出来なさそうだ。


 ペンを投げ捨て、伸びをした。



「――結論も何も、アースグループ総帥子息が直々に超能力開発部門を作るから来てくれないかって云ってるんだぞ。常識的に考えて断れると思う?」



「断れないのか?」



「……あんたに常識を求めたのが間違いだった。あんたは身内だからわかんないかもしれないけど、一般人には恐ろしいほど脅威なの」



「父上にもそれについては云われたが、お前の場合は異関いせきからも打診されてるだろ。アースに行かずともレギオンが待っているんだから、別に断ってもまずいことはないだろう。レギオンだってアースと同じく八大コングロマリットの一つだぞ?」



「――あんたさ、おれが超能力開発機関に所属したいとか、本気で思ってる?」



「在籍したくないのか?」



 朔夜は大仰に息を吐いてみせた。



「したくないに決まってる。野蛮な時代の実験動物みたいに扱われるかもしれないんだろ。絶対に嫌だ」



「そうか。じゃあ、おれも入ろう」



「は?」



 意味のわからないことをあっさりと告げたシンに、朔夜は眉間に深いしわを刻んだ。



「朔夜は何をされるかわからないのが不安なんだろ。じゃあおれも在籍すれば不当な扱いは受けないと思うぞ。もちろんその際は強制的にアースに入ることになる。それとお前が云っていた脅威だがな、両方断るのも何ら問題ないぞ。お前の能力をもっとも欲しているのは軍だからな。お前が能力者であることが外部に漏れたのと、軍が専門機関を持っていないという両方の理由から今回の打診を通しただけで、本当は断ってほしいはずだ。それに研究内容は軍と共有のはずだから、治験程度の扱いしか受けないと思うぞ」



「それ、あんたの推論だろ。憶測で動いて、違いますとかだったら、あんた責任取れんの?」



「だから不安症の朔夜のためにアースの方なら、おれが一緒に入ってやると云っているんだ。おれが火星人マーズレイスの血をひいていることがばれて一番困るのは父上なんだし、無体な要求はされない。健康診断のときもわざわざアースの息がかかった人間をよこすくらいだしな」



「ああ、やっぱりそうなんだ」



「何がだ?」



「健康診断。あんたがどう切り抜けてるのか疑問だったから。家出したとか云ってたから関わってないのかと思ってたけど、がっつりサポートあったんじゃん。実家の援助付き家出とか、特権階級は優雅でいいね」



「仕方ないだろ。さっきも云ったが、おれが火星人マーズレイスの血をひいていることがばれて一番困るのは父上と一族なんだ。しかしいやに険のある云い方をするな。そんなに能力者だったことが嫌なのか? レセプターテレパシストはかなり稀な存在だぞ。しかも宇宙を越えて端末の仮想人格思念をとらえるくらいの力の持ち主、多分お前以外いないからな。異関いせきやうちのお抱えになれば軍人にならずとも生活できるぞ」



 その言葉を聞いて、朔夜はまた気分が陰鬱になるのを感じた。



「――…そんなの、認められたって嬉しくない」



「何云ってんだよ。それだってお前の才能だろ」



「でも……」



「実技が上手いのも才能、座学が得意なのも才能、それと同じだろ」



「でも実技も座学も努力すればどうにかなる」



 シンは大きくためいきをついて、朔夜の方に向き直った。



「努力することが出来るってこと自体大きな才能なんだぞ。大概のことは努力次第でどうにかなるしな。他のやつらと大きな差があっていいじゃないか。少なくともここでは強みだろ」



「それが嫌なんだ。ある日突然力がなくなったら退学かもしれないし、スカウトの件だってなかったことになるんだぞ。自分でコントロールも出来ない、発現してるのかもわからない力に頼るなんて……」



「じゃあ、コントロール出来るよう、努力すればいいだろ。元々の才能をもっと伸ばすのは、お前が云った通り努力次第だ」



 云いながらシンは腕を伸ばした。



 朔夜は楽観主義的なシンの意見には同意できなかった。



「……この力がこのまま伸ばせば人のことも多分殺せるようになるようなものでも?」



 眉根を寄せるシンを見て、朔夜はうつむいた。



「報告書に書いてあった。おれの力は受ける力が強すぎて、その影響を相手にも与えるんだって。相手の感応能力が強ければおれの力も増す。場合によっては相手を操作することも出来るんじゃないかって」



「その力をコントロールするために異関(いせき)に入りませんかっていうんだろ、いいじゃないか。まあ父上はレギオンに朔夜をやるくらいなら、両方断って大人しく軍人を続けてもらったほうが喜ぶと思うがな」



「茶化すなよ、おれは本気で……!」



「おれも本気だ」



 シンはベッドから降りて、朔夜の目の前にやってきた。大きな琥珀の目で見つめられて、思わず体をのけぞらせる。



「何だ…よ……」



「朔夜は殺したい相手でもいるのか」



 先程とは打って変わって真摯なシンの目に朔夜は気圧された。



「いない……けど……、今後はわからないだろ」



 云って、朔夜は顔をそらした。

 その顔を両手で押さえられ、無理やり正面を向かされる。



「朔夜」



 やめろと云いかけた朔夜の言葉をふさぐようにシンは強い口調で名前を呼んだ。



「おれの力だって人は殺せる。目の前でテーブル割っただろ。あれが出来るってことは人も殺せるってことだ。でもお前はそのあとだっておれを怖がったりしなかった。何故だ?」



