18. 夜間ドライブ

 窓を囲むように壁を作れば、次はヒナモリの魔銃の出番だ。

 セイジが窓の開け閉め、彼女が攻撃という役割分担は、先程と同じ。ミサキはバリケードの裏で待機して、成り行きを窺った。


 開いた窓から銃先を出し、ヒナモリは上空を旋回するトンボに目を向ける。魔石を齧り食った最も近くを飛ぶ一匹、これがターゲットである。

 魔銃が弾を撃ち出し、ヒナモリが身を引くと同時に、窓は再び閉められた。

 上へ跳ね上がった赤い軌跡は、高速で飛ぶトンボに追いすがる。


「どんだけ速いんだ、あの虫は!」

「弾速の方が上回ってます!」


 彼女の言う通り弾はトンボとの距離を詰め、赤糸で縫うべくその身体へ飛びついた。狙いは脆いと思われる羽根だ。

 虫の胴体を軸にして縛るように弾がクルクルと輪を描き、二度、三度と薄羽根を貫く。


 このまま倒せるかと思われたトンボは、空中で急停止した。

 目標を追い越した弾が、ホバリングするトンボにUターンする。顔の前に戻って来た魔銃の弾を、有ろう事か、巨大な顎が迎え入れた。


 頭を直撃したと勘違いした者はいない。トンボは、転移エネルギーを纏う魔弾を喰ったのだ。

 ヒナモリは、次弾を装填して追撃を準備する。

 窓枠に手を掛けたセイジは、窓を閉めたまま腰のハーケンを引き抜いた。


「来るぞ!」


 彼らの居場所を弾の残り香・・・で見極め、虫は迷い無く急降下する。

 頭部をぶち当てられたガラス窓が、空気を震わせた。


 亀裂が入った窓へ、トンボの体当たりが繰り返される。厚い二重ガラスが粉々に砕けたのは、五度目の攻撃を受けた時だった。

 バリケードの裏へ回り、銃を構えていたヒナモリが、窓際に立ったままのセイジへ叫ぶ。


「迎撃します、貴方も後ろへ!」


 ――いいや、こいつは所詮、虫だ。


 さんに足を掛け、グロテスクな顔を前に突き出そうが、セイジに噛み付けるほど中には入れない。窓枠に羽根が引っ掛かるからだ。

 ガチガチと顎を鳴らして威嚇するトンボ、その大きな複眼の間を狙い、彼は逆手に持ったハーケンを振りかぶる。ガツンと、金属同士がぶつかり合う衝撃が走る。

 刃先はいくらも刺さらないが、力は発動済み。硬い虫の殻を突き破って、ハーケンはトンボの頭に沈み込んでいった。


 ヒナモリの銃が魔銃なら、セイジのハーケンは魔刃、防げる物質などそうそうは無い。

 やがて顎の動きが弱り、停止したのを見計らって、彼は刃を抜く。


「他の虫が来る、撃ち落としてくれ!」


 セイジはトンボの羽根と脚を切り離し、頭の穴に再度ハーケンを刺した。両手でグリップを握り、一気に室内へ虫の胴体を引き摺り入れる。

 人を超えるサイズながら、一人で扱えるほどトンボの胴は軽かった。


 窓の隙間が空いたのを合図に魔弾が放たれ、集まり始めていた数匹の蚊を、赤糸が粉砕して屋内への侵入を阻む。

 死骸をバリケード裏まで運ぶと、彼は早速、腹をかっ捌いて内容物を調べた。


 虫を押さえるように頼まれたミサキは、足で胴を踏み付けていたが、あまり役には立っていない。

 それどころか、青緑の液体が床に溢れ出て悪臭が部屋に充満すると、踏むことすら諦めて逃げ出した。


「おい、虫は苦手だったっけ?」

「臭過ぎるのよっ!」


 近場の蚊を片付けたヒナモリも、外を警戒しつつ部屋替えを訴えた。


「またすぐ虫が集まってくるでしょうし、移動しましょう。それに、臭いが酷い」

「お前ら鼻栓でもしとけ。それより、固形物が無いんだ」


 指輪、宝石、或いは砕かれた遺物の欠片。そんな物を予想していたセイジは、腹から液体しか流れ出ないことに、少なからず落胆する。

 解体すると、センサーの反応は床中に広がった。ということは、この体液こそが転移エネルギーを含むのだろう。

 ゲート級だと言うのだから、形代も真っ青の正に化け物だ。


 さあ、隣の部屋へと、扉の前で待つ女性二人へ、セイジは嫌な笑みを向けた。


「これ、使おう」

「は? いえ、どういう意味でしょう」

「もっと欲しい。飛んでる奴を、全部落とそう」

「はあ!?」


 ヒナモリの横で鼻を摘んでいたミサキが、空いた右手でお手上げのポーズを取る。臭気に堪える苦行は、その後半時間以上続いたのだった。





 セイジが高濃度のエネルギー物を欲したのは、自分たちの身代わりになると考えたからだ。

 虫から逃げ、夜を徹していたのでは、帰還すら難しくなる。とすると、夜も探索を続けるべきで、虫への対策として使えそうなのが、トンボの死骸だった。

 セイジたちより遥かに高濃度のエネルギー源は、誘蛾灯、いや誘蚊剤の役割を果たしてくれる。


 倒した三匹のトンボの胴を、黄色と黒のトラロープで何重にも縛り、セイジ一人で玄関まで牽いて行く。

 署の一階には、ロープの他にも筆記用具やガムテープなども残されていた。警察なら銃や警棒もあるかと探したものの、武器になりそうな物は見当たらない。

 ほとんどの遺物が持ち去られている中、いくつかスタンドライトは手に入った。起動させれば、夜間照明に使えるだろう。


 物質を求めて家捜ししている間に、ミサキが机の引き出しの中をあらためて、見付けた書類に目を通す。

