19. 窮地

 円山公園は、壁のすぐ近くにあった。蚊を引き連れているので止まる訳にもいかず、スピードに乗ったまま、車は砂利敷きの公園内へ進入する。

 ミサキは花の名所だと言ったが、遊歩道は葉の無い木が寒々しく脇を固めるだけだ。


 彼女がライトスタンドを外に向けて、力を送り込むと、枯れ木がスポットで照らされていく。

 最早、墓地と呼ぶのが相応しい様相で、木の根元に転がる白骨にはちょうど良い。

黒い枯れた枝の次に目に入ったのは、風化した衣類と、山と積まれた人骨だった。


「これ全部……!」

「敵対的なんてもんじゃねえぞ」


 明らかな虐殺の痕跡にヒナモリも絶句し、ようやく口をいた言葉は、自省の弁だった。


「私の考えが甘かった。故郷もかつてはそうだったと、教えられたはずだったのに」


 転移で繋がった世界は、全て似た気候風土を持ち、知性を持った人間が国を作っている。例外である“森の星”も、食料となる果実や獣には事欠かないと聞く。

 保存食や水も持たずに単身で転移したのは、すぐに帰投する予定だったからだ。

 しかし、隊を分けて突入したのは、正しい判断であったのだろうか。


 転移現象に苦しむ世界を救う、そう決意して別世界へ飛んだヒナモリは、いつしかどこも同じ苦悩を抱える被害者だと考えていた。

 転移という災厄に見舞われた世界は、彼女が知る以外にも存在し、その対応策は様々である。

 理性を以って対策を練るタツカラのような国もあれば、ここのように滅して封印しようとする世界もあった。

 氷などと大層な二つ名を貰いながら、世界の善意に甘えていたことには、歯噛みするしかない。


「こりゃ、話を聞いてもらえるとは思えないわね。どうするの、副隊長さん?」

「即時帰還がセオリーでしょう……」

「ビビり過ぎだな。時間は有るんだ、もうちょっと探索しようぜ」


 死の公園を抜けた後、崩れ落ちた瓦礫が道を塞いでいるのを迂回して、車は研究施設らしき建物が並ぶ一画に出る。

 崩れていたのは鳥居、その奥に見えた廃墟が平安神宮だとミサキが告げた。


「ヘイアンジングウ?」

「宗教施設よ。神社や寺は、徹底して破壊されている気がするわ。やっぱり、ゲート級の遺物だったんじゃなくて?」

「転移エネルギーが多い建造物を、念入りに潰したってことか。この世界の人間は、転移に関わる全てを憎んでるのかもな」


 だがそうなると、ゾーン内に有益な物が存在する可能性は更に低くなる。

 どうせなら一暴れしてから帰るかと、セイジは探索以外の手を求めた。


「避雷針を集めたら、転移を引き起こせた。自力でも出来るってことだよな?」

「第三特殊ゾーンのことなら、あれは群発性だったからです」

「さっき、ここも電位が不安定だって言ってたじゃないか」

「それは……そうですね。多少は引き寄せ易いかもしれません」


 転移ゲートより、避雷針の方が入手は容易だ。丸っきり非現実的な案でもないだろう。

 とは言え、彼の意図が読めないヒナモリは、いぶかしく聞き返した。


「誘発性転移で帰ろうとでも? 自分たちは恐らく弾かれますよ」

「身を以って実験したよ。狙いは俺たちじゃない。壁際に避雷針を集めて、あの鬱陶しい障壁を転移させるんだ」


 壁を潰すためだけに転移を利用すると言うのは、ヒナモリには出て来ない発想だった。それ以前に、余計な転移を起こす必要性を感じない。

 話に意識を取られ、車のスピードが落ちたことをミサキが咎める。臭いのと羽音で、彼女もうんざりした表情が張り付いたままだ。


「地味に探索を続けるよりは、壁の破壊の方が狂血らしいわね。どうするの?」

「ちょっと賛同しかねます。ただ、このゾーンに在る避雷針は確かめておいてもいい」

「オーケー。じゃあ、二条城へ向かって」


 セイジが左手を挙げて、了解の意を伝える。

 喋り込むとタイヤの動きが悪くなるものの、彼の運転は快調と言って良い。

 ここまでミサキの手を借りずに独りで操縦をこなしたことを、彼女は軽く賞賛した。


「上手いものね。発動に慣れてきた?」

「この車は、運転が楽なんだ。何が原因かは分からんけど」


 タイヤには回転の構造式が組み込まれている。これを運転席から発動するには、シャーシを通して力を届けなければならず、その間接的な過程が一番難しい。

 今運転しているセダンでは、タイヤまでスムーズに彼の力が及び、まるで吸い込まれるようだ。補助付きの遺物とも言える仕様は、黒熊の運転よりも楽だった。


 西に曲がった車は、蚊を引き連れて鴨川を渡り、ゾーンの中心を目指す。

 正確な位置は分からないものの、避雷針に近付くことは間違いない。途中で南進を挟み、無人の街路を疾走したセダンは、さして時間も掛からず城へ到着した。


 蚊は相変わらずトランクの死骸に御執心で、都合の悪いことに、後方上空には追加のトンボまで寄って来ている。

 セイジは速度を緩めずに、開かれた城門の内側へ車を突っ込ませた。


 二条城は野球場がいくつも並べられる広い史跡で、数多い城の施設が敷地内に建つ。

 入った二の丸にも御殿や書院があったはずだが、そのどれもが在りし日の姿を失い、焼け落ちた残骸を晒していた。

