14. ようこそ

 環状列石の建つ地面は、元々エネルギーの含有量が多い。それらと周辺から集めた力を合わせて、導力柱が全てを巨石へと上乗せする。

 地面だけでは電池や黒熊くらいの力しか感じ取れなかったが、本体は巨石群である。


 中央から発したセイジの力は、波紋のように石柱へと伝わった。

 一度到達してしまうと、石と中心を繋ぐエネルギーの経路が生じる。それぞれの巨石がエネルギーの発信地点となり、彼を遥かに上回る力を遺跡中に流し始めた。


 よく目立つ列石の外には、多少小振りな石柱が、これもになって立つ。内外二つの円からなる遺跡と考えたメルケスは、予備班や待機部隊を、その外側に配置していた。

 この目算は、甘過ぎたと言えよう。

 その二つの円の外に、もう一つ埋没石が作る円周が在った。

 兵舎用の大テントすら範囲に収める巨大な力場のサークルは、丘陵全体を囲っていたのだ。


 遺物を起動させるべく、中心から外へ外へと力が流れて行く。

 外円がグルリとエネルギーを循環させた時、遺跡の着火・・が終了する。発動は第二段階へ移行し、地面から溢れた形成光が、遺跡全域に立ち上った。


「隊長、全兵が転移範囲内です!」

「突入班と予備兵以外は離脱しろっ!」

「隊長はどうされますか!」

「私はギリギリまで粘る」


 石を繋ぐラインが、最も大量の形成光を噴き出しており、大小三つの発光する円が大地に浮かぶ。

 遺跡全体の力の方向は、この時点で反転した。

 外から内へ、中心に向かって莫大な流れが注ぎ込む。転移エネルギーが目視できるものであれば、ダム底の栓を抜いたかに見えただろう。

 漂う青い形成光の粉も、緩く渦巻いて大きく回転を始める。


 中心点に位置するのが、セイジとミサキの二人だ。特に起動した張本人であるセイジには、瀑布の如くエネルギーが押し寄せる。

 ヒナモリから貰った形代が、まずは名の通り彼の身代わりとなった。


 かつての首都直下型クラスが直撃でもしなければ、充分耐える性能を持つ形代、それが二つもあるのだ。周囲のエネルギーを集めようが、渇いたスポンジが水滴を吸い込むようなものである。

 青白く輝きながら、指輪が、組み紐が、苦もなく力を溜めて行く。


 だが、問題は量ではなかった。勢いをつけた力の流れは、形代があしらえる以上のスピードでかさを増す。

 速度が急過ぎる。

 吸収出来ずに溢れた力は、セイジの体へ染み出し、みるみる内に彼も光を発しだした。血管の位置に沿って、首筋や腕に青い光の筋が浮かび上がる。


「セイジっ」

「まだ大丈夫だ!」


 案じるミサキ自身も、フックを掴む手の甲に光脈が現れていた。


『その状態で、発動を加速させろ! 気を緩めたら、光も消えるぞ』

「気楽に言いやがるっ」


 セイジは知らなかったが、かつて特務部隊が転移陣の形成を試みたのは、総計で十九回を数える。内、十五回は発動に失敗し、起動役の隊員は死亡した。

 形代が優秀だからと言って、耐え切れるとは限らない。これは部隊員たちには周知の事実だ。


 網目状の光脈に加えて、彼の皮膚に細かな光点が出現した。

 体中の汗腺から、力が出口を求めて溢れ出し、転移エネルギーの粉を吹く。玉の汗というのは、この現象の喩えとして正に適切である。

 高濃度のエネルギーは、粘性の高い液体となって体の上を流れ転がり、顎先からしずくとなって滴り落ちる。地表に落下する前に雫は固まり、パラパラと降り積もった。


 体内を掻き回すプレッシャーに、セイジの意識も鈍く濁る。

 結晶化する転移エネルギーを目の当たりにして、ミサキはフックから右手を離し、セイジの手の上に重ねた。


「ここからは二人で!」

「あ、ああ……」


 兆候の進み方は、いつものゾーン転移時とは様相が異なる。

 光が充溢したところで、やっと稲妻が空間を切り裂き、直ぐさま空間が色を失った。雷は、専ら導力柱に引き寄せられ、セイジたちに落ちることはない。柱は避雷針の役割も担っているようだ。

