3

 スペースランナーの調子はなかなか良かった。


 反射の具合が地球とは異なる月の砂に適応したライトが、真っ暗な空間を切り裂いて、行き先を示す。

 

 銀色に光る岩と砂。

 コントロール端末を操作するたびに、スラスターの影響で粉塵が舞い上がる。


 地球では放射状に噴き上がる砂塵だったが、低重力下の月ではスラスターに巻き上げられた砂の滞空時間が長い。朔夜は、光に反射してきらきらと光る砂を見ながら、ここが地球とは異なる環境なのだと実感を新たにした。


 暗黒の空に浮かぶ星たちはまたたかず、悪夢のように巨大な地球は下半分が溶けたようにない。何もかもがシミュレーション通りで、そのことが緊張感を高めた。



 コントロール端末の上に浮かぶ球形と平面、両方のナビゲーションシステムに記された月基地はもうかなり下の方にあった。


 平面地図上ではすでに見えず、朔夜は酷い不安感に煽られた。



 このまま進んで平気だろうか。



 自ら抱いた疑問を、朔夜はすぐに否定した。



 すでに基地を出立してから二時間近く経っている。今更戻っても停学あるいは退学だろう。

 それならばいつ帰っても同じことだ。


 きちんと確かめて、そして納得したあとに帰ればいい。

 軍管理下にある月に行く機会なんて、これを逃せば一生ないのだから。



 更にランナーを走らせると、遠くの方に人工物が見えてきた。


 昼間習ったリュケイオンの場所と同じ位置にある人工物を目指し、朔夜はランナーを飛ばした。



「……ここがアルティオ?」



 設定を自動追尾モードに変更し、朔夜はランナーを降りた。


 三重構造になっている一番外側のドームは半壊していた。


 夢の中では空が割れているようなイメージはなかったので、本当にこの街なのだろうかと若干の不安を覚える。



 幸いなことにエアロックは稼働していた。


 三つの門をくぐり内部をのぞかせた朔夜は大きく息をのんだ。



「ゆえ……」



 巨大な尖塔を中心にまっすぐと伸びた大通り。そこは家族を失ってからずっと見続けたあの夢の世界だった。



―――朔夜



 呼ばれたような気がして顔をあげると、道の真ん中には少女が立っていた。


 光のこぼれる花びらのような白いドレスを着て、やんわりと微笑む。



「ゆ――」



 少女は夢かまぼろしのように掻き消えた。朔夜は伸ばしかけた手を握りこんだ。



 ゆえ。



 四年前、両親を亡くした自分を励まし、ずっと側にいてくれた少女。


 彼女が実体であれ、幻覚であれ、構わない。ただゆえが呼んでいるから行くのだ。


 朔夜は祈るように少女の名をつぶやき、ふたたびランナーにまたがった。



 ◇



 スペースランナーには追跡装置がついている。

 球形、平面地図上で青白い明滅をくりかえす点は、かなりの速度でリュケイオンに向かっていた。その差はもう相当なものになっていて、ランナーではとても追いつけそうにない。


 小型の飛行艇と何十名かのナーサリー所属の軍人まで動員させることになり、シンは大事になってしまったと内心冷や汗をかいていた。



 飛行艇は立派な外見からは想像もつかないほど静かに飛び立ち、速やかに目的地に辿り着いた。


 十五分も経たないうちに到着してしまったため、そこが基地から遠く離れた場所にあるとはとても思えなかった。


 けれども遠くにあろうが、近くにあろうが、今はそんなことは関係ない。

 今は突如としていなくなってしまった友人を探しに来ているのであって、月旅行にやってきたわけではないのだ。



 着陸したことを認識し、シートベルトは自動的に外れた。

 音を立てながら座席に吸い込まれていくそれを見送り、シンは宇宙服の状態を調べた。


 演習では幾度となく宇宙服を身につけていたが、これに慣れることはきっとないだろう。


 わずかな時間で命を奪われる世界に代えもない普通の服より少し分厚いだけのスーツのみをまとって飛び込むのだ。何度経験しても怖いものは怖い。


 正規軍人たちはルオウの指揮の元、いくつかの班に分かれ、先にリュケイオンに入っていった。


 ルオウは最後に残ったシンたちに向き直ると、険しい顔をより一層厳しいものにした。



「ゼン、エステバン、ちゃんと装備をしているだろうな。授業で習ったとおりに行動しろ。ここは訓練場じゃない。何かあった場合は誰も助けてはくれない。私も出来る限りはするつもりだが、確約は出来ない。分かったな?」



「はい」



 シンは緊張した面持ちでヘルメットを手に取った。


 演習や授業で教わった手順を一つ一つ思い返して、何も見落としてはいないかを確認する。



「あの~、一つ訊きたいんですけど、リュケイオンってバイオハザードが解除されたばかりだから気をつけろとか云ってませんでした。あまりにも危険だからって」



「あれはお前たちを脅すために決まっているだろう。感染する危険性は低いとはいえ、全くないとは云い切れないような場所にただでさえ未熟な生徒を連れて行けると思うか?」



「ですよね~」



 エステバンは話をしながらもてきぱきと準備を進め、シンが見ている前であっという間に装備を整えた。



「はあ……月まで来て、課外授業ね……」



 エステバンはヘルメットを片手に溜息まじりでつぶやいた。


 朔夜を目撃し、なおかつルオウに進言してしまったがために、連動するようにここまでやってきたクラスメイトをシンは不憫に思った。



「すまない。助言してもらった上にこんなところまで付き合わせてしまって――」



「ライザーが謝ってどうするんだよ。悪いのは勝手に出て行ったラギで、ライザーはただ探してるだけだろ。すぐに自分のせいみたいな云い方するの、やめたほうがいいぜ?」



「……悪い……」



「云ってるそばから忘れてるし」



「癖だと思って許せ」



 シンは苦笑気味に微笑んでうつむいた。こんな光景を見たら、朔夜はきっと怒るだろう。



 あんたはおれの保護者でも気取ってるわけ、と不機嫌そうに顔をひそめながら云う様子が、手に取るように想像出来る。



 ぼんやりと考えながら装備を確認していると、ルオウが手を叩いた。



「何をぼさっとしている。用意は出来たのか?」



「出来ました」



 歯切れよく答えたエステバンのかたわらでシンはもう一度ざっと目を通した。



「酸素ピルは持ったのか、予備も最低五つは入れていけ。多すぎて悪いということはない」



 シンからの申し出を受け入れたものの、ルオウはやはり不安らしかった。


 二人が何を持ったのか一つずつ声を上げて確認してくる。


 演習や実習でもしなかったその対応に、シンは何が起こるかわからないという不安を新たにした。



「レーザー銃はカートリッジがないと使えないと云ったな。きちんと携帯しているか?」



「持っています」



「追跡装置は磁場の影響でほとんど使いものにならない。捜索時間は二時間とする。それまでにキサラギの痕跡が見つからなければ我々は帰還。宇宙軍本体に救助を要請し、大々的に捜索を開始する。分かったな、二時間だぞ」



「了解!」



 威勢良く答えた二人を見て、ルオウはようやく満足げに首肯した。



「では、行くぞ」



 飛行艇から出る間際、エステバンが授業か、と大きく息を吐いたのが、聞こえた。

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