16. 未知の世界

 帰還に失敗した悔しさよりも、改めて突き付けられた目標が心を満たす。

 自分でも苦笑いしそうになるが、タツカラで過ごした生活こそが、今のミサキの人格を形作っていた。


「あっさり帰れたら、その方がおかしいのよ。一体、転移先の世界はいくつあるの?」

「私が知る限りでは、四つが確認されています」


 日本が在る地球、これがミサキがいた世界で、ストーンヘンジの来歴も同じだ。道路標識にあったソールズベリーの英字表記も、彼女には読み取れており、あの巨石群がイギリスから来た物だと知り得た。

 ヒナモリが元居た場所も、“地球”と呼ばれているのがややこしい。便宜上、出発地であるマーブリントと呼ぶことにして、これが二つ目。

 今のところ知的な生き物が確認されていない“森の星”、これが三つ目で、最後がタツカラの存在する世界であった。


「ここはニホンでも、マーブリントでもないでしょう。遠くに見える植生が違いすぎる」

「じゃあ、森の星?」

「森の星にこんな壁を作れる文明があるとは、とても思えないですね。全くの未開地ですから」


 もちろんタツカラに戻って来たとも思えないため、ヒナモリは“知られざる別世界”だと結論づける。

 知的生命体がいない森の星と似ていても、ここが違うと判断する理由は、壁の存在だけではない。


「この街が転移地なら、物資がのこされていないのは不自然です。誰かが綺麗に持ち去った、そう考えるべきでしょう」

「物資も、人間も、だな。よくもまあ、これだけスッカラカンに出来たもんだ」


 持ち去った遺物は、どこから外へ運び出されたのか。壁には進入口があって然るべきだが、展望室から眺めた限りでは、それらしき場所は見当たらなかった。

 のっぺりとした土壁は、街のビルと肩を並べる高さで内と外とを隔てている。


 壁の外は、濁りくすんだ灰色といった色の森林と、黒い砂地らしき土地がまだら模様を描く。

 植生はともかく、人が呼吸できる大気組成ではある。これはどの世界も同じで、どこへ飛ばされても人間は生きていける環境だと思われた。


 地球・・型の星が、こういくつも存在する不思議はさて置き、ここの住人を見つけなければ話が始まらない。

 帰還刻限までまだ時間は有るので、壁に沿って街を一周し、出入り口を探すことに決まる。

 移動手段の調達は任せろと、セイジが軽く請け負った。


「車は何とかなるけど……こういう別世界というのは、時間の進み方も違うのか?」

「極端に違うという話は聞きませんね。大体、同じくらいかと」

「日本とタツカラは、誤差の範疇だったわ。時間がどうかした? ゲートが閉じるのは八時間後だっけ」


 ミサキに尋ねられて、彼は西の空を顎で指す。

 転移直後からやや高度を下げてきた太陽は、本当にタツカラ基準で判断していいなら、午後三時から四時といったところだろう。

 季節が同じかまでは分からないものの、あと数時間で陽が沈むのは間違いない。


「廃棄都市でも、夜間の探索は控え目にする。まして知らない土地では、用心した方がいいだろう。導雷も気になるしな」

「夜営する気にはなれませんね。この世界の人間に会えればいいですが、いなければ一旦、帰りましょう」


 膝が笑いそうだとこぼすミサキを適当に励ましつつ、下り階段はセイジを先頭にして戻る。

 地上に戻るまでの十数分の間に、彼はヒナモリが持ち込んだ装備品について尋ねた。大きな荷物は銃くらいしか見当たらず、他に何か有用な物を携えて来たのか疑問に思っていたのだ。


