17. 転移喰い

 最初は、カラスや雁が連れ立って飛んでいるかに見えた。ちょうど京都駅から南下して、巨大な壁が近くに迫っていたタイミングだ。

 稲妻の走る灰壁に注意を奪われ、東から来る黒影に気付いた時にはかなりの接近を許してしまう。


 小さな黒い粒は、次第に大きくなり、いくつかが自分たちの乗る車へ一直線に向かっていた。

 ヒナモリが窓を開けたことで、接近者が立てる音がよく聞こえる。

 モーターが回るような空気の震動――意外に大きなハム音は、やがて不愉快な音量にまで跳ね上がった。


「鳥じゃない。ミサキ、手伝ってくれ、スピードを上げる!」

「了解っ」


 一度西に折れた車は、巨大な壁から一定距離を保つように、細かく左折と右折を繰り返した。クランクを描きつつ、円周に沿ってひた走る。

 飛行している者には、そんな面倒なコース取りは必要無い。速度アップの努力も虚しく、何匹かが車へ追いつき、その姿形をあらわにした。


「虫……蚊だ」

「鷲より大きいじゃない!」


 窓から銃先だけを出し、ヒナモリがの位置を目で追う。

 目まぐるしく変わる車体の向きも意に介さず、飛来する敵を捉えた彼女は、しばらく直進するように彼へ指示した。


「全部で七匹、急に曲がらないでくださいね」

「そりゃいいけど、どこを狙ってんだ?」


 身を外へ乗り出すことなく、銃口を明後日の方向に構える姿勢に、セイジは疑問しか湧かない。

 右足をシートに上げて車体側面で踏ん張りを、左足は曲げてその膝に銃筒を置く。

 顔はリアウインドウに向けて、後方約二十メートルまで間を詰めて来た全ての蚊を視界に収めた。


 引き金が絞られた瞬間、銃身が赤く光る。

 遺物のライフルを改造した魔銃は、転移エネルギーを推進力に変えて弾を送り出した。

 弾は発動させた人間が規定した軌道を飛び、獲物を追い掛けて襲う。


 一匹目の蚊の胴体を貫いた弾は、そのまま二匹目へと速度を緩めずに飛び続けた。

 エネルギーが弾の軌跡に細く残り、赤糸の如く空間を縦横に縫う。

 二匹目の羽根を砕き、三匹目の頭を弾き飛ばして、急旋回した弾が、残る四匹も血祭りに上げた。

 後ろを見守っていたミサキが、華麗な戦果に感心した声を上げる。


「やるわねえ、副隊長さん」

「危ないから、一応、顔は出さないで」

「え?」


 七匹を落とした赤い糸は、最後に大きく弧を描いて、彼らのセダンへと針路を定めた。

 猛スピードで車に追いついた弾が、リアウインドウに丸穴を空けて、ヒナモリの隣に突き刺さる。

 半ばまでシートに埋まった弾を摘み上げ、彼女は言い訳するようにミサキへ説明した。


「回収できるなら、した方がいいですから」

「……そうね。狙いは外さない?」

「百発撃って、着弾がズレるのは三発くらいかと」


 それは腕が良いのか悪いのかも分からず、前列の二人は曖昧に唸る。

 他に追ってくる蚊はいないため、またジグザグに道を選び、少し進んだところで車は速度を落とした。


「川だ。橋を探さないと渡れないけど……」

「鴨川ね。南北に流れていて、橋も多いはず」

「それはいいが、よく見てみろよ」


 陽がかげったせいで水面が暗く、街に凹んだ黒い筋が引かれたようだ。

 消えそうな夕日を反射するでもなく、暗色のもやがゆらゆらと漂い、川の流れる方向も分かりづらい。

 川沿いを北上して橋を探そう、そう考えて直前で左折したセイジは、靄が吹き出すように膨れたのを見て車を急加速させた。


「転移地に川が残るはずがないんだ!」

「蚊の次は黒い霧!?」

「……あれも蚊ですよ」


 正に無数の、かつて川だった窪地を埋め尽くす異形の虫が、久方の活きの良い獲物に反応する。

 沸き立った蚊の群れが辛うじて残っていた陽の光を遮り、闇が街に広がった。


「数が多過ぎます。退避できる場所を探してください!」

「退避って、どこにだよ!」


 タワービルのように玄関が破壊されていると、蚊の侵入を阻めないだろう。虫の生態は想像もつかないが、戸も窓も締め切ってやり過ごせる建物がいい。

 川の跡地は蚊の棲み処と化しており、北上を続けても意味が無い。より広範囲の虫を刺激するだけだ。

 直交する大通りに出たところでハンドルを切り、川跡から離れる方向へ曲がる。直ぐにミサキが右折するように叫んだ。


「あの建物の前に付けて!」

「おうっ」


 右手に在ったのは警察署、扉は開放されているものの、破壊は免れている。ドアの真ん前にセダンを滑り込ませたセイジは、急停止と同時に車外へ飛び出た。


「急げ! すぐそこまで来てる」


 ミサキとヒナモリも建物内へ駆け込み、三人で正面ドアの開放ロックを外して、観音開きの扉を閉める。

 扉の次は窓、彼らは手分けして、開放された場所がないか一階を見て回った。


 各部屋からトイレまで、隙間の空いていた窓を全て閉め、念のため鍵も掛ける。

 上階を調べるのは面倒なので、その後、正面ロビー奥の事務室を篭城場所に選んだ。正面側の壁に大きめの窓が並んでおり、外を観察するのにも都合が良い。


