26. 反撃
マリ・シェールがゾーン対策部隊の出身であることは、追跡屋なら知る者も多い。もう随分昔の話で、彼女の言動から軍人らしさはすっかり抜けてしまった。
それでも戦闘服はなかなか様になっており、指示の出し方も堂に入っている。
メルケスへ蟻との交戦の模様が報告される際、彼女も近くで聞き耳を立てていた。
焼夷弾を用意させようとした彼に、シェールは猛然と食ってかかり、ついでに戦闘服の提供と現場に向かうことを承諾させる。
彼女が提案した特製弾の準備が、増援に時間を食った原因だ。
間に合うかは綱渡りになってしまったが、その効果は絶大であった。
空中で破裂した砲弾は、中に詰め込まれた
赤く発動した砂は、ゾーン産の毒の遺物であり、一粒でも触れた蟻はピタリと静止した。
外殻がどれほど頑強であろうと、内部に浸透して身体を犯す毒には何の役にも立たない。
たった一発の毒弾が、雪原に集っていた蟻の全てを潰滅させた。
劇的な効果に一瞬喜んだヒナモリも、ゲートの周り三百六十度にシェールが弾を連発し始めたことに驚き、慌てて止めに駆け寄る。
「これは毒ですね! 全方向に散布しては、部隊も身動きが取れなくなります」
「心配ないよ。持続時間は短いし、キササギが道を作ってくれる」
標的がいなくなり、手が空いたミサキも二人の元にやって来た。
「セイジも向こうに戻ってたの?」
「毒を撒き終わるの、待ってるんだよ。危ないから」
「危ない?」
答えを聞くまでもなく、バイクに乗った本人が登場して、頭を振りつつミサキの名を呼ぶ。
「ミサキ、手伝ってくれ! くそっ、連続転移なんてするもんじゃねえな……」
運転を代わろうかと言う彼女へ、彼は麻の大きな袋を突き付けた。
重い中身を確かめるために袋の口を開けようとすると、叱り飛ばすようにセイジが急かす。
「早く乗れ! 暴発するぞ」
「何がそんなに――これっ!?」
枯れた木の根、黒い丸石、色ガラスの破片、古い骨。革紐が巻き付けられた木の棒や、何の生物由来か分からない干からびた
得体の知れない雑多さは、形代でなければ――。
「避雷針だ。僻地に保管していたのを、部隊がベースへ運んで来てた」
「
避雷針は普段、転移が起きても被害が少ない離島に分散して保管されている。
それら避雷針を一箇所に固めれば、巨大エネルギーを呼べるのではないか。そう考えたのは、ヒナモリも同じだ。
ただ、実行に移すにはリスクの高い計画であり、群発性転移の増幅に挑戦した際も、隊員が転移に巻き込まれて犠牲を出してしまった。
今回の作戦でも、エネルギーの不安定さを知って、彼女は直前で避雷針の利用を断念する。
その時のやり取りを覚えていたセイジは、障壁攻略の方法を
「光り出した避雷針から、順番に投げていけ!」
「手で投げるの?」
「後ろに
荷台にはホルダーがいつの間にか取り付けてあり、ミサキは手を伸ばして、蓋を留めるフックを外す。
ホルダーの中身は短銃にしては厳つく、ライフルにしては寸胴な銃だった。バレルが異常に太く、センサーキャスターに似ている。
「魔石用の投擲器だとさ。受け皿に弾をセットすりゃいい」
「トリガーが無いわ!」
「投擲器自体を起動させるんだよ」
ミサキがバイクに乗った途端、早速袋を透かして青い光が漏れ始めた。
発光源の銀の輪を掴み、投擲器にセットしてセイジの肩越しに前へ撃ち出す。
やってみれば魔銃の扱いより簡単で、避雷針は綺麗な放物線を描いて、小麦畑へ落下していった。
直後、円形の文様が宙に浮かんだかと思うと、
「ハズレだ、どんどん行け!」
「ちょっと待っ――」
まごつくミサキを無視して、ゴーグルを装着したセイジは壁へ向かって発進した。
毒の降った場所は、小麦が立ち枯れているので見分けがつく。
巧みにバイクを操り、小麦の穂を踏み潰して先へ急ぐセイジとは逆に、ミサキは次々と光を点す避雷針に泡を食った。
転移が発動する前に自分たちから遠ざけようと、彼女は必死に避雷針をホルダーに置いては射出を繰り返す。
赤土の円筒、砂浜、半裂きにされた大木。切り取られた異世界の光景が、展覧会の如く平地に並んだ。
大きな丸池が現れると、外周に沿ってバイクが迂回する。
池の一部に重なる形で次は砂漠、その先に黄色い花畑が広がった。花が咲き乱れる転移地は直径が百メートル近くあり、それを越すと壁がいよいよ眼前に迫って来る。
これは蟻の本拠地に近づいたとも言うことで、針蟻たちもバイクを目指して動き出した。
「蟻だ、転移陣で叩き切ってやれ!」
ミサキには狙うどころか、返事をする余裕も無い。ひたすらに、発光する遺物を撒くだけだ。
一つずつでも大変なのに、三つ一度に光ってしまったのを見て、彼女は盛大に舌打ちした。
連射では間に合いそうもなく、ガラスのビーズと赤い宝石、それに菱形の木の実を右手で掴んだミサキは、力いっぱい前へ投げつける。
「避けてよね!」
「おおっ!?」
微妙にズレた三重の転移陣が、相互に干渉しながら円を作った。
