25. 蟻
蟻が大人しくドローンの相手だけしてくれるなら、増援が来るまで息を潜めるという選択肢もあった。
いや、隊員たちを窪地から追い立てたのは、偵察に遠出してきた蟻だけではない。不規則に乱発する小型転移、これがマズかった。
ちょうど負傷者を寝かせていた場所を中心にして、光の筒が発生する。
転移範囲から逃れようと、隊員たちは呻く怪我人をズルズルと引き摺った。
出現したのは、直径三メートルの円で切り取った石英の結晶体、六角柱が集まって出来た水晶の塊だ。
故郷にもある鉱物床を見たヒナモリは、隊員たちに窪地からの退避を命じた。
「水晶から離れなさい! 蟻に見つかります!」
計測器を取り出すまでもなく、水晶は転移エネルギーとの親和性が高い。大量の力を含んだ遺物に、針蟻が反応するのは目に見えていた。
クラネガワ製のバイクは、段差を物ともせずに軽々と越え、移動手段を持たない隊員たちで負傷者を運ぶ。
全員があと少しで上に登り切ろうかという時、最初の一匹が顔を出した。
水晶を横取りする敵と認識したのか、隊員に向かって顎をガチガチと鳴らして威嚇する。
攻撃を控えて、静かに後退するべきなのか皆が判断に迷う間に、さらに二匹の蟻が現れ、水晶に取り付いた一匹は尻を向けようと身体を捻った。
「撃てっ!」
ヒナモリの号令で、既に狙いをつけていた隊員たちの銃が、赤い魔弾を放つ。
腹や脚に当たった弾は傷を付けることも能わずに跳ね返されたものの、数発は脚の付け根に的中し、二匹の脚を一本ずつ胴体から切り離した。
水晶からずり落ちた蟻の顔を狙うべく、ヒナモリは窪地の外周を駆ける。
蟻たちの眼に当たった弾は二発。隊員の一人が、見事に複眼へ着弾させ、頭部を内側から破壊した。
もう一発はミサキが撃った魔弾で、最初に来た蟻の眼から体内に侵入して、腹の中を縫い砕く。
独り窪地を回り込んだヒナモリが、最後の蟻の顔へ弾を撃ち込み、その息の根を止める。
だが、あと一歩、遅かった。
頭を失い、地に崩れた蟻の尻が青く瞬く。死して尚、十を超える針が隊員たちへ発射された。
肩を射抜かれた者が地面に吹き飛び、突き出た針へ雷が落ちる。
焼けた肉の臭いが辺りに立ち込め、隣に立っていた同僚も感電し、一拍空けて両膝を地面についた。
針の被害は大きく、三名だった戦闘不能者は八名に増える。
“治療薬”も持ち込んでいるため重体は避けられているが、遺物を限りなく薄めた簡易版だ。
回復の構築式が組み込まれた遺物は、特殊ゾーンの薬局から手に入れたものが主で、とうの昔に原液は枯渇していた。
肩を焼かれた隊員を見て見ぬ振りで遣り過ごすわけに行かず、セイジがその傍らにしゃがみ込む。
「動くなよ」
「う、うぅ……」
勿体ないと思いつつも、彼は薬瓶を取り出し、起動させた中身を傷口に注ぐ。
ほんの微細な回復効果を持つゾーンの涌き水、それを濃縮し続けて作ったセイジ自前の薬は、部隊の治療薬よりも遥かに能力が強かった。
正に魔法もかくやという効果で、傷が瞬く間に元の滑らかな皮膚に戻る。
必死に礼を言う隊員を立たせたセイジは、他の重傷者にも薬を発動させていき、最後にヒナモリへ向き直った。
「俺の薬はこれで全部だ。完全には治療できない」
「充分です。バイクの後ろに乗れるようなら、ゲートへ運びましょう」
「俺も手伝うよ。ベースに伝えたいことが出来たからな」