「……」



「今、お前が考えていることと同じだよ。おれはお前が人を殺せるようなやつだって思っていない。お前のことを知ってるから、だから怖くないんだ」



 あっさりと云ってのけるシンに苛立ちが湧く。朔夜は唇を噛みしめ、睨むようにしてシンを見た。



「――前にあんたを殺そうとしたのかもしれないのに?」



 シンは目をしばたたかせた。


 事の本質をまるでわかっていないような様子のシンにさらに苛立ちが募る。



「共鳴相手を操るってことは、ゆえがやってたことは全部おれが無意識にやってたって可能性があるってことだよ。あの光る空間が感応力の持ち主共通で見られるものなら、あの空間越しにおれはあんたを操れる。前にあんたが云ってた通りだった。あんたを殺そうとしたのだって、結局おれが……」



「でもおれは死んでない」



 ふりしぼるようにして告げた言葉にシンは間髪入れずに返した。



「何故かわかるか? お前が助けに来たからだよ。あれがお前の心の底の望みだったとしてもお前はそれを否定することが出来た。失敗することは誰にだってある。重要なのはそれが失敗だったと気付けること。お前が自分の力を人を殺めることの出来る力だと思い恐怖し、コントロールしようと努力すれば、次が起きることは絶対にない」



「絶対?」



「回避したいと思うかぎりは」



 シンはにこりと笑った。



「それに云っちゃなんだが、ルナレアの遺体発見はお前にとって都合がいいことか? むしろ記録の中で永遠に夢を見続けるルナレアを救って欲しかったゆえサイドにしかメリットがないようにおれには思える。ゆえの構成要素のほとんどはルナレアなんだとすると余計だ。だから完全に『ユエ』を支配下においていた気はおれにはしないな」



「シン……」



「だがこれくらいはさせてもらう」



 言下にシンは朔夜の顔を包んでいた両手を離し、中指をはじいた。



「痛……っ」



 鈍痛を感じて、朔夜は思わず額に手をやった。さすりながら抗議をするようにシンを睨む。


 シンは何故か晴れやかな顔をしていた。



「おれだってあのときは本当に怖かったんだ。今の話を聞かずとも、ゆえ亡き今、責任はお前にとってもらおうと思っていたからな」



 朔夜はなおも痛む額を触りながら、ためいきをついた。



「それでこの仕打ち? あまりに横暴過ぎない?」



「朔夜の罪の意識を軽くさせようと思っただけだ。むしろ感謝してほしい。謝辞はいつでも受けつけるぞ。今すぐでもいい。ほら云ってみろ」



「絶対嫌だ」



 軽口を云い合いながら、朔夜は先程までの苛立ちと陰鬱な気分がなくなっているのを感じた。


 被害者からの許しをもらったせいだろうか。罪の意識も幾分かやわらいでいる。



 知っていてわざと云ったのだろうか。



 朔夜はシンと軽口の応酬を続けながらも、本当に礼を云わなければならないと思い様子をうかがった。



「さてそろそろおれは寝るぞ。反省文を書きすぎて手が痛い」



 朔夜が声をかける前にシンは伸びをしながら手を振った。


 時刻を確認したのを見て、朔夜もつられるように端末を見る。

 確かに就寝時間はとっくに過ぎている。思い出したように睡魔が襲ってきて、朔夜もあくびをかみ殺した。



「さっきの話に戻るが、打診を断るんだったら早い方がいいぞ。うちに来るつもりがあるんだったら、父上はいくらでも待つと思うがな」



「あんたのとこに行くメリットは何かあるの?」



「待遇はまだわからないが、給料は確実に出るぞ。あとおれと課外活動にいそしめる」



「……あんたと課外活動って……もはや突っ込む気も失せる……」



「超能力者探偵団とか出来るかもしれないぞ。朔夜が依頼人のイメージを読み取って失せ物を見つけたり、殺人事件を解決したりするんだ」



「……それ、おれしか働いてないんですけど」



「おれはマネージャーだから仕事を取ってくるだけだ。あとはお前の力が暴走しないよう後ろで頑張る」



「何だそれ」



 朔夜の表情を見て、シンはからからと笑ったあと、大きくあくびをした。



「もう限界だ。続きはまた明日な」



 シンはおざなりに手を振ると、何かあったら呼べよと云い残して出て行った。

 軽い音を響かせて扉が閉まる。



 シンが行ってしまうと、途端に部屋が広くなったような気がした。

 シンがいなくなってもなお耳にはべったりと余韻が染みついていて、いなくなったという気がまるでしない。


 だがそれも直に消えるだろう。



 少しずつ冷えていく部屋の中で朔夜は大きくあくびをした。

 いそいそとベッドの中に入ると、これまで以上に強烈な眠気に襲われた。


 まなじりに溜まった涙を拭い、枕に頬を押しつけた。生暖かい熱がじくじくと体を包み込み、頭の芯がぼんやりとし始める。


 明かりを消し、明日の予定を頭の中で考える。


 その間にも何度かあくびが出た。

 重い闇がゆっくりと体の上にのしかかり、手の感覚も足の感覚も薄らいでいく。



 寝入りばな、朔夜は久々にあの音を聞いた気がした。


 暗号のようなその音は、声であるはずなのに音はなく、脳に直接書き込まれているような、そんな感覚を味わう。






 dasha、nava、ashtau、sapta、shat、panca、catvari、trini、dve、eka……sunya……



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Moon Child 伴和花千 @sirah

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