バラバラだった三つの円は直ぐに混じり合い、一つの巨大な陣となって爆発的に拡大する。
形成光の中に突っ込んだセイジは、重力変動で円の中心に引っ張られ、車体が大きく右に傾きかけた。
このバイクもゾーン探索用に開発された専用車であり、彼の
ハンドルの右に付いたボタンを押し込むと、キャスター状の筒先から地面に向けて圧縮空気が噴射され、バランスを回復するのに成功する。
地面に垂直に立てれば、後はバイクの馬力が急加速を生み、転移範囲外へ脱出するのを助けてくれる。
同じく陣内に収まってしまった多数の蟻たちは、彼らほど上手くは立ち回れず、仲間と押し合う内に転移が発動した。
バイクに追い縋るように、一匹の蟻が前脚を伸ばすが、下半身は陣の中だ。
尻と胴を別世界に飛ばされた蟻は体を前後に両断され、頭だけが支えを失ってガランと地面に落下した。
「あれ見て!」
「まだいたのかよ」
密集する虫に紛れて、低空を飛ぶドローンが一台、まだ押し寄せる敵を相手に奮闘している。
無差別掃射ではなく、弾を節約するためか、ちゃんと一匹ずつ蟻の頭部を狙って仕留めていた。
おかげで敵の少ない壁への道が出来ていたものの、ドローンの射撃自体が避けづらい。
流れ弾に被弾しないように、一気に駆け抜けたいが――。
「上を行く」
「えっ、なに?」
「しっかり掴まれっ!」
微妙にコースを修正しながら、ドローンとの間に積み上がった蟻の死骸へ向けてバイクはまた加速した。
虫の殻は硬く、乗って潰れるヤワさではないだろう。ドローンの飛行高度が低いのが、幸いだった。
ミサキは投擲器をホルダーに仕舞い、左手を麻袋ごとセイジの体に回す。右手に握ったのは、光り始めた避雷針だ。
ちょうど彼らへ向いて死んだ蟻が、頭を地に付け、尻を持ち上げた坂道を作ってくれている。
バイクは高速でその頭から、車輪を唸らせて駆け上がった。
針だらけの尻が真下に来た瞬間を捉え、セイジはハンドル左右のボタンを同時に押す。
車体下部の
高い軌道の頂点、ドローンのプロペラの真上で、ミサキが避雷針を投げ捨てる。
「お疲れさん」
敵の敵でも、邪魔な物は邪魔。
バイクは小麦の中へ着地し、ショックアブソーバーが目一杯沈み込む。それと同時に、背後ではドローンを中心に転移陣が展開した。
壁を前に、両輪を滑らせてバイクが停まる。
「さあ、壁を潰すぞ。残りの避雷針を食らわせてやれ」
「蟻が出て来てるわよ」
「大丈夫だ。後続がいる」
彼らが作った転移地の水玉模様を伝い、特務部隊の面々も援護に駆け付けるところだった。
蟻の退治は部隊に任せ、二人は障壁攻略に集中する。
シェールの射撃方向への指示は的確だったため、ヒナモリも魔砲を彼女に預けて、隊員を動かすことに専念できた。
壁を突破したセイジは渦へ向かうはずで、その時には彼のサポートも必要になろう。
元々過負荷を担当する予定だった人員は、ヒナモリを含めて十名。国中から掻き集めた形代を持つこの十人が、最重要メンバーだった。
優秀な起動者を得た今、彼らの任務はセイジの
成功確率は大幅に上がったと、ヒナモリは喜ぶ。
魔砲は第一特務が所持する三機全てが、地球へ運ばれて来ていた。
車輪付きとは言え、旧式大砲のような大型砲とその弾を前線に押して行くのは、重労働だ。
この作業には、負傷者で数が減った部隊員を補充する形で、民間人の二人が手伝う。
セイジが帰って来てから暫くして、ニキシマとテダまで現れ、シェールの命に従って働いた。
クラネガワもゲートに入ろうとしたらしいが、彼はチーム仲間に止められてしまう。
来なかった他の追跡屋連中は、遺跡の周りから去らず、じっとセイジたちの帰還を待っているそうだ。
場違いな派手な柄のシャツを着て到着したニキシマは、直後、素人には荷が重いから帰れとヒナモリに忠告されている。
ところがセイジも素人だろうと指摘した上で、「こんな面白いことを独り占めさせられるか」などと適当な台詞で抗弁し、彼女を呆れさせた。
決して深刻な表情は見せないニキシマではあったが、物見遊山でゲートを潜ったのではない。
彼らにも、それぞれに決着を付けたい思いがあった。
元来、追跡屋には転移に関わって独り身となった
頼まれもしないのにやって来た三人は、その中でも親兄弟や妻子の一切を奪われ、転移に恨みともつかない感情を抱いて生きてきた。
転移現象を止められるなら、その現場に立ち会いたいというのが、彼らの本音であろう。
先を行くセイジの左右、そして壁そのものにも、毒弾が撃ち込まれていく。
「おっ、あいつら壁の前まで行きやがったぞ」
「左の壁の上を狙って!」
「へいへい」
シェールが蟻の増援を見つけ、ニキシマたちが砲身を調整する。
蟻の群れをセイジに近づけさせる気は、誰一人として無い。巣壁を破壊しようとする二人を、仲間が作る毒の雨が守った。
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