レビュー失礼致します🙇
公の場で書いていると、やはり衝突は付き物なのかもしれません(*T^T)
書き手様には書き手様の正義があって、読み手様には読み手様の正義があるから、批判という衝突があるのだと思います😣
でも、それはとても悲しいことです。
正義と正義のぶつかり合いは、醜き戦争と同じ。
戦争の必須感情は、悲しみだけです。
批判なんてなくなればいい……。
アドバイスのつもりで放つ方々もおりますが、それを批判か助言と捉えるかは書き手様自身の心。
そして、言い方の問題。
ネットの世界とはいえ、コミュニケーションの場でもありますから🌏
多くの作品が犠牲になる前に、多くの方々に気づいてほしいですね😄
創作論法みたいなカクヨムとの付き合いかたを綴ったエッセイがちらほらと目につくなか、こちらの作品もそういうタイプなのかなと思って興味本位でひらいてみました。「縦読み?縦書き?」から「読まれる方法?」までは、そういった話題が続いて、「自由に生きるとは」でカクヨムから離れて筆者の個人的な話へと移っていきます。こういう状況の中でカクヨムという場所に参加している人もいるのだな、という新しい視野でした。
システマチックなところに整然と並べられた作品群を見ていると、やはり「同じステージにいる」と錯覚してしまいます。でもみんなそれぞれの生活があって事情があって人生があって、そのひとときだけカクヨムという場所に属している。ただほんのちょっとだけ交わっている。作品を楽しむだけならばそういう背景的な部分はいらないと思っているのですが、「ここにはどういう人が集っているのだろう」とエッセイを探ってしまうのは、その背景を知りたい気持ちがどこかにあるからですね。