「エネルギーセンサーと形代、後は細々とした遺物が大量に」

「その銃の弾数は?」

「十八発」


 それでは少ないのではないかと、セイジは訝しく振り返った。

 腰の横に付けた弾薬ポーチを軽く叩き、彼女は心配無いと軽く笑う。


「火薬弾じゃありませんから、現地品で補充できます。基本は回収ですし」

「弾を拾って再利用するのか。国防軍のライフルとは、全く別物なんだな」


 特務部隊専用の銃も気になるが、彼女の返答にはいくつか気になる点があった。

 まず“エネルギー”センサー、これは転移直後の観測で使っていたエネルギーを感知する計測器だと教えられる。

 方位磁針のようなアナログ計が三つ連なった形をしており、エネルギーの存在方向、強さ、推定距離が分かると言う。

 部隊がストーンヘンジを即座に見つけたのも、大型艇に搭載された高精度センサーのおかげだった。


「便利な物があるんだな。そいつに反応は無いのか?」

「近場に大きな遺物は無いですね。遠距離、壁の外なら反応はいくつも有ります」

「それは、おかしい、わ!」


 話を聞いていたミサキが、後ろで声を張り上げる。


「遺物って、曰く、ありげな、物ばかり……じゃない? 京都なんて、史跡とか、宝珠とか……」

「息も切れ切れじゃねえか。ちょっと止まろう」


 古い都であった京都には、何百年も経過する建造物に事欠かず、寺社仏閣も数え切れないくらい建つ。元から呪物と呼ばれるような品もゴロゴロ在り、強力な遺物だらけのはずだと、彼女は主張した。

