22. 帰還
ビル壁を
目視できる発動の兆候は、街路の明度変化が最初だった。
形成光が発生したかと思いきや、青い蛍火は皆無である。闇が薄れた理由は、道そのものが光を帯び始めていたからだ。
街を俯瞰できれば、碁盤の網目が浮き上がってくるのを、より明確に認識できただろう。
下から照らされたことで、街灯やビルの落とす影が薄まっていき、コントラストを失った街は青くボケた姿に変わった。
セイジが四方を見回している内に、光は強さを増し続けて、月よりも道の輝度が高くなる。
環状列石とは比べものにならない規模に、ミサキの身を心配した彼は、隣に
「大丈夫か?」
「平気……まだ大して力も注いでない」
普通に口を利けるなら、まだまだ余裕がある。
安堵しつつ立ち上がったセイジは、強烈な違和感を覚えた。
――軽い!
そのまま空中に飛び上がりそうな体の軽さを感じ、彼の手がバランスを取ろうと左右に振られる。
「重力変動か!?」
いきなり転移の最終段階に突入したかと思ったのは一瞬のこと、これが全く違う現象だと直ぐに気づいた。
デタラメに重力方向が変わるわけではなく、ただ地に引き付ける力が弱くなっているのだ。
街を支配していた物理の縛りが、
ミサキの発光は、掌から腕へ、さらに体へと拡大し、もう首元まで青い。光は体外にエネルギーが溢れている証であり、こうなると虫の関心も引いてしまう。
下手な鳥よりも大きな蚊が、彼女の真ん前へ降り立つ瞬間、セイジは砕けろとばかりにハーケンで薙ぎ払った。
ミサキの頭に接近した蚊を斬り落とし、彼女の隣に着地したものは足で踏み付け、切っ先で貫く。
脚の一本も彼女へ触れさせずに五匹ほど潰すと、蚊のブザー音とは違うバサバサという羽ばたきが、ビルの上から現れた。鳥でもトンボでもない、蛾だ。
新たな巨大昆虫にウンザリしつつも、蛾なら大した敵ではないとハーケンを構え直す。
近くまで引き付けて、頭をかち割る一撃を――。
効果的な攻撃部位を検討していた彼は、敵との距離感を見誤っていたと知る。前方十メートル上空にまで来た蛾の横幅は、人が手を広げた長さの三倍は優にあった。
トンボを超える薄水色の巨体から、燐粉とも魔光ともつかない光が降り落ちる。
これが毒蛾なら、ハーケンが届く前にジ・エンドだ。
「ミサキ、逃げるぞ!」
「ダ、ダメ……手が離れない……」
「ああ!?」
セイジが彼女の腕を掴み、
痛い痛いとミサキに抗議されて、彼も退避を諦めた。
今一度、ゆったりと周囲を旋回し始めた蛾に向き直る。体重が軽くなった今なら、ジャンプで何とか武器が届くだろうか。
腰を屈め、一撃を食らわせる機会を窺っていた時、赤い糸が蛾の羽根を縫った。
速度の遅い虫は、魔弾の格好の的だ。
何度も穴を
大地を蹴った彼は、蛾の高さまで軽々と上昇した。
ハーケンで頭をかち割られ、脳を失った虫は、枯れ葉のように回転しながら落下する。
絶好のタイミングで帰ってきたヒナモリへ、彼は簡単に礼を述べた。
「助かったよ……つつっ」
「喋らないで」
口を袖で押さえて歩み寄った彼女は、蛾の死体に銃先を突き刺し、ミサキから多少遠ざけるべく道路脇まで引き摺った。
跡には光る粉で線が引かれたが、これも蚊の体液と同じく、地面に吸われてすぐに消える。
「軽くて楽チンですね」
「手先が痺れる……」
「私の故郷にいた蛾に似てます。同種なら、軽い麻痺毒持ちですよ」
「もっと離さなくて大丈夫なのか?」
彼女は首を横に振り、この虫が必要なのだと言った。
街に在る高エネルギー源は、体内に力を溜めた虫たちだ。体液を撒き、それを呼び水の補助に使うというのが、ヒナモリの考えだった。
「まあ、そんなとこだろうと思ったけどな。隊員は虫捕り中か」
「もうすぐ来るはずです」
護衛役を彼女と交替して、彼もミサキの前に膝をつく。
「さあ、俺もやるよ」
「もう……力が切れそう……いくらでも吸われて……」
「街サイズだからな。無理して喋るな」
加勢したセイジは、分かっていたとは言え、相変わらず底を見せないエネルギーの抵抗感に険しい顔を見せた。
――こりゃ、二人でも全然足りねえぞ。
街を包括する構築式が存在することは間違いなく、ミサキの努力で流れは作られている。
いや、流れなんて生易しいものではなかった。際限なくエネルギーを要求するバキュームだ。
激流がセイジからも力を吸い出し、手が地面に縫い付けられる。
