第28話 『孫子』と並び称される兵法書『呉子』とは

 兵法書といえばまず『孫子』が思い浮かぶと思いますが、それと並び称される兵法書に『呉子』があります。


 ただ『呉子』は『孫子』にくらべれば知名度は低い。


「そもそも呉子ってだれ?」という人も多いのではないかと思います。


 呉子は戦国時代の人で、名を起といいます。

 孔子の弟子である曾子そうしに学んでいました。


 呉起は孔子の出身地、国で仕官をします。

 そのときに斉が攻めてきたので、魯は呉起を将軍にしようとしました。


 しかし呉起の妻が斉の出身だったことから、反対が出ました。


 そこで呉起は妻を殺して忠誠を示し、将軍になって斉を追い返したのです。


 いまの価値観からすれば妻を殺すなどとんでもないことですが、当時これが美談として受け入れられたかというと、やはりそうではなかったようです。


「身内である妻をも殺すような男が、赤の他人を裏切らないわけがない」


 当然そう思う人も出てきて、けっきょく不信感から呉起は魯国を追われます。


 呉起は、今度は魏で仕官をしました。


 当時、大国・秦が天下を狙っていました。

 魏は呉起を前線の西河に送って秦への備えとします。


 呉起は部下の兵士たちの面倒をよく見、そのことから兵士たちも呉起のために命を惜しまなかったといいます。

 呉起の軍は強く、七十六回のいくさのうち、六十四回勝利、のこりは引き分けと、無敗を誇っていました。


 しかしのちに反乱の罪を着せられ、呉起はへ逃げます。

 

 楚においてはとう王に信頼されて宰相となり、兵を率いてはやはり連戦連勝。

 

 また楚の中央集権化をすすめるため、王族たちの力を削ぐ政策をおこないます。


 こうして楚は強国へと変わっていきますが、既得権益を守ろうとする王族たちは呉起に不満を持っていました。


 やがて悼王が亡くなると、待ってましたとばかりに王族たちが反乱を起こします。

 こうして呉起は殺されてしまいました。


 呉起は兵法家としても一流でしたが、旧体制を打破し、合理的な統治体制を敷いたことから、法家の先駆者ともいわれています。

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