 転移前の記録ばかりで役に立たないかと思いきや、正面受け付けのカウンターの上に、殴り書かれたメモ用紙を発見した。


『北野、東寺、御所、炎上。避難は円山公園へ』


 猛烈な勢いで、彼女は受け付け周りをひっくり返し始める。

 未記入の書類の束、防犯啓発チラシ、マスコットの印刷されたクリアファイル。

 紙類は、比較的手付かずで放置されており、ミサキはそこに望みを懸けた。


「あった!」


 カウンターの内側、最下段に簡易な市内地図が積まれている。外国人観光客向けなのか、日本語表記の無い多国語版だが、それはこの際構わない。

 地図をロビーの床に広げて調べ出したところで、他の二人が様子を見に来た。


「それはこの街の地図ですか?」

「ペン、集めてたよね。貸して」


 ヒナモリからサインペンを借りたミサキは、地図に円を引く。意味は問わずもがな、セイジが街路の線から現在地点を推理した。


「タワーの近くにあったのが、この駅だな。そこから南下して、壁沿いに進んだ。蚊がいたのが、この川だ」

「そう、そこから北に向かって、今はここ。五条警察署ね」


 彼女の書いた壁はおおよそ直径四から五キロ程度で、中心は市街地の真ん中、妙な形のマークが在る。


「これは……城塞か?」

「正解、二条城よ」


 調べたかったのは、メモにあった地名だ。

 炎上地と思しき地名を丸で囲み、最後に円山公園を見つけて、そこへ向かう矢印を書き入れた。


「北西、中央、南が燃えていて、避難は東へ誘導されたみたい」

「うーん、これは西から進攻されたってことかな」

「“炎上”、“避難”と書いてあるなら、あまり良い兆候ではないですね。敵対的なら、大部隊を投入しての突破も考慮しないと」


 そういやヒナモリも決して穏健派ではなかったと、セイジは思い出す。

 丁寧な口調に騙されそうになるが、この副隊長はストーンヘンジの発動時、危険になった二人を顧みなかった。セイジたちを案じるより、替えの隊員を投入しようとした根っからの軍人だ。

 それを批難するつもりは無く、ミサキも涼しい顔で言葉を続ける。


「円山公園に住民が集まったのなら、一応見ておきたい」

「まあ、問題は無いな。ここから壁まで東に進んで、北に向かえば自然と公園に出るはずだ」

「ざっと壁を見たら帰りま――」


 口も動きも止めて固まる彼女を、セイジが肘で小突いた。


「おい、寝るな」

「寝てない。日付がおかしいのよっ」


 観光地図の年号は、二一二七年と表記されている。ミサキが日本で暮らした時代から、これでは百年近くも経った未来だ。

 説明を求める彼女へ、彼は宥めるしか出来ず、ヒナモリの催促でようやく二人は腰を上げる。


 謎だらけで、頭を悩ますのは後回しにするしかない。皆は車へ乗り込むために、玄関ドアの前に並び立った。

 軍人らしいヒナモリの短いゴーサインと共に、扉が押し開かれた。

 ミサキはライトを始めとする物質を持って先に助手席へ向かい、セイジはトンボを運ぶ役、ヒナモリがドアの開閉と護衛に就く。


 フロントドアに向かうミサキを横目で見つつ、セイジは車の後に死骸を運び、ハーケンをトランクカバーに突き刺す。

 強引にトランクのロックを断ち切ると、彼はトンボを中に投げ入れた。


「急いで! 凄い効果よ」


 ヒナモリの魔弾が、トランクルームに寄り来る蚊の大群を射抜いて舞う。

 トンボの体液に続き、頭から蚊の破片を被ったセイジは、髪の毛の粉を払いながら運転席へ潜り込んだ。


「クサイッ!」

「言うな! 俺だって臭い」


 車を急発進させ、署の前を左折。通りを東に行くと、五条大橋を渡ることになる。

 まだ川跡でフラフラしていた蚊は、一斉にトランクに積んだ極上の餌に群がった。


「げえっ、トラウマになりそう……」

「やっぱり虫は苦手なんじゃないのか? 意外だな」

「数が問題なのよ、数が」


 彗星の如く蚊で出来た尾を伸ばし、橋を越えた車は北へ針路を取る。

 トンボの誘蚊力は絶大で、リアウインドウこそ蚊で埋められたが、前に座る不味い餌へ飛んで来る虫はいない。

 但し、彼らが予想していなかった問題も生じていた。


 導雷としか思えない青い稲光が、車の後ろでバチバチと雄叫びを上げ始める。

 蚊が視界を遮っていなければ、自動車の走行跡に光る電撃が、車内からも見えたであろう。

 後方を警戒しつつも放電に気付いたヒナモリは、計測器でエネルギーの変動を調べ、さらに新しく別のメーターを取り出す。


「そいつは?」

「小型電位計です。転移兆候なら発動までの時間が予測できますが……」

「転移が起きそうなのか?」

「いいえ。ただ、自動車の周りの電圧が、めちゃくちゃに波打ってます」


 兆候でなくても、転移に関係が無いわけでもない。電位の乱れは、“転移層”の乱れだと彼女は説明した。


「専門用語はいい。要はどういうことだ?」

「外部から、ここのエネルギーに干渉する力があるんでしょう。ちょうど大量のエネルギーに触れた避雷針が、こんな数値になります」


 やっぱり転移が起きるんじゃないのか、そんな予感を拭えぬまま、セイジは北の公園に向けて車を走らせた。

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