 そうでなくとも、街を丸ごと含むゾーンである。新たなゲートも存在するのではと、セイジも考えていた。

 ゲートが有るなら、ヒナモリと別れて、二人は別世界へ飛ぶのも悪くない。


「古都だから遺物が多いとは限りませんが、巨大ゾーン内で無反応なのは、私も奇妙に思います」

「ゾーンなんて、転移エネルギーの塊だからな。ただ、確かに街から感じる力は弱い」

「私も、最初ここが転移地か、判断に苦しみましたからね」


 車や街路樹に触れたヒナモリは、二人よりも早く、街全体に力が篭っていると気付く。

 しかし、エネルギーの微弱さからゾーンであると確信が持てなかったため、目視での観察を求めたのだった。


「アンタは色々と知ってるみたいだ。少し転移について説明してくれないか?」

「……いいでしょう。ちょっと長くなるので、車の中で」


 三人は既にタワー部分を過ぎ、ショッピングフロアの階段にまで降りてきていた。

 お喋りはこれくらいにして、ヒナモリは先に自動車を入手しようと提案する。


 一階で外に出た彼らは、通りの向かいに停まる無難な4ドアのセダンへ歩いていった。安定性が高く、乗降が楽という理由だ。

 車の屋根に触れたセイジは、そのままドアレバーまで手を下ろし、しばらく動かずに意識を集中させる。

 なるほど、ゾーン産の車なのだから遺物として起動するのかと、ヒナモリが見守っていると、車体の前方に電撃が走った。

 道路をバチバチと跳ね進む小さな雷を見て、彼女は数歩後退する。


「何をしてるんです!」


 雷は数秒続き、アスファルトには焦げ跡が残った。音も光も出なくなったのを確かめて、彼は満足げに手を離す。


「放電と、回路の破壊だよ。黒熊を作る時に、ゾーン車の扱いは覚えた」

「……呆れた、第一特殊ゾーンで暴れたのは貴方ね?」

「無傷の車は、特殊ゾーンにしか無いからな」


 一年ほど前、特殊ゾーンを囲う壁を登って中に侵入し、遺物である車を破壊して回った挙げ句に、一台を奪って逃走した賊がいた。

 対策部隊兵を上回る遺物の扱いで、追っ手を翻弄したのも、天性の起動者である彼なら納得できる。


「電気系統を破壊しておかないと、何かと危険なんだ。誘爆したりな」

「燃料があるから、ですか。確か……」

「ガソリンよ」


 ミサキが名称を思い出させてやる。

 車のバッテリーはもう完全に干上がった状態だが、遺物としての能力は保っていた。転移エネルギーを自動車から抜いてしまうことで、却って扱いは容易くなる。


 ヒナモリが銃床でサイドウインドウを叩き割り、ロックを解除すると、運転席にはセイジが潜り込んだ。

 助手席にはミサキが、後部席にはヒナモリが乗る。


 発動を狙うのはタイヤ、それ以外には極力触れないようにしないと、良くて異常な加速、最悪なら爆発を招くだろう。

 ハンドルに手を置いたセイジが、見えない第三の触手を車体の下に這わせ、タイヤに力を送り込む。

 セダンは静かに、前へ進み出した。


 親やミサキから聞いた話、そして遺物を扱って来た経験から、彼は何となく転移現象がもたらすものを把握し、世界間の繋がりにも推測を立てている。

 四つ、いやここを加えて五つの地球・・は相互に影響を与えて発展してきたのではないか。

 おそらくミサキのいた地球が最も文明の発展した世界で、自動車に始まる科学技術は、転移によってタツカラへ伝わった。


 クラネガワの会社が政府と密接な関係にあるのは周知のことで、自動車の原形は異世界の遺物だ。

 ガソリンが無いタツカラでは、車は全て電気で駆動するものの、構造はゾーン産に瓜二つである。

 大きく違うのは、この魔法としか思えない発動能力が、転移遺物にはあること。これは元のニホンでは無かった力だと、ミサキが証言した。

 つまり、遺物の力は転移を経て初めて備わる現象であり、それこそが主たる目的の気もする。


 目的――誰の?

 複雑な魔法陣の文様は、決して自然現象なんかではない。転移は誰が、何のために引き起こしている?

 どれもヒナモリへ問い質したいところだが、如何いかんせん、車の操縦で話す余裕が無い。

 代わりにミサキが、彼の意を汲んだように、タワーでの会話を引き継いでくれた。


「遺物って結局、何なの?」

「転移の際に、構築式が組み込まれるのです。例えば形代は転移を弾く、正確には転移エネルギーを吸収すると言う能力ですね。膨大な力を、所持者に替わって引き受けるのです」

「構築式って、あの魔法陣みたいなやつ?」

「そうです」


 形代もゾーン産の自動車も、遺物として何も変わらない。違うのは、組み込まれた機能だけということだ。


「避雷針も遺物よね?」

「避雷針はちょっと作られ方が違います。限界まで力を蓄えた形代は、もうそれ以上、身代わりにはなれないのはご存じですね」

「これね」


 未だに首に掛けているヒビ入りのペンダントを、ミサキが引き上げてみせた。

 それはもう形代とは言えないらしい。あまりに急激な吸収のせいで、機能自体が破壊されてしまったのだ。

 転移エネルギーを濃縮した単なる物体、そうヒナモリは表現する。


「逆に、エネルギーを放出し切った形代もあります。転移を防ぐ能力は、その方が高いでしょう。ただ……」

からの形代に問題が?」

「稀に反転するんです」

「反転――ひっくり返るのね、効果が」

「自ら転移エネルギーを引き寄せようとする。つまりは“避雷針”ですね」


 転移現象を呼ぶ避雷針は、形代の変種、いや成れの果てと言うべき存在だった。

 形状は形代に類似し、エネルギー反応は無い、その避雷針の特徴がこれで説明できる。

 興味深い話ではあったが、セイジの関心はその先、もっと根源にあった。

 重いハンドルに難儀しつつ、何とか二人の会話へ口を挟む。


「その形代にしろ、他の遺物にしろ、人為的に能力を与えられたものだよな?」

「まあ、そうですね。精緻な構築式は、自然現象ではあり得ません」

「誰が造った仕組みだ? 何のために?」

「……はっきりとは誰も分からないことです。全てが推測の域を出ない」


 夕陽の緩い光が車に差し込み、ヒナモリの顔を赤く染めた。

 憂えとも、苛立ちとも取れる硬い眼差しが、バックミラー越しにセイジを見つめる。


「推測でいい。教えてくれ」

「真実を解明するすべは、ほぼ何も残っていないんです。八千万年前の話ですもの」

「なっ、八千万!?」


 全ての原因は、途方もなく遠い過去に。

 しかし、ここでヒナモリは話を中断して、後部席のウインドウを開ける。


 対処すべき黒い影が、東の夕空に群れを成していた。

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