ミサキが動けなくなった原因を、彼も身を以って理解させられた。
「これじゃ……」
「部下が帰って来ました。エネルギーを補充します!」
身じろぎも難しい二人が、声のした方向へ懸命に首を曲げる。
ヒナモリの前には、ロープを引っ張る部下たちが戻ってきたところだった。
冗談のように盛られた虫の死骸が、ロープの先に括りつけられている。
いくら虫の身体が軽いと言えど、トラックサイズの荷物を引っ張って来れたのは、低重力化の恩恵であろう。
「く……さい……」
「我慢しろ……これで起動まで行き着け――」
部下に発せられたヒナモリの命令を聞き、セイジは会話の途中で硬直した。
「体液を起動者へ! 接続部の手を狙いなさい」
「はっ!」
――馬鹿はよせ。臭気で殺す気か。
一か八か街を発動させてしまおうというヒナモリだ。セイジたちの快不快に気遣う優しさなど、持ち合わせていない。
隊員の一人がトンボの胴体をセイジの頭上に掲げ、もう一人がその腹を裂くと、大量の緑液が滴り落ちた。
「やめろ……」
「ヤメ……テ……」
ミサキの顔が真っ青に見えるのは、魔光のせいのようでもあり、体液が顔に付いたためにも見える。
嘔吐を堪えているだけかもしれない。
無茶苦茶な援護を恨んで二人はヒナモリを睨むものの、効果のほどは
臭いはともかく、体液に含まれていたエネルギーはみるみる街に吸い込まれて行った。
セイジたちはエネルギーを供給する導管となって、構築式の隅々まで力を送る。
道路は遂に日の出を迎えた空ほどに明るみ、ビル影は完全に消滅した。
天高く放射される光の先に、無数の煌めきが漂う。
「形成光! 陣が展開します!」
起動役の二人は、気を許せば意識を刈り取られそうな圧力に晒され、真上を見上げることはできない。
だが、流れの質が変わったことを真っ先に知ったのは彼らだった。
ただただ単一方向に吸われるだけだったエネルギーが、大きなうねりを作って、渦を巻こうと動きを変える。
――反転する。
鼓膜を痺れさせる雷鳴が轟き渡り、街が細かく震え始めた。
色が失われ、重力が
逆流する力に弾かれるように手を離したセイジは、
息が荒れ、言葉が出なくても、ヒナモリを睨むセイジが何を言わんとしているかは、彼女にも分かる。
形成光が発生し、落雷に重力変動とくれば、これは転移の兆候だ。
但し、形成光が集まって空に描こうとしている陣は、誰も見たこともない巨大な正方形であった。
災厄として星を襲う転移、特殊ゾーンにかつて存在した単一ゲート、ストーンヘンジが作る多重ゲート、そのどれとも異なる第四の転移現象が起動する。
このまま街に留まるのは、自殺行為ともなり得るだろう。光る方形は、灰色の障壁が囲む土地よりも大きい。
「撤退します、ゲートへ急いで!」
重力の不安定さに転びそうになりながら、皆はタツカラへ通じるゲートへ走る。
震動と
隊員の一人が左肩に破片を受けて、切り裂かれた傷が血を噴く。
治療よりも退避を優先し、仲間の肩を借りた彼と相棒が、最初にゲートへ入った。
次がセイジと、やはり彼の肩に掴まるミサキである。
未練がましく空を眺めるヒナモリへ、ゲートの前で振り向いた彼が怒鳴った。
「気になるのは分かるけど、アンタも逃げろ。死にたいのか!」
「あれを!」
ヒナモリが指したのは、北西、二条城のあるゾーンの中央方向だ。
銀河を濃縮したような魔光の大渦が、方陣の中から出現するところだった。
「呼んだんだわ……根源を呼び寄せたんです!」
渦は極ゆっくりと下へ移動しており、街に降り立てば一区画ほどのサイズであろう。
意外に小さいと感じるものの、直視を
渦の下降に合わせて、方陣も下方向へコピーを生み、多層の陣形が出来つつあった。
「陣の進行は、普通の転移と似てる。街も飛ばされるぞ」
「ここから転移するにしても、現実世界なら問題は無い。追跡しましょう」
「ああ」
ヒナモリはすっかりセイジを同志扱いしており、この後も付き合うものと考えている。
興奮を隠し切れない彼女とは対象的に、面倒な仕事を引き受けたもんだと彼は苦笑いを浮かべた。
「タツカラへ帰るぞ、ミサキ」
「風呂に……入らせて……」
二人が転移すると、ヒナモリも街に一瞥をくれてからゲートに進む。
結果として、最大目標を捉えることに成功し、作戦の第一段階は終了したのだった。
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