 青い光が宙に文様を描き出そうとするのを見て、メルケスの声がまた響く。


『最終段階だ、転移に備えろ!  予備兵は後退して待機だ!』


 突入班を残して、メルケス他、全ての兵が陣外に避難を始めた。

 最後の転移兆候に備えて、皆がロープを握ったまま列を成して走る。ヒナモリが指揮する突入班は、完全に地に伏せ、各々がフックを握る手に力を込めた。


 空中の文様は背の高さほどで一枚の円盤を形成し、ゾーン転移の際に見られる円柱状には発展しない。

 その円盤が完成しようかという瞬間、転移陣内にいた皆の体が宙に浮いた。

 セイジとミサキも掌以外が地面から離れるが、即座に重力が逆転し、顎や胸をしたたかに叩きつけられる。


「ぐっ!」


 くぐもった呻きを漏らしたのは、咄嗟に受け身を取れなかったセイジの方だ。

 ミサキは重ねていた手で彼の腕を掴み、意識を失っていないか確かめる。


「平気だ……もうちょっと、だろ」

「ええ」


 下方向へ押し潰す力が激しくなり、重力が倍増した。


 ――浮くよりはいい、手が離れずに済む。


 無理やり顔を上げたセイジは、ミサキの黒髪が銀色の艶を帯びているのを見る。エネルギーの洗礼からは、彼女も逃れられていない。


 ――転移しやがれっ!


 歯を食い縛る二人の元へ、ズリズリと何かを引き摺る音が近付く。

 この異常な重力下、ヒナモリがロープを頼りに中心へ這い寄ろうとしていた。


「意識は!」


 彼女は起動者の安否を問うて叫ぶが、答える余裕が二人には無く、手を挙げるのも億劫だ。

 返事がないことを、衰弱していると受け取ったのか、ヒナモリは後方へ予備兵を寄越すように命令する。


替え・・を呼んで! あと少しで――」


 副隊長の台詞が終わらない内に、また体が浮き上がる感覚に襲われた。しかしこれは、通常の重力に戻っただけで、本当に体が軽くなるような気配は無い。

 転移嵐が凪ぎ、僅かずつ色が復活する。

 バッと外周へ振り返ったヒナモリは、転移陣が縮小し始めたことに気づいた。


「予備兵を早く! 突入班は中央へ!」


 突入班の一人が、ジェスチャーで起動役の交代を後方へ伝え、直ぐに他の隊員と一緒に中心へと向かう。

 一早くセイジたちの顔が窺える位置まで来たヒナモリは、苦々しげに陣の消失を睨んだ。予備兵が走るよりも速く、転移陣は縮み続け、内周の列石まで小さくなってしまう。

 その大きさで暫く留まっていた光の円盤は、スイッチを切ったかのように掻き消えた。

 いつの間にか訪れていた夜の闇が、形成光の輝きに取って代わる。


「失敗……予備兵でやり直します!」

「まだだ……」


 セイジの呟きを契機として、内周、いや巨石が猛烈な輝きを放った。

 文様は、形を変えて復活する。中空に浮く、垂直に立った小さな円盤。その数は五つ。

 門の形に組まれた五対の岩のゲート、その全てに転移陣が出現した。


多重転移陣マルチゲート……」


 転移は様々な形態を取り得るという研究報告は、以前からある。小型かつ持続的に発動させれば、それこそゲートとして異界への道を開けるだろうとも。

 大量の転移エネルギーを分散して展開すれば複数のゲートを作れる。そんな説が机上の理論としては存在したものの、まさか目の当たりにできるとは、ヒナモリも予想だにしていなかった。


 ふらつきながら立ち上がるセイジに、ミサキが肩を貸してやる。

 二人とも血の気が引き、貧血を起こした青白い顔ではあるが、声に力は戻りつつあった。


「エネルギーの流れが止まった。発動終了だ」

「上出来です! 計測班は測定、バリスタを前へ!」

「チンタラやってたら、俺達が先に使うぞ」


 ヒナモリだけでなく、突入班の面々もゲートをキョロキョロと見回し、戸惑いの表情を浮かべる。

 ゲートは開いた、では、どれに入ればいい?


