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食事を済ませクラスメイトたちと食堂を出たシンは、そこに朔夜がいないことに気がついて眉根を寄せた。
けれど同じ場所にずっといるはずがないし、食事会がお開きになることを察知していなくなったのかもしれない。そのときは大して気に留めなかったシンだったが、部屋に戻ったあとも朔夜は帰ってこなかった。
シンや朔夜の部屋は四人部屋で、彼らの他に二人も人間がいる。
朔夜は部屋の割り当てを見たときから散々文句を云っていたので、帰ってこないのは別に不思議ではなかった。
就寝時間ぎりぎりになるまでねばっているのかもしれないと、同室の二人とたわいない話に花を咲かせていたのだが、その後三十分経っても、一時間経っても朔夜は帰ってこなかった。
あまりに遅いので、さすがにシンも心配になってきた。
入れ違い防止のために同室の二人を置いてシンは廊下に出た。
ナーサリー生が自由に行き来できるエリアは限られている。
地図を頼りにしらみつぶしに探そうとしたところで、見回りに来たらしいルオウに呼び止められた。
「ゼン? どうした。そろそろ就寝の時間だぞ」
「ルオウ教官……」
一瞬、云おうか云うまいか迷ったシンだったが、見知らぬ施設の中で迷っている可能性もある。告げ口したことにはならないだろうと、シンは思い悩んだすえ口を開いた。
「……朔……キサラギがまだ戻ってなくて……。ルオウ教官はご存知ありませんか」
「いや、私は見ていないが。いつからいない?」
「最後に見たのは、食事の時間でした。そのとき、この中を見て回ったらどうかと云ったんです。そのとおりに行動して、迷っていたらと思い……」
「だがこの施設は迷うような構造はしていない。未使用の部屋にはロックがかかっているしな。地下施設に行くエレベーターもこの時間はパス制になっているはずだ」
「そうですか……」
ありがとうございます、と頭を下げ、きびすを返そうとしたシンをルオウは呼び止めた。
「私も探そう」
「え……?」
「何人かいた方が、効率がいい。あまりに長く捜索されすぎて明日の出立に差支えがあっては困るからな。ゼンはこの辺りを見回ってくれ。私は監視システムを見てみる」
ルオウが手伝ってくれるとは予想だにしていなかったシンは、思わず目をしばたたかせてしまい、
そのころにはルオウはもう背を向けていて、こちらには目もくれていなかった。
シンはその背に向かって会釈し、反対方向に駆け出した。
施設はもともと一般向けの天体観測のために建てられたものなので、別段広くない。
しかも生徒たちに許可されている場所は一部だけなのでなおさらだった。
地図で朔夜が決して寄りつかないであろう場所、例えば生徒たちが使っている宿泊部屋などを除いて改めて見てみると、ナーサリー生が立ち入れる場所は廊下と食堂、正規軍人のみが入ることの出来る区画との連結部だけだった。
食堂にいる可能性はあまりないことから、先にその他の場所を探してみることにした。
人が五、六人横並びに歩いてもスペースがあるくらい幅の広い廊下をバーに手を這わせながら進む。
道はほとんど真っ直ぐなので首を動かさずとも、人の有無は分かる。
けれども、演習疲れと騒ぎ疲れのせいか、廊下に出ている生徒などいなかった。
本当にどこ行ったんだ、と心中で悪態をつきながら廊下を飛んでいると、カーブの向こうに人影が見えた。
朔夜だろうか、と一瞬思ったが、近付いてみると違った。
「ライカ?」
名を呼ぶと、少年はゆっくりと顔を上げた。
「ライザー」
億劫そうなその様子は朔夜に少しだけ似ている。
こんなところで一人何をやっているのだろうかと思っていると、エステバンは伸びをしたあと首を回した。
「お探しはラギ?」
「何で?」
「顔に書いてある」
そんなに表情に出るだろうかと顔を曇らせると、エステバンは疲れたように笑って手を振った。
「嘘、嘘。ライザーが顔色変えて探す相手なんてここにはラギしかいないからさ」
眉根を寄せたシンにエステバンは微かに笑みを浮かべると、やってきたのとは逆の方角を親指でさした。
「だったら入れ違いかもしんねーよ? 結構前にここ、通っていったし。今ごろ戻ってんじゃね―の」
「結構って、どれくらいだ?」
エステバンはゆるめの袖を捲り、端末を覗いた。
「……かれこれ、二時間は前かな」
「二時間……」
シンは血の気が引くのを感じた。一体、どこに何をしに行ったんだ。
エステバンが二時間も前からこの場所にいたということも念頭にはのぼらず、事件に巻き込まれたのではないかという予感じみた考えだけが心中をかすめた。
シンは
様子がおかしいと感じたのか、エステバンもついてくる。
「教官!」
戻る途中でこちらに向かってくるルオウを発見し、シンはバーを握る手を強めた。
「見つかったか?」
「いえ、けれどラ……いえ、エステバンが、連結部の方に向かったのを見たと」
「連結部? 本当か?」
「はい。何かかなり急いでいましたけど。てっきり入り口前を素通りして元の場所に戻ったんだと思ってました」
エステバンの答えにルオウは表情を険しくした。
「どうしたんですか?」
「外に出た」
「外……」
「ランナーのロックが解かれている。それと二時間以上前に誰かが外部に出た痕跡があった。多分それがキサラギだろう。何故今の今まで誰も把握出来なかったのかはわからないが、それを調べるのはここの管理センターの仕事だ」