 屋内に入ってしまえば、蚊は退散するだろうという期待は、安易な考えに過ぎた。

 闇が濃くなるにつれて、空中を切り裂く放電はより激しく、それを意に介さない蚊の数はどんどんと増えていく。

 ブザーに似た羽ばたきの音は部屋の中にも響き、不愉快極まりない。

 窓の外を窺っていたミサキの前に一匹がへばり付き、彼女は慌てて後退った。


「なによ、餌を探してるの?」

「いや、こいつら……」


 壁や地面に留まった蚊は、暫く静止しては、また次の場所へと飛んで行く。暗くて遠くまで見通せないが、止まる度にストロー状の口を当てているようだ。

 大きさを度外視すれば、蚊の動きそのままに近い。口の先が求めるのは血ではなく――。


「転移エネルギー。この蚊の餌は、街に充満する転移の力ですね」

「そんな生き物がいるのか……」

「元からいた訳ではないでしょう。ゾーンに適応した、変異体だと思われます」


 ちょっと試してみましょうか、そう言ってヒナモリは小さな石コロを上着のポケットから取り出す。

 彼女が魔石と呼ぶその石にも、幾許いくばくかの転移エネルギーが込められている。ちなみに、これは“着火の魔石”、発動すると火を起こせる物で、効果によって何種類も存在するらしい。


 セイジが窓を担当し、僅かに開けたのに合わせて、彼女は魔石を前庭に放り投げた。

 三人が石の行方を見つめる中、蚊は予想に違わずワラワラと舞い降りてくる。虫の群れに囲まれ、石は瞬く間に見えなくなった。

 ミサキは露骨に顔をしかめるものの、蚊がエネルギーに引き寄せられるのは証明された。

 計測器を取り出したヒナモリが、魔石の力が消えていくのを報告する。


「ちょっと対象が小さ過ぎて見にくいですが、蚊が吸収して力が分散してますね」

「小さいと感知できないのか?」

「そうです。エネルギー量が大きければ、国の端からでも反応が――」


 計器の側面に付いたツマミを、彼女は忙しく回し始める。

 肩越しに覗いたミサキは、針がブルブルと震える様子に、首を傾げた。


「故障?」

「違います……移動してるんです。反応が高速接近してきます、それも複数」

「遺物に羽根でも生えて、飛んで来たのか?」


 セイジの軽口も、今回ばかりは核心を突いていたと、数秒ほどで判明する。

 一所ひとところに集まっていた蚊の山が、突風で吹き飛ぶように弾け散った。


「なんだっ、爆発した!?」

「鳥です、巨大な鳥があそこに!」


 ヒナモリの指す夜空高くには、確かに黒い影が羽根を伸ばして舞っている。

 鳥にしては、羽根を透かして月が見えるのはおかしい。三つの満ちた月と、稲妻の瞬光が輪郭を浮き出させてくれたことで、ミサキはその正体を看破できた。


「トンボよ。集まった蚊を食べに来たんだわ」

「ニホンにもいるんだな。追い払い方は?」

「あんな化け物級はいないわよっ」


 鳥どころか、小型飛行機クラスの肉食昆虫のあしらい方など、彼女にも答えられるはずはない。

 警察署前にいた蚊の大群は、次から次へと巨大トンボの餌食となり数を減らす。


 それでも雲霞うんかのように飛び交っていた蚊が、そう簡単に消え失せることはなかった。

 飛来したトンボは三匹、内一匹が、蚊の溜まっていた場所に降り立つ。

 頭を地面に擦りつけ、ガリガリと大きな咀嚼音を響かせ、舗装を噛み砕いた。


「魔石を食ってるのか……」

「トンボが反応源です。体内に転移エネルギーを溜め込んでいます」


 虫たちの饗宴を目の当たりにし、ゾーンのエネルギー反応の薄さの理由が、三人にも推察できた。

 蚊が吸い取り、トンボがその蚊を食う。下手をしたら、住民も虫の犠牲になった可能性が有る。高エネルギーを虫が狩り尽くしたとすれば――。


「あのトンボ、反応はデカいんだな?」

「濃縮されてるんでしょう、かなりの……いや、一匹はゲートに匹敵するほどです」


 ――転移遺物を食い荒らす虫、“転移喰い”か。試す値打ちはあるな。


 一番大きな反応があると言う一匹を撃ち落とそう、そのセイジの提案には、ヒナモリも二の足を踏んだ。

 弾が有効か分からない上に、怒らせるとこちらを狙うかもしれないと問題点を挙げていく。

 彼女の反論を聞いても、彼の方針は覆らず、ミサキはさっさと部屋内にバリケードを築き始めた。トンボに反撃された際の、防御陣地のつもりだ。


「あいつら、遺物を食ってるかもしれない。夜行性だと、今が倒すチャンスだ。昼間は壁の外だったんだろ?」

「しかし、何も遺物のためにそこまでしなくても……」

「他にも使いみちは有るさ。期待してるからな、その魔銃」


 屋内に立て篭もるのは、消極的に過ぎてヒナモリの好みでもない。

 最終的に彼女も案を飲み、部屋の机や椅子を積み上げ、万一の室内戦への備えを手伝った。

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