02
母が湿っぽくなってきてしまったので、私はいつもよりも早く家を出て通っている高校へと向かうことにした。
私が通う公立七戒高校には、近くのバス停から出ている市営バスに四十分ほど揺られてようやく辿り着ける。
通学通勤の時間帯は二十分ごとに一本のバスが出ているけど、それ以外の時間帯では一時間に一本程度の典型的とは言わないまでも、この辺りの生命線であったりする。
そんな場所なのだから、当然閑散としている。
ようは田舎なのだ。
この八戒村は。
「巫女……さん? あれ?」
いつものと時間帯が異なっていたからなのか、数名は並んでいるはずのバス停の前にいたのは、一人の巫女だけだった。
普通にバスを待っているのだったら近くの神社の巫女さんかな、と思ったかもしれない。
けれども、その巫女さんはバス停看板に身体を預けるようにしてぐったりと倒れていた。
何かあったのかもしれないと思って、その巫女さんに駆け寄るなり、
「大丈夫ですか?」
と、私は声をかけた。
巫女さんは、バス停で寝落ちしてしまったのではないかというくらいの安らかな顔をしていた。
「大丈夫ですか?」
寝ているだけなのかな、という疑問を抱きつつも、もう一度声をかけると、かすかに眉毛が反応した。
唇が微かに震えるように動いた。
「……水を」
まぶたが微かに開いたかと思ったのだけど、すぐに閉じてしまった。
疲労のためなのか、それとも、もっと別のものなのか、目を開ける事さえ困難な状況にあるのかもしれない。
「水ね。ちょっと待ってて」
ここは田舎なのだ。
コンビニなんていう便利なものは数キロ先にしかない。
近くにあるとするのならば自販機なのだけど、それも数百メートル先にしかない。
「……仕方ない」
田舎だとしても悪い事ばかりではない。
このちょっと先に井戸がある。
そこで井戸水をくんできて、飲ませてあげる事くらいはできそうだ。
巫女さんが気がかりではあったけれども、何に水を貯めればいいかは井戸のところで考えることにして井戸のある場所へと向かった。
井戸まで来て、容器がない事に気づいたのだけれども、幸いな事に井戸の傍に
「水持ってきましたよ」
私の声が届いたのか、巫女さんはうっすらと目を開けて、私を見て、そして、柄杓を見た。
「口元に……」
自分で飲む気力もないのか、巫女さんはそう苦しそうに口を開いた。
「はい」
水の入った柄杓を口元まで持っていき、恐る恐る唇へと触れさせる。
ようやく巫女さんは顔を近づけて、柄杓に口を付けて、水をゆっくりとではあったけれども飲み始めた。
半分くらいまで飲むとようやく気力が回復してきたのか、腕を上げて柄杓に手を添えて、押し込むようにして水を口の中へと導いていった。
「……ありがとう」
「どうかしたんですか?」
バス停で倒れているという一大事がようやく解決したからなのか、巫女さんの容姿をじっくりと見つめる余裕が出て来て、ついつい観察してしまった。
こうして間近で見ていると、巫女服は汚れが目立っていた。数日間、この服を着ていたかのようなやつれ具合が散見していた。
それに加え、腰まではありそうなほど長い黒髪は洗っていないからなのか、艶がなくどことなく野暮ったくなっている。
化粧などをしていないであろう素顔もどこかすすけているように埃っぽい。見目綺麗なのだろうけれども、そういったところで台無しになっている。
この様子だと、本当に数日間お風呂に入っていないように思える。
「昨日から何も食べてなくて……」
巫女さんは照れなど一斉見せず、それが当然であるかのように言った。
「空腹で動けないんですか?」
「……でも、あなたのおかげで、少しは動けそう」
私は考えを巡らせる。
このまま、この巫女さんを捨て置くようでは罰当たりになってしまうのではないかと気が気ではないし、助けるのが私の義務にも思える。
何か食べ物が買えそうなお店やコンビニはない。
当然飲食店なんてものも数キロ先にあるだけだ。
そうなると、自分の家という選択ししかあり得ない。
母が嫌な顔をするかもしれないけれども、突撃あるのみかな。
「私の家に来ませんか?」
「……?」
巫女さんは何故そんな事をと言いたげに私の目を見つめてくる。
底がどこにあるのか不明瞭な深みのある瞳だった。
そんな瞳を見つめ続けていたら、めまいがしそうな気がした。
「この辺りで食事ができる場所はないので、私の家で、っていったところね」
「私は……悪い人。それでもいいの?」
冗談といった色は一切なかった。
「私には悪い人には見えないから」
心根の悪い人ならば、どこかの家に侵入して食料を調達などして空腹を満たすのではないか。
そうしないのは、心根が善良だからではないのか。
私にはそう思えたのだから。
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