何を、との質問には手を振って誤魔化し、負傷者の一人を乗せた彼は転移ゲートへと向かう。
去り際に、ミサキへ無茶を戒める忠告をしたため、彼女は鼻で笑うしかなかった。
「セイジにだけは言われたくなかったわ」
「貴女も相当な人だと思いますが」
「アンタにも言われたくない」
三匹を片付けた後は、
ドローンが形成していた戦線が遂に綻び、生まれた穴から群れを成して針蟻たちの群れが外に膨らむ。
接敵まで一分も掛からないだろう。
「全員、後方へ退避!」
後方とはもちろん壁から離れる方向であり、反撃は射程内まで近づかれてからだ。
走る隊員の背後に、スピードを落としたバイクが続き、後席が敵との距離を窺った。
小さな転移が発生する度に、いくらかの蟻はそこに留まるが、大半はそのまま外へ進軍する。
数十匹はいる前列の針蟻が、魔銃の最大射程に届こうかという瞬間、ヒナモリが移動の停止を命じた。
小麦が邪魔になるため、反転した皆は立ち姿勢で銃を構える。
あまり性能の良くないスコープを覗きながら、ミサキは目標の位置を見定めようと努めた。
今度こそ地球への帰還を果たした彼女の仕事は、巨大な虫との対決である。悪い冗談にしか思えないものの、特に嘆くようなことでもない。
帰郷に感慨を抱くには、セイジと過ごした月日が長過ぎたことを、もう彼女は知っていた。
――家族、ねえ。無事に帰りを待つのが、
銃身の冷たさが、体の熱を奪い心地好い。魔銃は思ったよりずっと、彼女の手に馴染んだ。
目標と弾を結ぶ糸を心の中に描き、ミサキは攻撃の合図を待つ。
「撃てぇっ!」
シュルシュルと飛行音を響かせ、幾筋もの赤い光線が敵を求めて伸び進む。
スコープを使っても点にしか見えなかった灰色の眼を、彼女の弾は逃さなかった。真ん中に飛び出ていた蟻が、頭を吹き飛ばされて動きを止める。
その死骸を踏み越えて進む脚を、隊員たちの魔弾がもぎ取った。
少し遅れて撃たれたヒナモリの弾が、転がる蟻たちのトドメを刺して飛び続ける。右の蟻の眼を貫き、左眼から出て隣の蟻へ。
脚を失ってバランスを崩した蟻の頭を弾き、その奥へ向かった魔弾は更に三匹を仕留めてやっと役目を終える。
――あんな真似は出来ないわね。
ミサキがヒナモリの神業に感心する内にも、隊員たちは次弾を装填して第二射を放った。
彼らも決して悪い腕ではない。頭に命中させる者もいれば、脚を数本一度に弾く者もいた。
一回の斉射で十匹は優に倒しており、下手なドローンより戦果は大きい。それでも、相手の数は膨大で、残弾よりも多いのが見て取れる。
「あなたは弾数を気にしないで、これを使いなさい」
ヒナモリは自分の弾を、ミサキに渡した。
「ありがたいけど、あなたはどうするの?」
「私は遺物を使います。威力はともかく、魔素の親和性が高いからコース調整は楽なんですよ」
腰に付けた小袋から、彼女はサインペンのキャップを取り出し、ミサキへ振ってみせた。
これこそ副隊長にしかできない裏技だろう。
蟻は仲間が撃ち殺されるのを気にすることなく、積み上がっていく死骸を越えて、彼らとの距離を詰めていった。
前に出た何匹かが、遠距離攻撃のためにくるりと背を向ける。
指揮官が告げずとも、尻を向けた蟻の危険度は皆が理解している。
赤く光る魔弾が、針を撃とうとする蟻の胴へ集中した。しかし、一匹の発射行為を阻害し切れず、導力矢が隊員たちのいる場所へ降り注ぐ。
無差別の制圧攻撃を受け、一人が利き腕に針を突き刺され、三人が導雷に感電して火傷を負った。