「朔夜……」
外に出たと聞いてシンは蒼白になった。
朔夜が軍のセキュリティを突破出来たことも驚きだが、何よりも考えていることがさっぱり分からない。
つい先程話したときには、随分と様子も落ち着いていたし、時折流れ込んでくる感情に乱れはなかった。
すぐに感情が表に出る朔夜に、これから無断外出するのに平静なふりが出来るとは到底思えず、第一シンが月探索の話題を出したときには、まだ夢話を信じているのかと云っていたくらいだった。
どうして。
口元を両手で覆うように隠し、うつむくシンの肩にルオウは手を乗せた。
「教官……」
「お前たちはここにいろ。大事になる前に私が連れ戻してくる」
顔を上げたシンに、ルオウは大丈夫とでもいうように微笑んだ。
力強さすら感じるその表情に、シンは取り乱した自分が馬鹿みたいに思えてきて肩の力をゆるめた。
走り出したルオウの後姿を見ながら、大きく息を吸って呼吸を整える。
「待ってください、教官っ」
待っているように云ったばかりなのに飛んできた教え子を見て、ルオウは眉をひそめた。
「わたしも行きます。許可を」
「駄目だ」
当然だ。連れて行く理由がない。
しかしそれで納得してしまえば朔夜は死んでしまうかもしれない。
「――教官、少しお耳をお貸し願えますか」
シンはルオウに、朔夜が過敏性共感症の疑いがあること、長い間接しているうちに自分には朔夜の『声』が受信出来るようになったこと、新兵器の開発には必ず朔夜の能力が必要となることを強調した。
そして最後にヨーウィス・ゼンの名を使った。
「貴様……」
ルオウは見たこともないほど険しい顔をした。シンはひるまなかった。
エステバンに聞こえないよう、声をひそめてルオウに告げる。
「わたしは本気です。父の名でも何でも、朔夜の命が救えるなら何でも利用する」
「しかしな……」
シンの強気な対応が功を奏したのか、ルオウは険をやわらげた。今度は少し困ったような顔をしてシンを見る。
本当に受信出来るかどうかも分からない。
足手まといになるだけの可能性が高いということは分かっていたが、それで、はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。
シンは必死に食い下がった。
「お願いします!」
更に言葉を重ね、シンは頭を下げた。
「人手が多い方が、効率がいいはずです!」
ルオウの台詞をそのままくりかえし、シンは更に深くこうべを垂れた。
「ライザー……」
背後からエステバンの声が聞こえた。
感情の見えないその声に、シンは顔に火が散るのを感じた。
決して頭に血がのぼったわけではない。その気恥ずかしさから思わず顔を上げそうになったが、それを精神力でもって押さえ込み、シンはそのまま頭を下げ続けた。
早く朔夜を見つけなければ。
頭の中には自分でも首を傾げたくなるほどそれしかなかった。
何故か感じる酷い不安感、更に捜索への意気込みを駆り立てる。
どうしてこんなに不安なのか、朔夜の身に何か起こったのではないか。
ルオウは何も云わなかった。
シンもただ黙って頭を下げていた。
緊張感さえあるその静寂をやぶったのはエステバンだった。
「あの~」
間の抜けた声に、シンはこうべを垂れたまま顔を曇らせた。
「教官はキサラギがどこにいるかご存じなんですか」
「知るはずがないだろう。だがランナーと宇宙服には追跡装置がついている。それを辿っていけば見つかるはずだ」
「その装置の立体構造物内での精度はどれほどですか」
「何が云いたい」
ルオウの声がますますとげを帯びる。
シンは自分に向けられているものではないにもかかわらず冷や汗が出そうなほど緊張したが、返ってきたエステバンの声は普段聞いているものとはまるで異なる非常に冷静なものだった。
「キサラギの性格からして無意味に飛び出すようには見えないので、何か理由が……たとえば目的が存在するような気がしただけです。目的があると仮定した場合、その対象となるような場所は月には数えるほどしかありません。そのような場所は大抵の場合十二神の塔系列の巨大建造物が存在し、また妨害電波が出ています。これらの建造物に侵入した場合、宇宙服付属の予備酸素ピルでは間に合わないと思ったので」
「貴様――」
エステバンが殴られてしまうかもしれない。
思わず顔を上げようとしたシンだったが、頭上から落ちてきたためいきがそれを制した。
間もなく、顔を上げろとの指示が下り、命に従って体を起こすと、そこにはほとほと呆れたような表情をしたルオウがいた。
腰に手を置き、もう一度深く嘆息する。
「――足手まといになると判断した時点ですぐに帰ってもらう。それでもいいなら来い。エステバン、お前もだ」
「は? 俺もですか?」
「ご高説のたまうくらいだ。さぞ役に立ってくれるのだろう。なあ、エステバン?」
突然の台詞に、シンはすぐにはその言葉の意味が理解出来なかった。
ルオウとエステバンのやりとりを聞きながらようやく事の意味が理解出来た。
「聞こえなかったのか? ついてくるのなら、さっさと来い」
云いながらきびすを返し、背を向けたルオウを見て、シンは今更ながら同行を許されたことを悟った。
込みあげてくる喜びに強張っていた顔がほどけていく。
シンはそれを隠すように思い切りこうべを垂れた。
「ありがとうございます!」
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