第23話 人生は二十五年
「人生五十年」といえば織田信長を思い浮かべますが、中国の思想界においても人生の短さはよく議論されていました。
戦国時代の快楽主義者・楊朱はこういいます。
「人生はいくら長くてもせいぜい百年。
しかも赤子のときと老後が人生の半分(自由に動けない時間があるという意味)。
すると人生は五十年だが、夜寝ている時間と昼間ぼうっとしている時間を差し引けば、さらに半分の二十五年。
その二十五年の大半も、病や心配ごとなどで費やされる。
残ったのは十数年。
人はその時間をなにに費やすのか。
美食や美衣といっても、毎日楽しめるわけではない。
しかも人は名誉や罰則にしばられ、名誉を競い合い、見たいものも見ず、聞きたいものも聞かない。
人の顔色をうかがい、自分で判断をくださない。
この世を楽しまず、心のままに行動できない。
これでは手枷足枷をつけた罪人となにが違うだろう。
古人は人生が仮のものであることを知っていた。
ゆえに自然のままに生き、自分の楽しみを捨てることはしなかった。
名誉にとらわれず、自分の生きたいように生きた。
無理をしないから、罰されることもなかった。
名誉や寿命を気にすることもなかった」
楊朱らしい言葉ともいえますが、現代にも通じる言葉ともいえましょう。
人の悩みはいまも昔も変わりがないようです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます