第三章 棄てられた街
15. 棄てられた街
高校の夏休み、両親の旅行に付き合って神戸を散策していた時、転移に巻き込まれる。
セイジたちの住む国、タツカラ共和国では日本語に近似した言語が使われていた。
ミサキの名はタツカラ語でも一般的な響きであり、そのままでも違和感無く皆に受け入れられる。
文字は片仮名の亜種といった形をしており、こちらも短期間で労せず習得した。
漢字は存在せず、アルファベットに近い文字は、大陸系言語からの輸入文字として用いられる。
道路標識は漢字表記なため、彼女以外の二人には読めない。
ミサキの出身地を知ったヒナモリは、自身の推測が正しいか確認した。
「あなたはニホン人ですね。かつてはそれなりの人数がタツカラにもいました」
「そうよ。ヒナモリさんは違うの?」
「私は違う世界から来ました。マーブリント王国の出身です。ご存じないでしょう?」
そう言って、彼女はブロンドの髪を掻き上げる。隠れていた耳が現れると、何を見せたかったのかミサキたちは直ぐに理解した。
耳の上部が尖り、やや後ろへカーブしている。
「貴方たちとは、寿命も違います。これでも四十六歳なんですよ」
「ええっ!? 凄まじい若作りね」
「寿命は
巨大な大陸の東に位置する列島、その中央付近にある京都と呼ばれる街だとミサキが説明する。
この星はタツカラのある星とほぼ同じ大きさで、文明の発展はやや先を行く。海の占める比率が高く、国の分かれ方は遥かに細かい。
彼女の話に軽く頷き、ヒナモリは何やら手帳を取り出して中に目を走らせた。
「転移人の聞き取り調査で得た情報に、相違はありませんね。まずはエネルギーを計測しますので、少し待ってください」
「ええ……」
銃を包んでいた絶縁布を解き、ライフルは肩に掛け、分解されていたらしいもう一丁を組み立てる。
慣れた手付きで三つのパーツを合わせて出来たのは、銃ではなく散布センサーのキャスターだった。
三脚付きの打ち上げ花火といった大筒を地面に固定してヒナモリが離れると、時間差で弾が真上に発射される。
結構な高さまで打ち上がった弾は、それこそ花火のようにパアンと破裂した。大量の光る粉が、一帯に撒き散らされる。
彼女はメーターが並んだ携帯型の計測器を取り出し、その数値を読み取って、また手帳に書き込んでいく。
「電位も転移エネルギーもめちゃくちゃですね……」
「どういうこと?」
「根源ほど巨大な反応は有りません。ただ、そこそこの大きさなら、東西南北全ての方向に見られます」
「ゾーンだらけってことかしらね」
遺跡の近くにロープを張って固定していた車両は、想定外の多重転移陣のせいで、ここに持ってこれなかった。ゲートのサイズが小さ過ぎたのだ。
街を調べようとヒナモリは考え、道路に放置された自動車が動かせるかを確かめに行く。
頭がふらつくセイジは、無言で二人の様子を眺めていたが、ようやく普通に会話できるくらいには回復した。
淡々としたミサキの態度が、彼にはどうにも腑に落ちない。
「どうした。嬉しくないのか?」
「そんなことないわ。やっと帰れたんだもの……」
問い詰めるような彼の眼に、「だけど」、そう彼女は言葉を続けた。
「帰れたらどうするかなんて、何も考えてなかった。夢中で追ってただけなのよ、転移を」
「俺はいつだってそうだぜ。成功じゃないか、笑っとけよ」
「それが、街がこんな様子でしょ。これじゃタツカラと変わらないわ」
無数の人が闊歩する平和な街のはずだった。
日本へ転移できたのは僥倖だが、彼女が思い描いていた光景とは、あまりにも違う。ここまで追跡屋として過ごしてきた、廃棄都市のコピーのようだ。
困惑――それが彼女の心境を表すには、最も適切な言葉であろう。
「確かに、第二十廃棄都市に似てるな。あそこも直線道路を挟んで、背の低いビルが並ぶ街だった」
「碁盤の目になってるのよ」
「ゴバン?」
「道路が縦横に直行してるってこと」
左手には新聞社のマークが目立つ大きなビル、右手にはケーキショップやコンビニが一階に入った建物が在り、画材屋や写真館といった看板も見える。
どこにも人影は無く、店の棚やケースも
ミサキは追跡屋の基本を守って、注意深く街を観察する。五年も続けてきた仕事は、ミサキの体に染み付いており、日本に帰って来たとしてもやることは同じだ。
いつもの心持ちを取り戻すと、彼女も次の方針を考える余裕が生まれた。
「私がいない間に、何があったのか知りたい。大都市が転移したなんて、聞いたことなかったわ。通電してる端末を探しましょう」
「交信器を探すのか?」
「電位を映すモニターみたいなやつよ。端末はあらゆる場所に繋がっていて、好きな情報を引き出せる仕組みなの」
「そりゃ便利だな」
相談する二人へ、ヒナモリが首を横に振りつつ戻ってくる。
「この辺りの車は、全部キーが付いてない。ドアをこじ開けてもいいけれど、他も調べてみましょう」
「ちょっと待ってくれ、俺たちはもうお役目御免のはずだろ。同行する気か?」
片眉を上げた彼女は、何を当然のことをと返しつつ、キャスターを片付けていく。
ヒナモリの任務は転移の発生源の追跡だが、この世界の観察もしておきたい。
情報収集と有用な遺物の探索、逆にこの仕事に協力しない理由は有るのかと尋ねられ、セイジとミサキは言葉に窮した。
「手伝ってもいいけど……セイジはどう?」
「うーん、タダ働きはなあ」
「貴方たちの身は守るし、調査能力も高いですよ。決して悪い話ではないはず」
分解したキャスターをまとめて背中に担ぐと、代わりに銃がヒナモリの両手で握られる。
ボルトアクションのライフルに似た銃には側面にハンドルが付いており、これをガチャンと手前に引いて薬室に弾を送り込んだ彼女は、二人の返答を待った。
「ニホンの人間に接触するまでは一緒に行こう。アンタに協力するかは、その時に考える」
「私もそれでいいわ。行きましょ、副隊長さん」
取り敢えずの了承を得て、黒装備の副隊長は迷う素振りも見せず、通りを歩いて行く。
二人を置き去りにしようかという勢いに、セイジが慌てて呼び止めた。
「おいっ、どこへ行けばいいか知ってるのか!」
ヒナモリは歩みを止めることなく、左手で前方の空を指し示す。やや曇った青空に、周囲から突き出た白い塔が見えた。
「あれは?」
「京都タワーね。この辺りじゃ、一番高い建物だったかと」
自動車を探しながら、高所から偵察できる塔を目指す。そのヒナモリの考えに従い、セイジたちも大通りを歩き始めた。
彼らが転移してきたのは烏丸五条付近で、京都タワーが在るのは南方の七条からさらに下った辺りだ。
直線で一キロ未満、徒歩でも大した距離ではない。
街を進むにつれ、転移地点はあれでも平和な光景であったことに気づく。
焼けた車、割れるショーウインドウ。アスファルトにこびりついた黒染みは渇いた血溜まりを連想させ、その想像は正解だろう。
廃棄都市では見慣れた荒れ方を鑑みるに、この近辺でも転移が連続したと考えざるを得ない。
ミサキがタツカラへ来た時点では、日本で他に転移が発生した話は無かった。その後の五年で厄災が襲い掛かり、京都は破棄されたと思われる。
とすると、近隣にいくつかゾーンが発生しているはず。ヒナモリはその位置を眼で特定しようと考えていた。
この国においても、ゾーンには対策軍が派遣されていて然るべきで、彼らとコミュニケーションを取り、最終的には軍の責任者へ話を通す。
