第27話 野球でも使われる「敬遠」という言葉の由来

 ものごとを避けるときに「敬遠する」という言葉が使われます。


 野球でも強打者相手に、ピッチャーがわざとボール球を投げて歩かせることを「敬遠する」ともいいます。


 この「敬遠」の言葉ですが、孔子の言動を記した『論語』から来ています。


『論語』雍也にこんな話があります。


 孔子の弟子である樊遅はんちが、孔子にたずねました。


「『知』とはなんでしょうか?」


 孔子は答えていいます。


「われわれは、ともすれば神や霊を尊敬し、すぐにたよりにしてしまう。だがまずそれを遠ざけ、人としてなにをすべきかを考えること、それこそが『知』だ」


 この「鬼神を敬して、これを遠ざく」から、「敬遠」の言葉が出てきました。


「人事を尽くして天命を待つ」という言葉あるように、すぐに神だのみしたり運まかせにせず、まず知恵をしぼって自分のできるかぎりのことをすべきというのが孔子の教えでしょう。


 しかし現代で使われる「敬遠」は、ものごとを避けることをちょっと丁寧にいったような、べつの意味に変わってしまっています。

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