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『八戒村史(※1)』より



 八戒村にある鳳来寺にいた僧の鳳来は、自らを大僧正と称するも悟りを開くことができなかった。


「何故、悟る事さえできないのであろうか? 四向四果の門前にさえ立てず、悟る事もできないのは何故であろうか? 私には決定的な何かが足りないとでもいうのだろうか? 足りない何かを補えば悟る事ができるのであろうか?」


 苦しみに苦しみ抜いても未だ悟りは開けず、何度山ごもりをしても悟りの境地に達することができず、終いには大陸の方から渡ってきたという呪法にも手を染めてまでも悟りを求めるようになっていたという。


 鳳来寺には、鳳来の他に数十人の僧が詰めていた。


 だが、とある日から鳳来以外の僧の姿をぱったり見ることがなくなり、寺そのものがうらぶれていった。


 不思議に思った村民が鳳来寺を訪れ、鳳来に僧の行方を尋ねようと寺に入ったところ、寺にいたのは巨大なムカデであったという。


 その姿を見て驚いた村人は寺から逃げ出し、一目散で村長の家に駆け込み、そのことを報告した。


「巨大なムカデが居着いたというのか? もしや、そのムカデが鳳来様を始めとした僧達を食らってしまったのかもしれない。おぞましい事だ。寺にいた僧達を食べ尽くして、居着いてしまったのであろう。これはゆゆしき事態だ。そのままに捨て置くわけにはいかんし、我らでどうなるものでもなさそうであるし……」


 村長は村民達と話し合いをして、その村を治めている領主に相談しに行く事にした。


 領主・牧野沢七三郎まきのさわ しちさぶろうは村長の話を聞くなり、兵を集めて巨大なムカデの討伐を行う事を即座に決めた。


 そのような化け物を放置しておいては、いずれは己の地位そのもの脅かされると感じたからであった。


 牧野沢七三郎は二百の兵士を集めて出陣し、まずは鳳来寺を包囲し、鳳来寺を焼き払うべく火を放った。


 すると、炎の熱さに耐えきれなかったのか、巨大なムカデが燃え尽きようとしている寺からのっそりと姿を現した。


 その姿を見て、牧野沢七三郎やその家臣達は驚愕すると共に恐れ戦き、戦意を喪失していった。


 それもそのはずであった。


 巨躯のムカデの頭部にいたというべきか、あったというべきか、そこには大僧正鳳来の上半身があったのだ。


「鳳来、大僧正であるあなたが何故そのような姿になったというのだ? あなたは偉大なる大僧正ではなかったのか?」


 しかし、牧野沢七三郎は鳳来の前に出て、そのように訊ねた。


「人の脳みそを食らいて他者の悟りを食らえど食らえど、我、悟り開けず。迷いに迷いて、人を捨てれば、悟りを開けると思いて、人を捨て化け物となれど、我、悟り開けず。我、思う。悟りを開けぬは、我に足りぬ物があるからと。足りぬ物とは悟りの知識と思いて、他者より悟りを奪うために……」


 大僧正鳳来は滔々とそう語るも、他者から何を奪ったのかまでは口にはしなかった。


「悟りのために人を……いや、鳳来寺にいた僧を食らったというのか?」


「見誤るでない。我が食らったのは知識であり、人にはあらず」


「それが知識であろうと人をくらった事には変わらないであろう。鳳来、あなたはもう人ではなく、ただの化け物に成り果てた。討伐たり得る存在になってしまったのだ」


 牧野沢七三郎は合図をして、一斉に矢を放つも、ムカデの鋼鉄のような外殻を貫けず、刀で断ち切ろうとするも、傷さえつける事ができなかった。


「牧野沢七三郎……あなたも、悟りへと至る修行を邪魔しようというのか」


 鳳来は嘆き悲しみながら、


「我、悟る! 悟りとは邪魔をする者を廃する事で得られるものなり!」


 と、唐突に歓喜に近い叫びを上げ、取り囲んでいた軍勢に襲いかかり、兵士だけではなく、牧野沢七三郎の脳みそを食らった。


「これでは悟りが足りぬ。足りぬ、足りぬ、足りぬ。甘美な悟りが足りぬ!」


 二百近い脳髄を食らっても満たされず、鳳来は八戒村へと向かった。


 そして、八割に近い村人達の脳髄を食らった頃であった。


「毘沙門天の命に従い、腐れ外道を討伐しに参上した」


 白馬にまたがり、腰には坂上宝剣を携えた、まるで毘沙門天の生まれ変わりのような鎧武者の青年が颯爽と現れて、強大なムカデと化した大僧正鳳来と正対したのである。


 その鎧武者の青年とムカデと化した大僧正鳳来の戦いは三日三晩に及び、四日目の朝には戦いが終わったのか、青年も鳳来の姿も村から消えていた。


 残された村人達がどうなったのかと気になって鳳来寺に行くと、焼き討ちされたはずの鳳来寺の跡地に巨大な塚ができていたという。



(※1)

八戒村史の原本は、戦国時代に村が焼かれた際に焼失している。

本書は口伝の後、書き記されたものから『鳳来』に関して抜粋したものであり、文体に統一性がない事から正確に伝わっていなかった可能性が高い。

また、再び記された八戒村史も、幕末に焼失している。




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