タツカラでは彼女が指揮を取れるまでに数年を要したが、今度はもっと早く協力態勢が築けることを期待した。
一方、ミサキは故郷の広島へ帰る方法に考えを巡らせる。
どうにか現金を入手して、鉄道を利用するのが確実か。先に大阪へ向かい、都会で情報と物資を得るのが良いかもしれない。
女性二人が自分の目的に思考を割くのとは逆に、セイジは慎重に警戒することだけを心掛けた。
いくつも見てきた廃棄都市と比べ、何かが
「ここには何があった?」
「え? えーっと、確か寺かな」
「木造か。丸焼けだな」
彼女が答えられたのは、観光旅行用の予習をみっちりさせられたからだ。しかし、知識は五年前の不確かなものであり、西本願寺の名前を思い出せるほどではなかった。
街の一区画を占める寺院が燃え尽きる大火、転移直後の混乱なら有り得なくもないが――。
突然の破裂音が、彼の思考を遮る。
青い稲妻が街路を横切り、ビルを駆け上って空に消えた。
「導雷!?」
「また転移するの!」
ヒナモリは何やら携帯していた計器らしき物を見て、転移の発生を否定した。
「エネルギー変動は、一瞬で消えました。転移は起きないでしょうが、どうも不安定なようですね」
「不安定って……あの打ち込んだ金属棒からも、雷が出てたよな?」
「導力矢ですね。矢に繋いだケーブルは遺物です。世界を超えても、ゲートが開いている間は繋がっています」
「そりゃすげえ。タツカラと通信できるのか?」
「まさか。実効の無い気休めですよ」
「なんだそりゃ……」
副隊長は澄ました顔で手帳に書き込みをした後、また南進を再開する。
判断材料が乏しすぎる事態に、セイジも口を閉じて歩き続け、程なく皆はタワーの下に到着した。
京都タワーの下部はショッピングビルになっており、割れ砕けた玄関から中へ入る。電気は通っていないため薄暗く、エスカレーターはもちろん動いていない。
奥の階段から上へ、荒れ放題のショッピング階の次はレストランフロア、さらにホテルへ、黙々と登って行く。
十階近くの階段を上らされ、セイジもさすがに息切れしそうになる。
展望ラウンジに着くと、やっと外の景色が見渡せた。近くに京都駅ビルやホテルが立ち並び、その奥には――。
「あれがゾーンか?」
「……まだ上がありますね。登りましょう」
「あ、ああ……」
ヒナモリの提案を聞き、遅れて来たミサキが顔を歪めた。
彼女には可哀相なものの、もっと高くから眺めた方が良さそうだとセイジも同意する。
ここからが細いタワー部分で、螺旋階段で地上百メートルまで上がることが出来る。
但し、二百八十五段をクリアしなければいけないと、掲示を読んだミサキが悲痛な声を上げていた。
手摺りに頼って体を引き上げつつ、最後尾を登るミサキが、息も絶え絶えに彼へ発見を伝えようとする。
「この、手摺り、つかむと――」
「無理して喋るな。俺も気付いたよ」
途中の覗き窓から、外の風景に一瞥をくれ、ひたすら足を動かすこと十分と少し。
ぬるいピンクの螺旋階段がようやく終わりを告げ、三百六十度のパノラマを楽しめる展望室へと辿り着いた。
駅がある南向きの窓から外を眺め、そのまま三人は時計回りに一周する。
そそり立つ巨大な灰色の壁が、どの方向にもハッキリと確認できた。導雷は街のあちこちで発生しているようで、壁を伝う稲妻は特によく目立つ。
「俺たちは、壁に囲まれてる。ここがゾーンだ」
「残念でしたね、ユズハラさん。この世界はニホンではないようです」
防護フェンスを両手で握り、ミサキは無言で壁を睨む。
彼らが転移したのは、京都市街を円形に切り取った巨大な特殊ゾーンの内側だった。
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