 突入用の装備を調えたのは、ここに要る十二人の隊員とヒナモリだけだ。

 どの転移陣の文様も同じで、巨石の隙間でゆっくりと回転を続けている。それぞれの陣が持つ力の計測結果が、大声で叫ばれた。推定維持時間は八時間、それ以上経つと、周囲のエネルギーが枯渇するだろう。


 中央まで押されてきた台車付きのバリスタは、開いたゲートに向けて設置し直された。撃たれるのは矢ではなく、銀色の金属棒で、やたらと太いケーブルが括り付けられている。

 どこかで見た形状だと眺めていたセイジたちは、棒がミニチュアの導力柱だと理解した。

 ヒナモリが号令を発すると、バリスタが一斉に射出されて、宙に浮く転移陣の中へと飲み込まれていく。それぞれの陣に二、三本ずつ小さな導力柱が消え、後にはベーステントまで続くケーブルが断ち切られたように地面に残る。

 前準備が進む中、突入班の隊員たちは指示を仰ぐべく、副隊長へ視線を集めた。


「……装備種が重ならないよう、三人ずつ、四班に分かれなさい。北から順に四箇所へ突入します」


 分散突入という指示を聞き、流石の特務部隊の精鋭も、返答にわずかな間が空く。その一瞬で決断し、すぐに四グループに分かれたのは大したものだろう。

 セイジたちへ歩み寄ったヒナモリは、ゲートの一つを指した。


「残った転移陣は、私と貴方たちで使う。問題ありませんね?」

「それでいい」


 全隊員がゲート毎に分かれた頃、駆け足でやってきた予備兵がヒナモリへ追加装備を手渡す。

 隊員たちは転移後に測定を行い、調査後に帰還する予定である。順調に行けば、いずれかのゲートで重要地点を発見し、再度結集した部隊で突入する時間もあった。

 開いたゲート近くにまで来たメルケスは、報告を聞き、別世界へ赴く隊員の幸運を祈った。


「では、行ってまいります」

「朗報を期待する」


 部下がゲート内に吸い込まれて消えるのを見届けてから、ヒナモリもセイジたちへ転移ゲートを潜るように促した。

 二人は岩間に入り、直ぐに彼女も追う。





 ヒナモリが転移陣の光へ侵入した途端、天地を失う衝撃が全身を揺らし、五感を麻痺させられた。

 ほんの刹那のことだろうが、世界が静止した感覚に脳が理解を拒否する。

 彼女は死を想いつつ、頭から地面に突っ伏した。固いアスファルトが、唇を傷つけ、鉄の味が口内に広がる。


 ――大地。自分は地面に寝ている。


 最初に上体を起こしたのはミサキ、次にヒナモリ。最後に遅れてセイジが膝で立つ。

 頭が回転を始めるタイミングには、三人とも大差無かった。


 彼らより先に転移したミニ導力柱が、激しく放電しながら道路の先に転がっている。

 昼の廃棄都市、それが共通した彼らの第一印象である。

 車道の真ん中に引かれた白線に、道の両脇に並ぶ無人の建物。瓦礫が散乱し、雑草が好き放題に生い茂る。


 彼らの背には青い転移陣が浮かび、前方には青地に白文字の標識が掲げられていた。セイジとヒナモリが、その字を読み取ろうと目を凝らす。

 複雑な形状をした文字列は、彼らが日頃慣れ親しんだ字形とは似ても似つかない。


「ここは……」


 セイジの困惑する声に、ミサキが答えた。


「訳が分からないわ。でも、間違いない」


 彼とヒナモリが、彼女の方を向く。

 ミサキは確信を持って、二人へ告げた。


「ようこそ、私の故郷よ」


“京都市中京区烏丸通”

 所々が焦げ、ビル壁のタイルが崩れ落ち、青い電撃が街路を走っていようとも、ここはかつて彼女が暮らした日本だった。

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