 黒焦げの廃墟で避雷針を探すのは至難の業かもしれない、女性二人がそんな懸念を抱いた瞬間、車は後輪をぶん回して百八十度ターンする。


「きゃっ! なに!?」

だ!」


 蚊とトンボに次ぐ三種類目の“転移喰い”たちが、獲物の気配に鎌首を上げた。多脚の虫が数匹ずつ集まり、焼け城のあちこちに気味の悪い塊を作る。

 人の何倍もの大きさのムカデが、縄張りに入って来たセイジたちに向かって動き出した。


「このゾーンは化け物屋敷かよっ!」

「セイジ、前は蚊が!」


 構うものかと、彼は限界まで加速する。車のフロントグラスに衝突した蚊が、次々と錐揉みして撥ね飛んでいった。

 ガツンと一際大きな衝撃が、シートを揺らす。蚊を狙って低空飛行していたトンボが、足場にしたつもりなのか、車のルーフに勢い良く着地した。

 フロントグラスと屋根の境にしがみついた脚先は、ガラスを突き破って車内へ飛び出す。


「虫野郎がっ、落ちろ!」


 城門を抜け、通りに出た瞬間に急停止のブレーキ音が、甲高く闇を切り裂いた。反動で振り落とされたトンボは、バランスを失って、前方の路面を滑って行く。

 まだ車体が止まり切らない内に、セイジは有りったけの力をタイヤに送った。

 遺物でなけれは有り得ない無茶な制動に振り回され、ミサキは思い切りシートへ押し付けられる。


「ぐっ!」

「くたばれえっ!」


 離陸の間に合わなかったトンボを、セダンのタイヤが容赦無く踏み潰した。

 木材の弾けるような音が車の下から聞こえ、刹那の導雷が車内を駆ける。


っ!」

「ま、まだ! 追ってきます」


 鍛え方が違うのだろう、ヒナモリは足を踏ん張って体勢を維持し、後方への警戒を切らしていなかった。

 エネルギーに満ちた餌を逃すまいと、ムカデは城門の外に出て車を追う。

 バックミラーを一瞥したセイジが、猛スピードで迫る虫を忌ま忌ましげに評した。


「あれはタツカラにもいるが、サイズがおかしい」

「小さいのなら、マーブリントにもいます。薬の材料です」

「行きたくないわ、あなたの国」


 ミサキのそしりを聞き流しながら、ヒナモリがポーチから取り出した魔石を握る。

 後席の窓を開けた彼女は、赤々と発光を始めた石をムカデに向かって投げ転がした。

 一拍置き、虫が石の上を通り過ぎようかという時、ムカデの身体が爆裂する。飛散した体液に誘発されて、やはり青い放電が生まれ、道を照らした。

 物問いたげなミサキへ、ヒナモリが先に解説する。


「爆発の魔石です。威力はご覧の通り」

「へえー……」

「まだ持ってるだろ。もう一発食らわせてやれ」


 彼に言われるまでもなく、二発目の魔石は即座に追っ手へ向けて投げられた。二度の爆裂で虫退治を終え、車は北へひた走る。

 ムカデの巣で避雷針を入手するのは難しく、本当に壁を壊す気なら自力で作り出すしかない。

 北上は取り敢えずといったところで、彼らは車中、形代を変化させる方法についてヒナモリから講義を受けた。


 莫大なエネルギーを含む形代、この力を抜き出して、別の対象に与える。与える先は、何だっていい。ここでポイントとなるのは、やはり速度だった。

 高速で力を加えた形代は破壊され、逆に力を急減させた場合は避雷針に反転するらしい。

 起動者が数人掛かりで行えば、自力製造も可能だろう。危険すぎて、試す人間はいなかったらしいが。


 ゾーン北限の壁が、道の先に迫ってくる。

 街の南側に比べて、北西の荒れ方が酷いのは、夜の弱い月明かりでも充分に見て取れた。

 小さな住居も火を掛けられ、崩れた壁が道に横倒しになっている。

 細い棒状の残骸が大量に散らばり、針を撒いたようだ。家に突き刺さるものも見受けられ、矢襲を浴びたと想像された。

 壁を窺いながら走り、適当なところで進路変更して転移ゲートへ戻ろう――そう次の行動を考えるセイジの前に、雷が落ちた。


「導雷か!?」


 落雷地点を避けて、車が蛇行する。

 稲妻は小さいものの、自動車の周辺に連続して発生したため、いくらか車内にも放電が走った。


「コートの襟を立てろ! 転移クラスの雷だ」

「違うわ、攻撃されてる!」


 ボンネットに当たった鈍い金属音が、雷の発生元だった。車を標的にして、を撃ってきている敵がいる。


「雷矢、壁の上からです!」

「なんだありゃ……」


 パラパラと射られた矢は、本番への前哨に過ぎない。距離と移動方向を見定めた敵は、車の進路を潰すように雷の矢を斉射した。

 壁上に視線を上げたセイジは、瀑布の如く光線を描く大量の矢を見て、急いで脇道を探す。

 路地に入るのはギリギリ間に合い、直撃だけは何とか躱した。

 蚊の羽音も掻き消す雷撃の爆裂が、ビリビリとウインドウを震わせる。


「問答無用かよっ」

「北は危険です、戻りましょう!」


 ゾーンは監視され、“災厄”は封じられる。

 呪われた街を浄化しようと、この世界の住人が壁の上に結集していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る