バイクの一台にも針は届き、落雷と共に魔光を発して炎上する。
数も厄介だが、針の攻撃は反則に近い。
銃を上回る射程を持ち、着弾した先で電撃まで放つため、蟻たちが本気で攻撃に転じれば部隊は殲滅させられかねない。
ミサキの物言いたげな視線に、ヒナモリも決断を迫られる。全力で逃げるべきなのか、否か。
援軍はおそらく、魔砲を運んでくるはず。
針に対抗できる長距離射程は頼もしいものの、撃てるのは重質量の砲弾か、上空で炸裂する焼夷弾しかない。
数を相手にするなら焼夷弾、しかし熱が有効な敵かは、試して初めて分かることだ。
「全員、全速力でゲートへ向かって移動!」
最悪、完全撤退も有り得た。遅い援軍の到着に苛立ちを覚えつつ、ヒナモリは退避を選択する。
――あと少し、根源が目の前に在る状況で、虫に邪魔されるとは。
敵のいないゲートまでの道筋、退却自体は容易かと思いきや、露払いを務めるバイク二台が急ブレーキを掛けてコースを変更する。
やや大きめの転移陣が出現したためで、導雷に加えて周辺の重力が波打った。
見た目は平地でも重心を左右に揺らされ、転倒したバイクの一台が転移範囲に横滑りして行く。
地面に投げ出された隊員を、仲間が陣の外へ連れ出すのと同時に、小麦畑はバイクごと雪原に置き換わった。
「迂回せずに突っ切りなさい!」
約三十メートル幅の雪原の隣には、細かな転移兆候が連続して発生しており、スムーズな進行がここで阻まれる。
予期せぬ雪中行軍でも、彼らのバイクや足が遅れることはないが、蟻にはまた少し接近を許してしまった。
雪原を抜ければ、ゲートはすぐそこ。
雪の外円の縁で振り返ったヒナモリは、最後の反撃を試みることにする。負傷者はそのままゲート前へ進み、残りの隊員が彼女の隣へ並んだ。
腰を落とし、膝撃ちしようとするヒナモリを見習って、隣に来たミサキもしゃがんで銃を構える。
「二匹同時に挑戦してみるわ」
「貴女なら、三匹でもいけますよ。素質は充分です」
「そう?」
ヒナモリの射撃を皮切りにして、雪の上を一斉に魔弾が突き進んだ。
雪原に踏み入ろうとした蟻は、複数の弾を受けて即死する。
隊員たちの残弾はおおよそ半分。軌道を調整して弾を回収したくても、間断無しに襲う蟻の猛攻でそれも叶わない。
「残り三発まで斉射!」
これを撃ち終えたら仕切り直しと理解した隊員たちは、せめて一矢報いてからと、近寄る虫へ弾を浴びせた。
バリケードのように死骸が重なり、純白の雪原を汚い灰色が浸蝕する。
黙々と標的を潰す作業も、永遠には続かない。弾切れまで撃ち尽くすのは、フクロウの流儀とは違う。
五分を稼ぎ、雪の半分ほどが蟻で埋まった頃、ヒナモリが終了を告げた。
「これ以上待てません。全員帰還、ゲートへ!」
「まだよ!」
耳慣れない怒声に、ヒナモリだけでなく隊員たちも思わず後ろへ顔を向ける。
動じなかったのはミサキだけだ。彼女はニヤリと笑い、二匹同時討伐への挑戦に戻る。
ゲートから出現した魔砲が、ドゴンと重い衝撃波を放ち、雪原の奥へ弾を打ち上げた。
雪を越えた弾は、上空で真っ赤に発光して炸裂する。
「ほら、次行くよっ!」
隊員に次弾の装填を命じたのは、第一特務の戦闘服を借りて着込んだシェールだった。
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